「今、帰り?」
「え?」
隣から落とされた声に思わず顔を上げれば、そこには見覚えのある顔。
「ま、増田くん!?」
「さっき改札で見かけて、もしかしてって思ったんだけど」
私の隣で、涼し気な目元をしながら増田くんが言葉を続ける。
「デートしてたみたいだね」
久しぶりに会話する増田くんは、入社した頃と変わらない端正な顔立ちのままで、爽やかな口調だった。
「あのさ、後ろ姿しか見えなかったからよくわからないんだけど、もしかして西脇さんの彼氏って北陽商事の浜本さん?」
私の顔を伺うように、ほんの少し姿勢をかがめた増田くんの言葉に目を見開いてしまった。
浜本さんと付き合っていることは、誰も知らない。隠しているつもりではないのだけれど、わざわざ「取引先の人と付き合ってます」なんて言う必要もないから。
答えに戸惑う私を見て、増田くんがくすりと笑った。
「別にムリに聞くつもりはないんだけどさ、もし浜本さんだったら……」
言いかけた増田くんは、口元に指を当てながら一度目を伏せた。
「な、なに? 気になるじゃない」
そんな態度に少し口を尖らせれば、その長いまつげをピクリと動かした増田くんがゆっくりと私を見る。
「……知らなかったら、ごめん。浜本さん、既婚者だから」
「……え?」
私の小さな声をかき消すように、回送列車がホームを通過した。
過ぎ去り際の、電車の風が私の髪を大きく揺らす。
「い、今……なんて?」
確認するように、増田くんに尋ねると面倒くさそうな息をはき、私から視線を外す。
「だから、既婚者だって。知らないで付き合ってたの?」
「き、既婚者って……そ、そんなはずないよ!」
だって、浜本さんは言ってくれた。「今すぐには考えられないけど結婚したいって思ってる」って。
そりゃあ、何度もはぐらかされるけど……浜本さんだって私との結婚を意識してくれてる。
「増田くん、適当なこと言わないでよ」
そう言った私の声は震えていた。
語尾は強めていたけど、自分でも驚くほどに弱々しい声だった。
「あのさ、こんな嘘ついて俺に何かトクでもある?」
増田くんの冷静な態度が、余計に私の神経を逆撫でる。
「君がしてることはただの不倫。俺の言うことが信じられないなら、自分で確認すれば? まあ、
不倫するような男だから正直に話すとは思えないけど」
投げやりなその言い方に、怒りがこみ上げる。だけど、それと同じぐらい不安が広がっていることに気がついた私は、何も言えずにいた。
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