『大正浪漫ラヴストーリー』 <第5話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第5話>

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トメ
「ハナ、ハナ」

ハナ
「は、はい! なんでしょう、トメさん」

トメ
「ああ、いたわね。
掃除はいいから、買い物に行ってもらえないかしら」

ハナ
「買い物、ですか?」

トメ
「ええ、若旦那様に頼まれていたものがあって。書店へお願い」

ハナ
「わかりました」

 

若旦那様と話をしたあの夜。
私は弱音を吐いた。

そのおかげか、落ち込むことはまだあるけれど女中として仕事を続けていられる。

食堂でのお仕事は……まだ、させてもらえていないけど。

 

ハナ
「お買い物、行ってきます」

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ハナ
「いつ来ても、ここは賑わってるなぁ」

 

お買い物には何度か出ているけれど、たくさんのお店に、たくさんの人のここはまだまだ慣れそうもない。

だけど、初めて東都の地を踏んだ時から比べれば、いくらかは都会人らしくなっているのかな。

お屋敷周辺の地理は覚えたし、買い物の仕方だって覚えた。

村に居る頃は……買い物なんてほとんどなくって、畑で出来た野菜を何かと交換してもらっていたばかりだから……。

 

店主
「こちらですね。はい、丁度」

ハナ
「ありがとうございます」

 

最初は、お金の渡し方すらわからなかった。
誰もがそんな私を好奇の目で見てた。

ここに暮らす人は知らないんだ。
未だに、物々交換で成り立ってる場所があることを……。


ハナ
「お買い物は済んだし、早く帰らなっ!?」

 

お財布と本を抱え込んで本屋を後にした時だった。

店先で人にぶつかったかと思えば、今の今まで抱えていたはずのお財布と本がなくなっていた。

 

ハナ
「ひ……ひったくり!?
あっ……あの! ひったくりです!」

 

何が起きたのかわからなくて、錯乱状態で声を荒げる。

だけど、無関心な人たちばかりの行き交うここでは、足を止める人なんていない。

自分で、なんとかしなくちゃ。

あのお財布はトメさんから預かった物。
あの本は、若旦那様がお読みになる物。

なんとしてでも、取り返さないと!

 

ハナ
「待って! 待ちなさい!」

 

ひったくりに驚きながらも、慌てて追いかける。
もちろん、向こうだって必死に逃げて。

だからって諦められない。

それに、私は村の中じゃかけっこだって早い方だった。
足には、自慢がある。

 

ハナ
「返して! 返して!!」

 

息を切らしながら走るのだけれど、
その姿が人の波に飲まれ見失いそうになってしまう。

その時だった。

今の私の心情とは裏腹な、のんきな口笛が聞こえて……。

 

???
「はい、無事に取り返したよ」

 

口笛が消えたかと思えば、男の人が目の前に立っていた。


ハナ
(この口笛……)

???
「これ、あんたのだろ? ハナちゃん」

ハナ
「あっ……直哉さん!」

直哉
「お。俺のこと覚えててくれたの?」

ハナ
「も、もちろんですよ!」

 

聞き覚えのあるあの口笛の正体。
それは直哉さんだった。

駅での雑踏に消えていった、口笛の音色が今目の前にある。

なんだか、うれしくて思わずはにかんだ。

 

直哉
「気をつけなくちゃダメだよ。都会にはおっかねぇ人たちがたーっくさんいるんだから」

ハナ
「そ、そうですね。助かりました。
ありがとうございます」

直哉
「に、しても……偶然だね。買い物?」

ハナ
「はい。若旦那様の本を」

直哉
「へえ、立派に女中さんやってるね」

ハナ
「あ……それは……」

 

直哉さんの言葉に、思わず口をつぐんでしまった。

私は……立派になんて女中の仕事やってない。

未だに、野菜となる覚悟なんてないし、失敗することだって……まだまだ。

今日の行いだって、きっとトメさんに注意されてしまう。

ひったくりに遭うだなんて、私がボーっとしていたからだし……。

 

