『大正浪漫ラヴストーリー』 <第6話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第6話>

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直哉さんに連れてきたもらえたお店。
その中から出てきたのは……。

 

ハナ
「紀美子様……」

紀美子
「仕事中のはずよね?」

 

私と直哉さんを舐めまわすように見たあと、鋭い視線を向けてみせる。

 

紀美子
「あらぁ、仕事をほっぽりだして殿方と逢引? あなたが?」

紀美子
「どこの田舎かもわからないようなわからないただの女中がねぇ」

 

以前のように金切り声で怒鳴り散らす、と言うよりは嫌な笑みを浮かべながらまとわりつくように言葉を並べる。

 

紀美子
「なんとか言ったらどうなの?」

ハナ
「っ……」

 

今ここで答えないといけない。
だけど、紀美子様に対する恐怖心があまりにも大きすぎて声を出すことができない。

 

紀美子
「それにしても、学のない女中は成熟が早いのね。男にうつつなんて抜かしていないで仕事でも覚えたらどう?」

紀美子
「こんな女中にすらお給金を支払わないといけないんですものねぇ……」

紀美子
「はぁ、お母様に言っておいたほうがいいかしら。そうね、そうしましょう」

紀美子
「仕事もロクにしないで男と遊び歩いてる女中なんて我が松乃宮の家には必要ないわ」

ハナ
「遊び歩いていません」

 

毅然とした態度で答えた。
足は震え、声だって……小さいままだったけど。

きちんと事実を伝えなければならないから。

 

紀美子
「あらぁ、主にむかっての口の聞き方がなってないわね?」

 

紀美子様の言葉に、再び私は口を閉ざしてしまった。

野菜となる覚悟が必要なのだ。
家族を養うためには……。

 

紀美子
「ああ、そうだ。女中の仕事よりあなたは身売りでもしたらいいのよ」

紀美子
「四六時中、その体を男に売っていたら家族にだって存分にお金をあげられるでしょう?」

紀美子
「うん、そうだわ。その方がいい。あなたは女中の仕事なんて全然出来ない木偶の坊だもの」

紀美子
「男に股でも開いていなさいよ」

ハナ
「っ……」

 

松乃宮のご令嬢とは思えないほどの下品な言葉がつらつらと並べられ……思わず目を見開いてしまう。

すると、直哉さんが静かに笑い出した。


直哉
「ああ、すいませんね。どうやらお嬢様に誤解をさせてしまったようで」

直哉
「あんたは、このお嬢様のところの女中さんだったんだね」

ハナ
「え……?」

直哉
「お嬢様のところの大事な女中を連れ回してしまって、すいません」

 

突然話しだした直哉さんの言葉の意味がまったくわからない。

呆然と直哉さんを見やると……片目をパチパチ動かしながら私に何かを伝えようとしている。

 

直哉
「それにしたって、いやー助かりました。いえね、実はこの女中さんにハンケチを拾ってもらいまして」

直哉
「親父さんからもらった大切な物だったので助かったんです」

 

そう言った直哉さんが胸元から上等な包みを取り出した。

 

紀美子
「まあ、七越百貨店の……」

直哉
「ええ、親父さんがあの百貨店の顔なじみで。お前もこれぐらいの物を持ってろって渡してくれたんですよ」

直哉
「まあ、普段こんな風貌の俺ですからね、親としちゃあ上等な物を持たせたかったんでしょう」

 

直哉さんの言葉が終わると、紀美子様は目をキラキラと輝かせながら七越百貨店の包みをしっかりと見た。

この界隈にあるとても大きな百貨店だ。

私も、買い物を頼まれ何度か足を運んだけれど……到底庶民には手も足も出せないような品物ばかり。

 

紀美子
「お父様、ご子息にそんな素晴らしいハンケチを持たせるなんて立派な方なのですね」

直哉
「いやいや、ただの古い家の当主なだけで。暇さえあれば百貨店に行ったり観劇に行ったりする年寄りですよ」

紀美子
「まあ、百貨店に観劇!」

 

