『大正浪漫ラヴストーリー』 <第9話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第9話>

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女中1
「はぁ、今日はなんだかいつも以上に疲れちゃったわ」

女中2
「けど、若旦那様があんなこと言ってくれるなんてね」

女中3
「驚いたわ」

女中1
「それもこれも、夏井さんのおかげかしら」

ハナ
「え……?」

 

寝支度をしていると、いつも無駄話をしない女中たちが次々に口を開いた。

その中には、若旦那様の言葉に涙を流していた人も。

 

女中2
「私、今の今まで、ずっと感情を殺してきた。本当はみんなとも話をしたかったけど、余計な感情を持っちゃいけないと思って……」

女中1
「私も。でもさ、なんか若旦那様に言われて……そうだよね、なんで我慢してたんだろうって」

女中3
「そうそう。ほんっと色々耐えられなかったもん。あのわがままお嬢様」

女中2
「これからはもっと伸び伸びと仕事するわ」

 

口々に言いながら、みんな布団にもぐる。
この部屋に、こんなに話し声が聞こえるなんて。
こんなに笑顔があふれるなんて。
お屋敷に来たばかりの頃は思いもしなかった。

 

女中1
「さて、と……それじゃあそろそろ寝ましょうか」

女中2
「ええ、明日からはなんだか頑張れそうな気がするし」

 

いつもと違う、大部屋の夜。
私も微笑みながらみんなに挨拶をして布団へと横になる。

と……どこからか不思議な音が聞こえてきた。


女中3
「口笛……?」

女中1
「やだわ、そうよ。夜中に口笛だなんて……何かしら?」

 

そう。これは口笛だ。
その音はやがてはっきりと私の耳へと入る。

 

ハナ
(この口笛……!)

ハナ
「わ、私ちょっと見てきます」

女中1
「え? でも、もうすぐ消灯時間よ? それに夜中の口笛だもの、何かあったら……」

女中3
「迷信よ。夜に口笛吹いたらなんとか、って言うのは」

女中1
「でも……」

ハナ
「大丈夫ですから。様子見たら、すぐ戻ってきますね」

ハナ
(この音は……この音は間違いなく直哉さん)

 

私は静かに襖を閉め、外へと向かった。

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ハナ
「口笛の音は……」

 

庭に出て耳を澄ますと、風に乗った柔らかな音色が微かに聞こえてきた。

 

ハナ
「こっちね」

 

月の明かりだけを頼りに庭を進むと、
夜風がヒラリと直哉さんの裾を揺らした。

 

ハナ
「直哉さん」

直哉
「ああ、聞こえた?」

ハナ
「ええ。びっくりしました。どうしてここに……?」

直哉
「最近、外でハナちゃんのこと見ないからさ。ちょっと心配になっちゃって」

ハナ
「心配って……だ、駄目ですよ。もし守衛さんにでも見つかったら大騒ぎです」

直哉
「大丈夫だって。オレ、逃げ足速いし。もしバレたらハナちゃんは「不審者を見たから外に出てみた」って言えばいいよ」

ハナ
「それで大丈夫ですか?」

直哉
「大丈夫だと思うよ? オレ、追われなれてるし、捕まったこと無いし」

ハナ
(そう言えば、初めて会った時も追われてたんだっけ)

直哉
「だから心配しないで」

 

そういった直哉さんは庭に広がる林の中へと私を手引した。


直哉
「仕事は……相変わらず?」

ハナ
「ええ、そうですね。でも、私は大丈夫なんで」

直哉
「そういう健気なこと言わなくていいんだってば。オレの前なんだし、愚痴っちゃいなよ」

ハナ
「でも……」

直哉
「……言い難い?」

 

直哉さんがふっと微笑んで私の手を取る。
と、その表情から笑みが消えた。

 

直哉
「包帯……?」

ハナ
「あ……こ、これは……」

直哉
「あのお嬢様に何かやられた?」

ハナ
「…………」

直哉
「ハナちゃん?」

ハナ
「だ、大丈夫ですから」

直哉
「大丈夫、大丈夫って……大丈夫じゃないでしょ?」

 

弱音ははかない。
若旦那様が、みんなが支えてくれる。
だから、意地でもここから逃げ出さない。

そう思っていたのに……私の手を包み込み優しく問いかけてくれる直哉さんに感情を揺さぶられる。

 

