神仏を頼れない(2)【芦屋道顕】神社仏閣に行くと運が落ちる「特別な魂の持ち主」【現代の呪2】

神仏を頼れない(2)【芦屋道顕】神社仏閣に行くと運が落ちる「特別な魂の持ち主」【現代の呪2】

神仏を頼れない(2)神社仏閣に行くと運が落ちる「特別な魂の持ち主」【現代の呪2】

(1)と関連記事はこちら↓
芦屋道顕の現代の呪い2

(1)の続きで、神仏に頼るとかえって災いが降りかかる人が世の中にはいるという話じゃ。(1)では宗教が異なる場合と、日頃の行いが悪い場合を挙げたが、今回は本人は何も悪くないのに、なぜ?と思うている恐らくこの記事の読者に当てはまる例を挙げるぞよ。

■本人は悪くないのに『神仏に頼れない』魂の持ち主がいる

★肉体的・または霊的な『先祖』が子々孫々まで続く呪いをかけられている・祟られている

先祖

貴族や伝統ある一族はもちろんのこと、どのような家柄でも貧乏一族でと、よほど清廉潔白で自己犠牲的な生き方を代々続けてきたのでない限り、少なからず先祖の誰かは誰かしらの恨みを買っているものじゃ。しかし、大抵は恨まれた本人に因果応報が及ぶまでで、その子孫にまで災いが降りかかることはとても少ない。

とはいえ、特に王族や(日本の場合は皇族であるが)貴族、戦乱で武勲により成り上がってきた一族などは子々孫々までの呪いを受けていることがある。また、一族が信仰し願掛けをしていた神仏の神社仏閣には、敵対した一族はその子孫であっても参拝は避けたほうがよいことがある。神仏が祟るのではなく、その神仏を信仰していた敵側の祖先の念が発動してしまうことがあるからじゃ。

そのような一族の場合は、呪いが始まって何代かは親から子へと「これをしてはいけない」「ここへ行ってはいけない」など聞き及んでいることがほとんどであるが、何代も真面目に呪いを避けてきたゆえに安泰だった場合、親が子に伝えるのを忘れてしまうこと、軽視することがある。伝統ある一族の末裔は己の一族の歴史をネットのみならず地域の郷土史などで調べてみると禁忌が分かるやもしれぬ。

★一般家庭に生まれても魂がどこぞの一族の呪いのターゲットの場合が

呪いのターゲット

また、これが厄介なのが、何の呪いも受けていないごく一般家庭に生まれたにも関わらず、その魂がかつて呪いを受けた本人や一族の分霊である場合は生まれた家の歴史を調べても何も分からぬが、特定の神社仏閣に行くと災いが降りかかることがある。

これを解き明かす唯一の鍵は、自身の感覚じゃ。一族の歴史を調べて何もなくとも「八幡宮と名のつく神社に行くとそのあといつも体調を崩す」「真言密教のお寺に行ったあと、リストラされたりペットが死んだりしたなぁ」など、何かしら思い当たることがあればその感覚を大切にすることじゃ。経験からしか分からぬことではあるが「合わない」と一度ならず二度感じたならば、以降はその同じ神社仏閣にはもちろん、同じ神仏を祀る系列の神社仏閣にも行かぬことじゃ。

そして、もう一つ。
続きは次のページ▶︎

★前世か、生まれる前のどこかの世界か。生贄の印がついた魂、つけた側の『神仏』と呼ばれる何者か

以前に辛口オネエが『生贄の系譜』について話しているが、
自分は生贄の系譜?チェック項目10選

見た目や生まれた家などからはまったく分からぬが、その魂に『生贄の印』が付けられている人々がいて、神仏を頼れぬことがある。

神仏を頼れない(2)【芦屋道顕】神社仏閣に行くと運が落ちる「特別な魂の持ち主」【現代の呪2】

しかし、そのような人々は全ての神仏を頼れぬわけではない。前世か、前世と今世の中間にあるこの世ではない世界で印を付けた『何者か』がこの世の中では『神』『仏』として崇められていることがあり、その神仏を祀る神社仏閣を避ければ良い。

その神仏を知るには、やはり本人が体感して気付いていくしかない。が『生贄の印』のついた人々が避けるべき神社仏閣にはある程度共通する特徴がある。

まずは『実在した人物が恨みを抱いて非業の死を遂げ、祟りが起きてそれを鎮めるために神として祀った』神社。

最も良く知られるところでは崇徳天皇、平将門、菅原道真を祀る神社。ほかには、その名もずばり『御霊神社』と名のつく神社は怨霊を鎮めるためや祖霊を祀るために建立されており、さまざまな土地にあるが、これらもできれば避けたほうが良い。

そして、これを仏教が浸透している日本で言うのは少々気が引けるが、生贄の印の付いた人々は『寺』には基本的に近づかぬほうが良い。全ての宗派がそうだったとは言わぬが、宗教団体の力はそれまでの信者の信仰心やお布施に支えられている、といえば聞こえは良いが、さらには信者の『気』を吸い上げて勢力を保ってきたところ、信仰のために信者に命を捧げさせてきた団体もある。

なおかつ、これなどほとんど悪魔崇拝と変わらぬが、中には信者の願いを叶えるためや守るために生贄を行っていた宗派もあり、信者ではない人々の生命力や運気を吸い上げて、信者に配分していた宗派もある。

前世であれ前前前世であれ、そのような宗派の『生贄側』だった人々の魂は、生まれ変わっても生贄となりやすい。今世では実際に殺され捧げられることはなくとも、生命エネルギーや運気を吸われてしまうのじゃ。

特定の神社仏閣に行くとガクンと運気が落ちる、体調を崩すなどがあれば、それが例え世間ではパワースポットやご利益のある神社とされていても、避けたほうが良いのじゃ。

では、(3)では『中間生』とでもいうか、前世でもなく今世でもない世界にて、生贄の印を付けられた場合の話をしていくぞよ。

続く。

関連記事はこちら↓
芦屋道顕の現代の呪い2

キュンコレ版:芦屋道顕の現代の呪バックナンバー

ベリーグッド版:芦屋道顕の過去記事

■開運占い軍団の霊的お悩みお役立ち記事

厄年・不運続きの理由・神頼みしても叶わない・引き寄せられない・エネルギーパンパイア対策etc.

人生相談・開運法