直哉
「ハナちゃん? どうしたの、そんな落ち込んでさ」

ハナ
「あ、ご、ごめんなさい。なんでもないんです」

直哉
「なんでもないって表情じゃあないけどなぁ。お屋敷での仕事、大変?」

ハナ
「そんなことは……」

直哉
「否定してるような表情には見えないけど?」

ハナ
「…………」

直哉
「松乃宮のお屋敷は、まぁ評判よくないからね」

ハナ
「あの、えっと……どういう意味ですか?」

直哉
「ん?」

ハナ
「その、お屋敷のこと……」

直哉
「あそこは家人がキツイって。だから、女中が入ったってすぐ辞めちゃうってさ」

直哉
「ああ、こんなこと大通りで話すことじゃあないね」

 

そう言った直哉さんが、ふいに私の手をとった。

 

直哉
「ちょっとこっちで」

 

直哉さんの大きな手が私の腕を掴んだ。
かと思えば、細い道へとコソコソ入っていく。


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直哉
「あれだけ人通りがあっちゃ、誰に聞かれるかもわからないし」

直哉
「こんなこと話してんのがバレてハナちゃんの立場が悪くなるのはゴメンだしね」

 

直哉さんに連れられた裏路地は、大通りとは別世界。

なんだか、2人して秘密の場所に来たみたいで少しワクワクした。

もちろん、買い物が終わったのだからすぐにお屋敷に帰るべきなのだろうけど……。

せっかく直哉さんに会えたんだ。
次は、いつ会えるかわからない。
そんな人だし……少しぐらいなら、と甘い心が出てしまう。

 

直哉
「なんでもさ、あのお屋敷じゃあ紀美子様ってお嬢様がすごいらしいって聞くよ?」

直哉
「ま、噂程度の話ならいいんだけどね。庶民てのはお金持ちの悪口大好きだし」

ハナ
「紀美子様のお話……聞かせていただけますか?」

直哉
「ハナちゃんが聞きたいなら」

 

無言のままに頷くと、直哉さんはまるで見てきたかのような素振りで話を始めた。

 

直哉
「お金持ちのお嬢様だから、多少のわがままだなら目をつむるけどさ、女中さんに対しての言葉がひどいんだってね」

直哉
「その人の全てを否定するような言葉。容姿をけなしたり、出身をけなしたり」

直哉
「訛りが強い娘さんなんて、相当バカにされるみたいでね……」

直哉
「最初は我慢するんだ。だけど、心労が重なってある日突然、吹っ切れたように屋敷を逃げるように飛び出す」

直哉
「そんな女中が後をたたないんだ。あの松乃宮は」

ハナ
「……っ」

直哉
「あんたも、紀美子様に何かされてるんじゃないの?」

 

直哉さんの問いに、言葉が絡まっているみたいで返事が出来ない。

 

直哉
「屋敷を飛び出した女中のその後、聞きたい?」

 

怖かった。
だけど……今から直弥さんが話すことはもしかしたら私の行く末かもしれない。

静かに、首を縦に動かすと一瞬ためらいの表情を浮かべた直哉さん。

だけど、ゆっくりと口を開いた。


直哉
「屋敷を出た女中は、故郷へ戻る。
けれど……大抵は家に入れてもらえずに、また東都の地を踏むんだ」

ハナ
「家に、入れてもらえない……?」

直哉
「そりゃそだろうね。家族にとっちゃ可愛い娘。だけど……大事な稼ぎ頭なんだ」

直哉
「それに、年季奉公で出した娘を家になんて置いておいたら村八分にあうだろうしね」

ハナ
「っ……」

直哉
「結局、その女中は東都に戻って……体を売るようになる」

ハナ
「体……?」

 

能面のように表情を崩さない直哉さんの言葉に背中がゾクリとした。

 

直哉
「逃げ出した女中なんて、どこの屋敷だって雇っちゃくれない」

直哉
「……となると、住む場所も保証されてて働ける場所なんて吉原ぐらいしかないんだよ」

ハナ
「吉原……」

 

話には聞いたことがある場所だ。

女中なんかよりもたくさんのお金を貰える仕事だって。

男のお客さんにお酌して話すだけの仕事だって……そう聞いてたけど……。

 

ハナ
「吉原って、体を……売る場所なんですか?」

直哉
「ああ。ま、売られてくる女たちはそんなことも知らないままに大門をくぐらせられるんだけど」

ハナ
「大門?」

直哉
「吉原大門。吉原の女郎は、一度その門をくぐれば二度と出られないって言われてるんだ」

直哉
「……女中よりも、辛い仕事だ」

 

