『大正浪漫ラヴストーリー』 <第10話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第10話>

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翌朝。
いつもより眠る時間が少なかった割には元気に仕事が出来ていた。

それはきっと、衿の中にあるお守りのおかげ。

 

ハナ
(直哉さんにもらった本……いつか読めるように)

カヨ
「ハナ、向こうを掃除してくれる?」

ハナ
「はい、わかりました」

 

カヨさんに言われたのは、昨日私が物音を聞いた場所。

 

ハナ
(あの音……なんだったんだろう?)

 

考えながら、植え込みを見ると糸くずのようなものが見えた。

 

ハナ
「……何かしら、これ」

 

しゃがんでそれを見てみると、辺りには何本か桃色や茜色の糸があった。

そこには布の切れ端まで。破けてはいるが、どうやら牡丹が描かれている物のようだ。

 

ハナ
(……紀美子様の着物の物かしら?
でも、まさかね。紀美子様がこんな場所に来ることもないだろうし)

 

切れ端と糸くずを落ち葉と共にホウキではいていると、ふいに声をかけられた。

 

千代
「手を止めなさい」

ハナ
「え? あ、奥様。おはようございます。紀美子様も……どうかなさいましたか?」

紀美子
「お母様が、昨日、この辺りで指輪を無くされたのよ。あなた、見てない?」

ハナ
「見ていません。どのような物でしょうか? お探しいたします」

千代
「あなたは結構。盗られでもしたら大変です」

ハナ
「えっ……そ、そんな、盗ったりなんて……」

紀美子
「わからないわよ? だって、あなたたち貧乏人には相当に価値がある指輪ですもの」

ハナ
「っ……」

紀美子
「あ……ふふ、こんなこと言っていたらお兄様に告げ口されてしまうわねえ? ああ、こわいこわい」

 

紀美子様が鼻で笑いながら植え込みの辺りを歩きまわる。

 

紀美子
「それで、お母様? 本当にこの辺りで間違いはないの?」

千代
「ええ、そうですよ。トメにでも探させましょう。紀美子、屋敷へ戻りますよ」

紀美子
「あらぁ、それじゃ駄目だわ。この女が黙って持ち去っちゃうわよ」

ハナ
「わ、私はそんなことしません!」

紀美子
「でも、見当たらないわよ~?」

ハナ
「そ、その植え込みの辺りを探してみてはいかがでしょう?」

紀美子
「はぁ!? 女中の分際であたくしに指図するの!?」

ハナ
「い、いえ……そういうわけでは……」

紀美子
「ねえ、実はもう既にあなたが盗ったんじゃない?」

ハナ
「わ、私が? そのようなことはっ」

紀美子
「主に口答えするんじゃないの!」

 

言葉と共に、強烈な平手打ちが私の頬を襲う。


紀美子
「あなたが盗ったんでしょう!? ねえ、そうでしょう!?」

ハナ
「なら、証拠を見せてください」

紀美子
「証拠? そんなものないわよ! でもね、あなたは貧乏なの。指輪なんか見つけたら一目散に隠すでしょう?」

ハナ
「私は盗っていません。それに、ここへ来たのは今さっきです」

紀美子
「ああ、憎たらしい! お兄様の後ろ盾があるからって、口答えしないで!」

ハナ
「私はそんなつもりじゃっ」

 

言いかけた私の手から、ホウキを奪い取った紀美子様は、鬼の形相でそれを振り上げた。

空を切るように振り下ろされたホウキは、私の肩を思いきり打ち付ける。

 

ハナ
「っ……な、何をっ」

紀美子
「いいなさい! 盗んだっていいなさい!!」

 

狂ったように叫びながら、紀美子様がホウキを何度も何度も私へと振り下ろす。

そのたびに、肩に、背中に激痛が走りとうとう私はその場にうずくまるように倒れてしまった。

 

千代
「紀美子、はしたないですよ」

紀美子
「いいえ、お母様! こんなんじゃ気がすまないんです! あなたが盗ったのよ! あなたが! あなたが!」

ハナ
「わ、私は……」

紀美子
「さっさと言いなさいよ!!」

ハナ
「あっ」


ホウキを投げ捨てた紀美子様が、今度は私の襟首を掴み上げる。

 

紀美子
「どこに隠したの!? 出しなさい! 出しなさいよ!! この貧乏人が!!」

紀美子
「あなたなんかね、本来じゃ、あたくしたちと会話することだって許されない底辺の人間よ!!」

 

言いながら、思い切り私の頭を踏みつけた。
痛みと屈辱が、瞬時に体を支配する。

 