直哉
「ハナちゃん、言いなよ。ね?」

ハナ
「……紀美子様に、熱いスープをかけられて火傷しました。あの、でも軽い火傷なんで」

直哉
「軽い火傷だろうがなんだろうが……主が女中に対してそんなことをするのが問題なんだ」

直哉
「あのお嬢様だから……ハナちゃんに非が無いのにそんなことをしたんでしょ?」

ハナ
「……紀美子様にすれば、私の存在自体が失礼らしいですよ」

 

紀美子様に言われた言葉が、あまりにも酷くて、おかしくて、笑い声も同時に漏れた。


直哉
「言ってくれるねぇ、さっすがワガママなお嬢様だ」

ハナ
「今日だって、私に嫌がらせをするためだけに、私を食事係にしたんです」

直哉
「それで、火傷……か」

ハナ
「ええ」

直哉
「ハナちゃんはさ、このままやられっぱなし? 仕返ししてやりたいとか思わない?」

ハナ
「仕返し!? そ、そんなこと考えたこともないですよ」

直哉
「なんで? だって頭こない? 理不尽に火傷を負わされて」

ハナ
「……そういうものだと思っていますから。私は田舎出身の学も家柄もない女。かたや、紀美子様は松乃宮家のご令嬢で女学校にも通っています」

直哉
「それが何か関係あるの?」

ハナ
「え?」

直哉
「学がなけりゃ、家柄がなけりゃ、仕返しも出来ないわけ? そんなのおかしいでしょ。オレなら、するよ。ハナちゃんは火傷をさせられるいわれなんてないんだから」

ハナ
「でも、仕返しだなんて……考えたことありませんでした。そりゃあ、紀美子様の言動に憤りを感じたことは何度もありますけど……」

直哉
「ハナちゃんがしたいって思うなら、オレは手伝うよ? 幸い、あのお嬢様はオレのことをボンボンだと思い込んでるし、オレを悪く思ってないだろう?」

ハナ
「そ、それはそうですけど……
で、でも仕返しなんて……恐ろしいです……」

ハナ
「……仕返しなんてせずに、私はこれからも真っ当に仕事を続けたいです。そうすれば……きっと、いつか紀美子様だって、考えを改めてくれるんじゃないかなって」

直哉
「そんなことあるわけないって」

ハナ
「でも、でも……紀美子様は若旦那様の妹なんです。血が繋がってるんです。若旦那様が、女中のことを考えてくれているように、いつか紀美子様だって……」

直哉
「若旦那様……?」

ハナ
「ええ、このお屋敷のご長男である松乃宮清人様です」

直哉
「ああ、確か松乃宮商会の社長か。確かに、あの人の悪い噂は聞いたことがないね」

ハナ
「ここの女中たちも、若旦那様だけは慕っているんですよ。このお屋敷の良心だって」

直哉
「なるほど。女中仲間の他にもハナちゃんの味方がいるってことだね?」

ハナ
「はい、そうなんです」

直哉
「でー……その若旦那様っていい男? オレとどっちが男前?」

ハナ
「はい!?」

直哉
「教えてよ。オレ、見たことないんだよ。若旦那様とやらを」

ハナ
「断然、若旦那様」

直哉
「うわぁ、断然っとかつけちゃう?」

ハナ
「……お2人共、素敵すぎます」

直哉
「ふぅん。ありがと」

 

月明かりの中で、照れくさそうに笑った直哉さんが見えた。


直哉
「じゃあ、その若旦那様がいてくれるから頑張れるんだ?」

ハナ
「それはー……あると思います」

直哉
「あー……そうなんだ。なんか、妬いちゃうね」

ハナ
「え?」

直哉
「オレはさ、あんたを守りたいって思ってた。けど……同じ屋敷の中にハナちゃんを守ってくれる人間がいるなら……」

ハナ
「な、直哉さんがいてくれたから!」

直哉
「オレが?」

ハナ
「直哉さんがいてくれたから、私は東都に出てから今日まで頑張れました」

 

言いながら、そっと着物の衿からハンケチを出した。

 

