ひき逃げの犯人が自首をした。
その知らせを聞いてホッとしたのも束の間、逮捕されたという犯人は、その日、私たちが見かけた男だった。
紗希
「でも、どうやってこの写真を手に入れたの? まだニュースにもなってないのに」
記事のコピーを見つめながらつぶやくと、テーブルの向こうで真野さんが胸を張る。
真野
「バカにすんなよ。こう見えても、俺だってマスコミの人間だぜ?」
真野
「普段はゴシップばっかり狙っているが、こういう所にもちゃんとアンテナは張ってるさ。あ、いや……」
言ってしまってから照れたのか、新聞記事のコピーを手に取る。
真野
「……供述によると、多田悟志容疑者・36歳は、仕事の疲れからつい居眠りをしてしまい」
紗希
「青信号で横断中だった被害者、山口タキさん・77歳をはねて死亡させた疑い……か」
真野
「ああ、その記事自体はどこもおかしくないし、これで事件も解決なんだろうが……」
紗希
「……気になることでもあるの?」
真野
「加々美遥香と、この男の関係がちょっと気になってな」
真野
「スポンサーでもある旦那を怒らせてまで、パーティを抜け出したんだぜ?」
真野
「ふたりが特別な関係だったって考えるのが普通だろ?」
紗希
「付き合ってたのかな?」
真野
「正解。そう考えるのが自然だろうな」
真野さんがふっと笑顔を見せる。けれどその顔はすぐに真顔に戻った。
真野
「じゃあ、あのふたりはどうしてあそこで会っていたのか……」
紗希
「…………」
真野さんの言葉に、私はまた考え込んでしまう。
紗希
「もしかして、旦那さんに内緒でこっそり付き合ってて……」
紗希
「犯人が自首する前に一目会いたいって言って来た……とか」
真野
「その気持ちは分からなくもないけど……」
真野
「だが、そうなると加々美遥香は、あの時、多田悟志がひき逃げしたって知ってたのかって疑問が残る」
紗希
「でも、犯人が自首したってことは、この事件はもう解決でしょ?」
真野
「果たして本当にそうなのか……」
真野さんが、頭の上で腕を組む。
紗希
「どうしてそんなに気にするの?」
真野
「なんとなく……な。スッキリしねえんだ」
真野
「加々美遥香みたいな有名人が、どうしてあのタイミングで犯人と会っていたのか」
紗希
「ひき逃げしたことを知らなかったんじゃない?」
真野
「じゃあなんで、大事なイベントをすっぽかしてまで会ってたんだ?」
紗希
「それは……」
紗希
(彼をすごく愛していたから、すぐに会いたかった? ううん、違う。それじゃ理由にならない)
紗希
(会いたいだけなら、イベントが終わってから会えばいいんだもの)
真野
「……だろ? あの日、あの時間に会ってたってことは」
真野
「加々美遥香はひき逃げのことを知ってなきゃおかしいんだ」
真野
「だとすると逆のリスクが生じる。イベントを抜け出せば旦那に追及されるだろうし」
真野
「男との密会を目撃されるリスクもある。その相手がひき逃げ犯ならなおさらだ」
真野
「だけど、そのリスクを冒してまで、遥香はあの男と会った」
真野
「つまり、会わなきゃならない理由があったってことだ」
紗希
「会わなきゃいけない理由? それって……」
真野さんがため息で首を振る。
真野
「それがわからないからスッキリしねえんだよ」
真野
「だけど……これだけじゃ終わらないと思うぜ。俺の勘だけどな」
それから数日後。私と真野さんは、昼下がりの高級住宅街を歩いていた。
紗希
「……やっぱり来たんだ」
真野
「当たり前だろ。加々美遥香の自宅に潜り込めるチャンスなんて、そうそうないからな」
真野
「それにこの前の件もある。だから今日は、お前のアシスタントをやってやるって言ってるんだ。感謝しろよ」
悪びれるふうもなく笑っている真野さんに、今日はなぜかホッとする。
意識しないようにしていても、やっぱり緊張していたらしい。
紗希
(一人で行くのも不安だったし、一緒なら心強い……かな)
紗希
「教えてくれた住所だと、確かこのへんなんだけど」
真野
「ここじゃないのか? KAGAMIって書いてあるぜ」
真野さんが足を止めたのは、高級住宅地に建つ大豪邸の前だった。
インターフォンを押しただけで、するすると門が開く。どこかにモニターカメラがあるらしい。
門から続くガレージには、大きな外車が何台も並んでいた。
紗希
「わぁ、すごい! 車がいっぱい停まってる……!」
きれいに磨き上げられた車にため息をついていると、真野さんはガレージの車に近づいて首をかしげている。
紗希
「真野さん? 何してるの?」
真野
「いや、ちょっとな」
そう言うと、車の前輪あたりにかがみこむ。
真野
「お前はあの日、事故を起こした車を見たって言ったよな?」
紗希
「あ、うん」
真野さんはやっぱり事故のことが気になっているらしい。
真野
「ここにある車の中に、それっぽい車はないか?」
ずらりと並んだ車は外車ばかり。
紗希
(でも、あの日見たのは、もっと普通の車だった……)
紗希
「ないと思う。それに、容疑者は自分の車でひき逃げを起こしたんじゃなかった?」
あの後の報道によれば、多田悟志は自分の国産車で事故を起こしたと書いてあった。
新聞に載ったその記事は、驚くほど小さかったけれど。
真野
「ああ、まあな。まぁ、加々美遥香に近づけば、また何かわかるかも知れないか……」
独り言のようにつぶやくと、真野さんが立ち上がる。
真野
「それじゃ、行くとするか」
緊張する指でインターフォンを押す。
紗希
「パーティのお手伝いに参りました、吉岡紗希です」
遥香の声
「……お待ちしてたわ。入ってちょうだい」
遥香さんの声に続いて、かちゃりとロックが解除される。
恐る恐るドアを開け、広い玄関に足を踏み入れた。
紗希
(……え? 何これ……!?)
私の後から入って来た真野さんが立ち尽くすのがわかった。
真野
「おい、マジかよ。ウソだろ……」
そう言ったきり絶句する真野さんと、目の前の光景を茫然と見つめた。
人気モデルと実業家が暮らす広い屋敷。
そこには、驚愕の光景が広がっていた―――。