千代
「紀美子、やめなさい。はしたないですよ」

紀美子
「貧乏で学がなくて!! それなのに、それなのになんなの!? お兄様を味方にして!! どうして、あたくしが追い出すなんて言われなきゃならないの!? あなたがいなければお兄様だってあんなこと言い出さなかったわよ!!」

 

絶叫するように私を責め立てる紀美子様には恐怖しかなかった。

私の言葉も、奥様の言葉も届かないほどに、今の紀美子様は憎悪に取り憑かれている。

 

清人
「何をしている!!」

 

無理やり起こされ、何度も蹴られ、踏みつけられる私の耳に入った希望の声。
紀美子様は我に返ったかのように私を解放した。

 

清人
「ハナさんっ……!! 紀美子! ハナさんに何をした!」

紀美子
「何もしてないわ。ただ、ハナがお母様の指輪を盗んだ疑いがあったから調べていただけよ」

清人
「調べていた……? 何故、調べるだけでハナさんがこんなに傷だらけなんだ?」

紀美子
「知らないわ」

 

腕からも、頬からも、額からも血を流す私を若旦那様が優しく起こしてくれる。

その時だった。散々、傷めつけられた私の着物からある物が落ちた。

(あ……直哉さんからもらった……)

それは、ハンケチと小説だった。


紀美子
「なんで、あなたがこんな上等なハンケチを? それに本まで。これも盗んだ物?」

 

私を見下しながら、それらを拾い上げた紀美子様。

 

 

ハナ
「触らないで!!」

紀美子
「っ!? な、何よ……」

紀美子
「だ、大体、ハナがこんな物持ってるのおかしいじゃない。字だって読めないんだから」

紀美子
「あら、なにこれ。風刺小説? なんでこんな物を?」

清人
「風刺小説……?」

 

私を支えながらの若旦那様が、怪訝そうに首をかしげた。

 

千代
「その表題……貧困層が夢を見て書いた小説ね。どうしてこんな物を持っているのかしらないけれど、汚らわしいこと」

紀美子
「言いなさいよ、どこで手に入れたわけ?」

 

にじり寄るように紀美子様が近づくと、恐怖からか体が大きく震えた。

 

清人
「紀美子、今はそんなことよりハナさんを手当しなければならない。そこをどけ」

紀美子
「嫌よ。着物の中に指輪を隠し持ってる可能性だってあるんだから」

清人
「持っていない可能性もある」

紀美子
「っ……で、でも! 私はどかないわ」

 

静寂の睨み合い。
若旦那様も紀美子様も一歩も引く気配がない。

 

トメ
「な、何事ですか! ま、まあっ……」

 

誰もが発言を許されないかの状態が数秒続いた。
そこへ声を荒げながら駆け寄ってきたトメさんはボロボロになった私を見て絶句してしまう。

 

トメ
「ハナ! な、何があったというのですか」

清人
「私から説明しよう」

 

到底、説明など私が出来そうもないと判断したのか、若旦那様は事の顛末をトメさんへ伝え始めた。

私が指輪を盗ったと言いがかりを付けられたこと、私の着物からハンケチと小説が落ちたこと。
そうして、私を強く責め立てる紀美子様のこと。

事実を包み隠さず話していくうちに、トメさんの顔色はだんだんと青ざめていった。


トメ
「き、紀美子様……指輪は私が責任をもって探します。ですから、どうかこの場は……」

紀美子
「トメが? そうね、まあ……トメが探すならいいわ。けれど、もし出てこなかった場合はもちろん、トメが責任をとるのでしょう?」

ハナ
「なっ……」

 

残虐な笑みそのものだった。
紀美子様は恐ろしい笑顔を浮かべながらトメさんへと問いかける。
しかし、トメさんは表情を一瞬たりとも変えること無く、静かに紀美子様を見つめ返した。

 

トメ
「ええ、もし指輪が出てこなかった場合は……全ての責任をとって私はお屋敷をさらせていただきます」

ハナ
「え……トメ……さん?」

清人
「待てトメさん。そう早まるな。そもそも、ここに落としたという確証すらない。そんな状況下で何故、そんな結論に至るんだ」

トメ
「申し訳ございません、若旦那様。しかし、疑いの段階でハナをこれほどまでにされては、親御さんから預かった身としては示しがつきません」

紀美子
「はぁ? 預かった? この女は貧乏な家から売られてきたも同然でしょ!」

トメ
「まさか……。そのようなことがあるわけもございません。ハナは年季があければ親御さんの元へ戻るでしょう。それまでは私が責任を持ちハナを育てなければならないのです。ハナの不始末は私の不始末。ですので、指輪が見つからなかった場合は私もお屋敷を去ります」