紀美子様は私など眼中にいれず、直哉さんの話を聞き入っている。

直哉さんも直哉さんで、いつもとはなんとなく違う雰囲気で言葉を並べる。

どれも……私たちの感覚からかけ離れている言葉だけど。

 

直哉
「最近じゃ、別荘を買いあさっていましてね。色んな地方の特産品を持って帰ってくるんですよ」

直哉
「って、すみません。父の話ばかり」

紀美子
「いえ、いいんですのよ。もしよかったら、あなたのお話も聞かせてくださらない?」

直哉
「俺の話はつまらないですよ。ただの道楽息子ですから」

直哉
「に、しても美しいお嬢さんだ。こんな方の元で働けるあんたは幸せ者だな」

ハナ
「え!?」

 

直哉さんが目配せをしながら私に話題を振った。

 

ハナ
「そ、そうですね」

 

直哉さんの話に合わせるように小さくうなずく。

きっと、あの目配せは……話をあわせろという意味だろう。

 

直哉
「いや、本当に幸せ者だ。しかし、この女中さんにお世話されてるお嬢さんも幸せ者ですね」

紀美子
「あら、どういうことかしら?」

直哉
「この女中さんはきっと仕事が出来るんでしょうね。今も、買い物を頼まれた物をしっかりと腕に抱いて」

直哉
「このご時世、物騒ですからね。ひったくりにだってあってしまう。それを見越してしっかりと腕に抱くなんて」

紀美子
「買い物?」

ハナ
「は、はい。えっと……」

ハナ
「若旦那様の頼まれた物です」

紀美子
「お兄様が? そう」

直哉
「まあとにかく素敵なお嬢さんに、よく出来た女中さんだ。2人もうらやましい」

直哉
「おっと、長話が過ぎてしまいましたね。ハンケチを拾ってもらったお礼にここでご馳走させてもらおうと思ったんですよ」

直哉
「しかっし、女中さんもお忙しい身でしょうからね。いつまでも俺が独り占めしてちゃあいけませんね」

直哉
「それに、お嬢さんも女中が同じ店なんてのも示しがつかない」

 

直哉さんは紀美子様も私も口を挟めないぐらいに話し続け、そうしてそのまま私の肩を抱いて店を出た。

何がどうなっているのかまったくわからず私は直哉さんに連れられそのまま歩いて……。


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直哉
「やっと話せる」

 

路地へとやってきた。

 

直哉
「噂通りのお嬢様って感じだったね」

ハナ
「え?」

直哉
「ほら、ハナちゃんとこのお嬢様」

ハナ
「あ……」

直哉
「……毎日、毎日、あの人のお世話しなきゃいけないんじゃあ、逃げ出したくもなるね。ハナちゃんは偉い、よく頑張ってるよ」

 

ふっと微笑んだ直哉さんが私の頭を軽く撫でるように叩いた。

 

直哉
「ああいう人間はおだてに弱いからね。俺がうんっと褒めたから今日は機嫌がいいんじゃない?」

直哉
「にしても、今どきの女学生は耳年増だね。男に股開けだなんて」

直哉
「ほんっと、ハナちゃんは辛抱強い子だ」

ハナ
「直哉さん……」

直哉
「ああ、そうだ。これ、受け取ってよ」

ハナ
「え?」

 

直哉さんが取り出したのは、さっきまで紀美子様が目をキラキラさせながら見ていた七越の包み。

 

ハナ
「う、受け取れませんよ! こんな上等な物!」

直哉
「いいんだ。俺は使わないし。ほら、受け取って」

ハナ
「じゃあ……」

直哉
「ああ、でもその包みはバレないように早く捨てたほうがいいよ」

ハナ
「あの、でも……これって直哉さんがお父さんからいただいた物なんですよね?」

直哉
「ん?」

ハナ
「びっくりしました。直哉さんのお父さんって……その、お金持ちの方だったんですね」

 