ハナ
「直哉さんに、若旦那様……女中のみんながてくれるから、私は頑張れます」

直哉
「たまんないよ、そんな真剣な顔でうれしいこといってくれちゃってさ」

直哉
「……そだね、たとえ若旦那様がハナちゃんを守ってたって、オレはハナちゃんを守るって約束したんだから、まっとうしないと」

直哉
「ってことでさ、これあげるよ」

 

袂をガサゴソと確かめ、そこから取り出したのは1冊の本。

 

ハナ
「あの……これは?」

直哉
「本。小説だよ、オレの書いた」

ハナ
「え!? か、書いたって直哉さんが……?」

直哉
「そう。オレね、作家なんだ。っても、人気作家なんかじゃなくって雑誌に小説連載してるぐらいでその日暮らしの作家だけどさ」

ハナ
「え、すご……作家さん!?」

直哉
「えー、そんなに驚く?」

ハナ
「は、はい」

直哉
「んで、まあこの度、オレの本が発売されたわけよ。だからね、ハナちゃんにもらってほしくって」

ハナ
「あ、ありがとうございます。でも……」

直哉
「ん? どうかした?」

ハナ
「私……字が読めないんです。学校、行けていなかったから……」

直哉
「あー……そっか。じゃあ、これがどんな本なのか内容だけ聞いて」

 

木の根元にゆっくりと座った直哉さんは月を見上げながら、ポツリポツリと話しだした。


直哉
「この小説には貧しくても学校へ行けるようになれる、人が人として扱われる。そんな日本の作り方が書いてあるんだよ。あくまでも作り話だけどね。いつか現実になるといいなぁ」

ハナ
「素敵……」

直哉
「そうしたらさ、七越百貨店でいっぱい買い物しよう」

ハナ
「ふふ。あんみつも、たくさん食べられるかしら」

直哉
「友禅染の着物だって、西洋のドレスだってなんだって当たり前のように買えて……誰も貧しさを知らない世界」

ハナ
「直哉さんは、そんな世界を書くことが出来るんですね。うらやましいです」

直哉
「……ねえ、ハナちゃんは休みってあるかい?」

ハナ
「いいえ、ありません。女中の仕事はお屋敷の方々のお世話ですからね。あ、でもトメさんに言えば自由になる時間はもらえますよ」

直哉
「だったらさ、字の練習をしないか? 読み書きを覚えるんだ。きっとハナちゃんの世界が広がる」

ハナ
「読み書きを……でも、私なんかがそんなことを覚えたって……」

直哉
「役に立つ。読み書きは、絶対に役に立つ。だから、覚えよう」

 

ハナ
「ありがとうございます」

直哉
「そんな改まらなくっていいよ」

直哉
「ハナちゃんが字を覚えたら……恋文でも書こうかな?」

ハナ
「こ、恋文!?」

直哉
「はは、冗談だってば。でも、いつかハナちゃんが字を覚えて、オレの小説読んでくれたらうれしいな」

ハナ
「読めるように、なりたいです」

直哉
「ん。オレが読めるようにきちんと教えるね」

 

直哉さんの笑顔は、いつも真昼の太陽みたいだと思っていた。
だけど、月光にも見える、優しい微笑みだった。

 

直哉
「予定聞きに来るから、ええっと、トメさん? に、自由時間とれるか聞いておいて」

ハナ
「はい。わかりました」

直哉
「じゃあね、ハナちゃんも早く部屋へ。明日も仕事でしょ?」

ハナ
「直哉さんも、執筆活動がんばって下さいね」

直哉
「ああ、それじゃあね。おやすみ」

ハナ
「おやすみなさい、直哉さん」

 

軽く手をふり、闇の中へと直哉さんは姿を消した。

 

ハナ
(直哉さんに……本もらっちゃった)

 

ホクホクした気持ちで、私はハンケチと共に本を衿へとしまった。

 

ハナ
(あ、急いで戻らないと。みんなに心配かけちゃう)

 

いつもならとっくに眠っている時間。
私は、急いで女中部屋へと向かう。

と、その途中で何か物音が聞こえた。
木々がこすれ合うような、そんなような音。

 

ハナ
(風もないのに……?)

 

不思議に思ったのだけれど、月が真上へ登るのを見て、確かめることもないままに走った。
 

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