悲しそうに視線を落とした直哉さん。

 

直哉
「だからって、松乃宮の女中を無理に続ける必要もない」

ハナ
「……でも、そうしたら家族は食べていけなくなっちゃうじゃないですか」

直哉
「……そうだね」

 

諦めたようにため息をついた直哉さんは曇らせた視線で私を見た。

 

直哉
「いつだってそうだ。辛い思いをするのは女ばかり」

直哉
「どうしたって、俺だけじゃ救いきれない……」

ハナ
「救う……?」

直哉
「そう、言ったでしょ。俺はあんたを守るサムライだって」

ハナ
「あ……」

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直哉
「オレは、ハナちゃんの正義の味方だよ。あんたを守るサムライってとこかな?」

ハナ
「さむ……らい?」

直哉
「なーんて、時代錯誤だね。
……あんたにとって、この上京がいい思い出になるといいんだけど」


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直哉
「けどさ……誰も救えない」

ハナ
「私は、救われてます」

直哉
「ハナちゃん……」

直哉
「……なんか、シラケちゃったね。ごめんごめん」

 

急に声の調子を変えた直哉さんは、いつもの笑顔に戻った。

 

直哉
「あー……ジメジメした話しちゃったお詫び。あんみつでも食べに行こう」

ハナ
「え? あ、あの、でも……」

 

さすがに、もうお屋敷に戻らなくてはならない。

 

直哉
「大丈夫だって。街で変な人に絡まれましたーとでも言っておきなよ」

ハナ
「あ、いえ……あの……」

 

行かないって言わないと。
帰るって言わないと。

それなのに、直哉さんの話が聞きたい。
もっと、私の知らない世界を教えてほしい。

その欲求が私をその場へと留まらせた。

 

直哉
「ねえ、ハナちゃん……今日は俺に愚痴っちゃいなよ」

ハナ
「ぐ、愚痴なんてそんなっ」

直哉
「ないわけじゃ、ないでしょ?」

ハナ
「……直哉さんの言うとおりです。私も、直哉さんの言葉通りの人生になっちゃうのかなぁ」

 

ぽつりと零れた本音。
その言葉を拭うように直哉さんの手が、私の頬を撫でた。

 

直哉
「ハナちゃんは、守るよ。今まで守れなかった人の分まで、守りたい」

ハナ
「え……?」

直哉
「上京したての子と話したの、初めてだったんだ。純粋無垢で、何も知らずに東都に出てきた子」

直哉
「そりゃ、出稼ぎ娘となら話ぐらいしたことあるけど……その子たちはいい意味でも悪い意味でも都会に馴染み過ぎちゃってる子たちでさ」

直哉
「ハナちゃんはまだ、都会に染まってない。だから……守りたいって思っちゃって」

直哉
「せめてハナちゃんだけでも……辛い思いをさせたくない」

直哉
「なーんてね。俺、何言ってるんだろ。ね、それより行こうよ。ほら」

ハナ
「あっ」

 

有無も言わさずに、直哉さんが私の手を取り歩き出す。

なんだか、心がポカポカする。

 

ハナ
(面と向かって……男の人に守りたいだなんて言われちゃった)


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直哉
「ハナちゃんはあんみつ好き?」

ハナ
「はい。って言っても私が食べたことあるあんみつは……大層なものじゃないです」

直哉
「今から行く店のあんみつ、すっごいおいしいからきっと気に入るよ」

ハナ
「あ、で、でも……高いですか?」

直哉
「えー? 俺から誘ったんだから金の心配はしないでよ」

 

ハナ
「悪いですよ」

直哉
「遠慮しないでって。あんみつぐらいおごらせて」

 

直哉さんははにかみながら足を進める。と、一軒のお店の前で足を止めた。

 

直哉
「ここ。西洋風な建物なのに、あんみつ食べられるんだ」

ハナ
「へぇ、そうなんですか」

 

期待が大きく膨らむ中、直哉さんが扉を開けようとすると……ちょうど店内から人が出ようとしたのか、扉が空いた。

瞬間……私の顔から笑顔が消えた。

だって、だって……お店から出てきたのは紀美子様。

 

紀美子
「あなた……何をしているのかしら?」

ハナ
「っ……」
 

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