今までの話しぶりからすれば、直哉さんは庶民生まれの庶民育ちだと思っていた。

私たちほど貧乏ではないけれど、お金持ちらしさなんてどこにもなかったから。

だから……自然と会話ができていたのに。

直哉さんの実情を知ってしまい、なんだか気後れしてしまう。


直哉
「んー? ああ、さっきの話?
あれは、あのお嬢さんを持ち上げるための話」

ハナ
「え? あ、あの……じゃ、じゃあこの七越の包みは……?」

直哉
「それは本当にハンケチだよ。もちろん、七越の。ちょっととある人にもらってさ。けど、俺はそんな上等な物使わないから」

ハナ
「わ、私だって使いませんよ」

直哉
「身だしなみの1つとして、持ってればいいんだよ」

ハナ
(直哉さんから……ハンケチもらっちゃった)

 

それは、初めて私が様式な物を手に入れた瞬間だった。

村にはハンケチ持ってるような人だっていない。

みんな、ボロの着物の切れ端や手ぬぐいだったから。

 

直哉
「……ハナちゃんもさ、憧れる?」

ハナ
「え? 何にですか?」

直哉
「七越みたいなお店の品物」

ハナ
「そうですねえ……憧れはありますけど、私はもっと手軽に買えるような物の方がいいです」

ハナ
「なんて言っても、私なんかが買える物なんてたかが知れてますけど」

直哉
「……いつかさ、いつか……七越で買い物したいね」

ハナ
「ふふ、どうしたんですか?」

直哉
「誰もが当たり前のように、身分関係なく七越で買い物が出来るような時代が……来ればいいなと思って」

ハナ
「身分関係なく……難しいですね」

直哉
「けどさ、昔は難しいって言われてたことだって今は出来るようになってるよ?」

ハナ
「……?」

直哉
「ほら、汽車なんてそうだと思わない? 昔はどこに行くのだって人間の足だった」

直哉
「それが今は、汽車も車も、バイクだってある」

直哉
「……だから、これから先ならこんな世じゃなくなるんじゃないかなって」

ハナ
「あ……そ、そうですよね」

直哉
「それがいつになるのかわからないけど。俺はね、そういう日が来るの待ってるんだ。それまで生きてられたらいいな」

直哉
「貧富の差が無くなって、望んでもない仕事につく娘さんたちがいなくなる世の中……」

ハナ
「……私も、そんな世の中を生きてみたいです」

直哉
「みんなが当たり前のように学校に行けてさ、誰もが学校帰りにさっきのお嬢さんみたいにお茶に寄れたりして」

ハナ
「ふふ、そんな世の中ができたら素敵ですね」

 

直哉さんの語る夢物語に、笑顔になってしまう。

もしそんな世なら……私は……。


直哉
「もしそんな世なら、ハナちゃんどうしてた?」

ハナ
「そうですね、女学校へ行って卒業したら……それでも、きっと家の手伝いでしょうね。私、畑仕事ぐらいしか出来ないですし」

直哉
「それは違うよ。学べば多くのことを知る。畑仕事以外の仕事だって知ることが出来る」

直哉
「例えば、医者になったりとか教師になったりとか」

ハナ
「田舎の女が……そんな大層な職業に憧れることが許される世の中……想像出来ませんね」

直哉
「ハナちゃんは欲がないなぁ。言うだけならタダだって」

ハナ
「そうなんですけど、私は知らないことが多すぎるから……欲を言うことも出来ないんですよ」

直哉
「っ……そう、だね」

 

戸惑いの驚きの表情を一瞬だけ見せた直哉さん。

 

ハナ
(私、何かおかしなこと言っちゃったかな……)

直哉
「俺、やっぱりハナちゃんに会えてよかったと思ってるよ」

ハナ
「えー? どうしたんですか、いきなり」

直哉
「ううん。あんたは、俺にない感性を持ってる。あんたと話してると気づかさせられることが多いんだ」

ハナ
「……? そうなんですか?」

直哉
「うん、そう。ああ、ってごめん。また話し込んじゃった」

ハナ
「あ! そうだった、私お買い物に出てきただけだったのに……!
ごめんなさい、直哉さん! 失礼します!」

直哉
「気をつけてね。また、会おう……って、もう聞こえてないか」

 

トメさんから預かったお財布。
若旦那様に頼まれた本。
そうして、直哉さんからいただいたハンケチを抱きながら、私はお屋敷まで一目散に戻るのだった。
 

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