 

一歩も引かぬ態度でトメさんが言葉を続けると、さすがの紀美子様も押し黙るしかなかった。

 

清人
「トメさん、この場はひとまず落ち着いてくれ。母様、本当にここに指輪を落としたのですね?」

千代
「清人さん、母を疑うつもりですか」

清人
「いいえ。ただ、この指輪の問題に関してはハナさんとトメさん、2人の人生がかかっています。ですので、正確な事実を教えていただきたい」

千代
「…………。指輪は探さなくて結構。トメたちも屋敷へ戻りますよ」

紀美子
「お母様!?」

千代
「いいから来なさい。紀美子」

紀美子
「……疑いが晴れるまで、これは預かっておくわ」

 

憤慨したままの紀美子様は、私のハンケチと小説を手にしたまま渋々奥様の後ろを歩く。
私はただそれを、呆然と見ることしか出来なかった。

 

ハナ
「あ、ハンケチと小説……」

 

ようやく、声が出たのは紀美子様たちがお屋敷の中へと入ってからだった。

 

トメ
「私たちも戻りましょう。ハナの手当もしなくてはなりませんからね」

清人
「ああ、そうだな。ハナさん、歩けるか?」

ハナ
「はい……」

 

若旦那様に支えられながら歩く。
足も相当に打ち付けられたのだろう。歩くたびに、ズキズキと痛む。

 

トメ
「……あら、これは……」

清人
「トメ、どうかしたか?」

トメ
「いえ、この切れ端……」

ハナ
「植え込みの掃除をしていたら見つけたんです。切れ端と糸くずだけでしたから、捨ててしまおうと思ったのですが」

トメ
「…………」

 

トメさんは、無言でそれを拾い上げる。

 

トメ
「さぁ、戻りましょう」

ハナ
(あの切れ端……なんだったのかしら?)


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紀美子
「あらぁ、遅いお戻りねぇ? 指輪でも盗っていたのかしら?」

 

玄関へ入ると、紀美子様が仁王立ちのまま私たちを不気味な笑顔で出迎えた。

 

清人
「なんだ紀美子。まだいたのか」

紀美子
「ええ。これをハナに返そうと思って」

 

すっと紀美子様が差し出したそれは、直哉さんからもらった物だった。

 

紀美子
「ごめんなさいね、ハナ。ほら、返してあげるわよ!」

 

そういった瞬間、紀美子様はハンケチと小説を床へと叩きつけ、思い切り踏んだのだ。

私は思わず……。

笑い出してしまった。

 

紀美子
「な、なによ。気でも狂ったの?」

ハナ
「ふふ、なんだか……もう全てがおかしくなっちゃって。あっはははは……あははは……」

 

紀美子様の足元にある真っ白なハンケチは、土埃に汚れ、本は……バラバラになっていた。

 

ハナ
(あの小説……読めるように、なるはずだったのに……直哉さんと、約束したのに……)

 

ボタリボタリと、涙が床へと落ちていく。
体の痛みなんて、もう何も感じなかった。
だけど、心が痛い。心が引き裂かれそうな程に……。

 

紀美子
「ほぉら、返してあげる」

 

一通り踏み終えたそれを、足先で蹴飛ばす。
無残な姿になったそれが目の前まで来ると、呼吸さえままならなくなる。

 

ハナ
(どうしてこんなことに……どうして……)

紀美子
「ほら、さっさと拾いなさいよ、貧乏人!」

清人
「紀美子! いい加減にしないか!」

紀美子
「うるさいわね! 拾いなさいよ!!」

 

紀美子様の声が頭の中でガンガン響く。
私の心をズタズタにするように。
ぐちゃぐちゃに、ずるずるに……私の心を潰すように。

 

(私……もう、駄目……)

紀美子
「ほら、拾いなさい!!」

 

その声が引き金だった。
私は、その場から逃げ出したのだ。
若旦那様や、トメさんの静止も聞かずに。

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ハナ
(逃げて……きちゃった……)

 

トボトボと、駅の構内を歩く。
お金もないのに、私は実家へ帰ろうとでもしたのだろうか。

 

ハナ
(今更……体が痛くなってきちゃった……)

 

自分が情けない。
散々、若旦那様にも直哉さんにも大丈夫と言っていたのに……私はお屋敷から逃げ出したのだ。

 

ハナ
(……私、これからどうしたらいいんだろう……)

 

力なく、駅の壁にもたれるようにしゃがみこむと、ふいに私を呼ぶ声が聞こえた。

 

ハナ
(この声……?)

 

 

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◆ 直哉とのエンディングを見たい方はこちら♪
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