それから数日後のことだった。
直哉さんの家に来客があったのは。
外出中の直哉さんに代わり、私が出迎えた人は上品な服装の綺麗な年配の女性だった。
その人は、私を見てにっこりと微笑んで緩やかに頭を下げたのだ。
突然のことに驚いて、私も慌てて頭を下げると、直哉さんがちょうど帰宅した。
ハナ
「直哉さんの……お母様?」
直哉
「そ。母さん、こっちは前にも話したことあると思うけど夏井ハナさん」
直哉の母
「息子がお世話になっているのに、挨拶が遅れてしまってごめんなさいね」
ハナ
「と、とんでもございません。こちらこそお世話になっているのにご挨拶が出来なくて申し訳ございません」
私が深々と頭を下げると頭上から柔らかに微笑んだ声が聞こえた。
直哉
「それでどうしたの? 母さんがこの家に来るなんて珍しいね」
直哉さんの言葉に私が顔をあげると、直哉さんのお母様は表情を曇らせた。
直哉の母
「……お父様にね、あなたに援助していたことを知られてしまったの」
直哉
「っ!!」
直哉の母
「それで、お父様がとてもお怒りになって……今戻ってこなければ勘当すると」
ハナ
「そ、そんなっ!」
直哉の母
「今日、きちんと答えを聞かせてちょうだい、直哉。稲山の家に戻るのか……勘当を受け入れ今後一切の援助を断ち切るか」
直哉さんは、思っていた以上に冷静な顔つきで、お母様の言葉を聞いていた。
お金が無ければ、活動は出来ない。
家に戻れば、活動は出来ない。
どちらを選んでも、直哉さんが今まで同様の風刺活動をすることは不可能になってしまう。
不安そうに直哉さんの顔を見れば、私に視線をあわせてふっと微笑んでくれた。
直哉
「ハナちゃん、そんな心配そうな顔しなくていいよ。俺は、家に戻らないから」
ハナ
「えっ……?」
直哉の母
「直哉、それで本当にいいの? 勘当の意味を、本当に理解しているの?」
直哉
「もちろん。父さんや母さんが他人となろうとも、俺は俺の道を生きたいから」
直哉の母
「直哉……」
直哉
「……母さんには悪いと思ってる。今まで、母さんの援助がなけりゃ活動だって出来なかった。そんな母さんに背くような答え出した息子だからね、恨んでもらってもかまわない」
ハナ
「直哉さんっほ、本当にいいんですか!?」
悲しそうに表情を歪める直哉さんのお母様を見て、思わず声を荒らげてしまうけど、直哉さんは相変わらず冷静な態度だった。
直哉
「何日か前に、ハナちゃんと話したでしょ。勘当のこととか。俺さ、あれから考えてたんだけど……お金が無いなりにも、俺たちに出来ることってあるんじゃないのかなって思えるようになったんだ。お金があっても、困ってる人に手助けできない生活が続くなんてきっと俺には耐えられないし、勘当される覚悟は、もう既に持ってるから」
直哉の母
「なんとなく、あなたならそう言うと思ってたわ。だからかしらね……悲しいけれど、応援すらしたくなる思いがあるのは」
直哉
「母さん……?」
直哉の母
「あなたの答え、きちんとお父様へ伝えるわ」
静かに言ったお母様は取り乱す様子もなく、品よく立ち上がり私に頭を下げた。
直哉の母
「ハナさん、直哉のことをよろしく頼みますね」
微かに震えた声。あまりにも、気丈で、悲しそうで……私は頭を下げるのが精一杯だった。
そうして、どれほどの月日が経ったのだろう。
私と直哉さんは、東都にほど近い農村で生活をしていた。
小説の売上だけでは、とても東都で生活するには苦しくて。
虐げられている人々の手助けどころか、自分たちの生活も危うくなってしまう。
そこで、田舎へと移り住んだ。
幸い、私は元々農村の出身だったから畑仕事はなんなくこなすことができ、今ではそれなりに安定した生活を送れていた。
ハナ
「うん、いい出来」
直哉
「本当だ。色ツヤもいいし、美味しそうな茄子だね」
収穫物を手に取り、直哉さんは嬉しそうに微笑んだ。
自分たちで食べる分、少し大きな街へ売りに行く分、そうして、病気や怪我で働けないこの農村に住む人にわける分をカゴに分けていく。
都会には、都会で苦しむ貧困層がいた。
だけど、農村には農村で苦しむ貧困層がいる。
全ての人たちを救うことは出来ないけれど、私たちは私たちなりに出来ることをしているつもりだ。
直哉
「ハナちゃん……ありがとうね」
ハナ
「え?」
茄子をカゴへ仕分けながら、突然、直哉さんがポツリとこぼした。
直哉
「ハナちゃんがいなかったらさ、俺……ここまで出来てないと思う。きっと、風刺活動を続けたくても……出来なかったよ。俺1人じゃあ、野菜作ることなんて出来なかったし」
ハナ
「私1人でも、これだけの畑を管理しきれないですよ。直哉さんと2人だったから、ここまで来れたんだと思います」
直哉
「……ハナちゃんがいればね、俺、なんでも出来そうな気がする。今すぐに、何か出来るってことじゃなくてさ、ハナちゃんと一緒にいればいつか、本当に全ての人たちを救えるような錯覚に陥るんだ。……ううん、錯覚なんかじゃないよね。俺たちは、苦しんでる人たちを全て救える」
言い切った直哉さんは、3つ並ぶカゴを見た。
直哉
「まずは、手始めにこの目に止まる人たちの手助けになれたらいいね」
ハナ
「ええ、そうですね」
直哉
「ってことで、さっそく茄子を配ってこようか」
ハナ
「はい!」
茄子の入った竹カゴを背負い、直哉さんは歩きだす。
私も、その後を追うようにゆっくりと足を進めた。
直哉
「……なんかさ、東都にいた頃よりは金のない生活だけど、俺さ今すっごく幸せなんだ」
ハナ
「ふふ、本当ですか?」
直哉
「うん。なんだか充実してる……ハナちゃんとずっと一緒にいられて、俺たちの作った野菜を、喜んでもらってくれる人たちがいて……」
ハナ
「……私もですよ。自分たちの手で作った野菜が、貧しい人たちに役立つことがこんなにうれしいとは思いませんでした」
直哉
「だけど……ハナちゃん、本当によかった? 本当は東都にずっといたかったんじゃ……そうすれば、実家に仕送りだって出来たのに」
ハナ
「今だって、少しだけど仕送り出来ていますから気にしないでください。思った以上に野菜、売れますしね」
直哉
「うんうん、きっとハナちゃんの作った野菜がおいしいからだよ」
ハナ
「ですかね?」
なんだか、照れくさくてはにかみながら聞き返すと直哉さんは満面の笑みで頷いた。
直哉
「ハナちゃん、これからも……ずっと一緒にいよう」
ハナ
「もちろんです。平等な世が来るまで……私は直哉さんと共に出来る限りのことをします」
直哉
「え、じゃあ平等な世が来たら一緒にいてくれないの?」
ハナ
「そ、そういうわけじゃ……」
直哉
「はは、冗談だってば。……いつか2人で見ようね、平等な世の中を」
ハナ
「はい!」
私が大きく頷くと、直哉さんの温かな手が頭にかかった。
私たち2人が出来ることなんて限られてる。
だけど、それでも……直哉さんと2人でいれば、なんとかなるような気がして。
私たちは今日も平等な世のために一歩を踏み出すのだった。
–END–
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