『大正浪漫ラヴストーリー』 <第3話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第3話>

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あの日、清人さん……松乃宮の若旦那様に連れてきてもらえたこのお屋敷。

早いことに、あれから数週間の時間が経っていた。

不安がってはいたけれど、あまりの目まぐるしさに全ての感情が吹き飛んでしまいそうな日々だ。

 

ハナ
(でも、どうにか女中として働かせてもらえているし……これからも大丈夫だよね)

 

――なんて、今はそんなこと思っているけれど、このお屋敷についたその日は大変だった。

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清人
「こちらが、この屋敷で一番長く勤めてくれているトメさんだ」

清人
「まあ、しばらくはトメさんに習って仕事を覚えればいい」

ハナ
「は……はい」

 

清人さんが、松乃宮の人間だということお驚きが未だにおさまらないままに、私は女中が生活をする離れへと案内された。

お屋敷とは通路続きの日本家屋だ。

清人さんは狭い場所だが辛抱してくれと言っていたけれど案内された離れは私の家より、はるかに立派だった。

そうしてそこで待っていたのは、貫禄のある1人の女性。

私の母さんよりも更に年配のその人は、不機嫌にこちらを睨んだ。

 

トメ
「まったく、予定時間より大幅に遅れたかと思えば若旦那様と一緒だなんて」

トメ
「そんなことで、これから松乃宮のお屋敷で勤められるとでも思っているのですか?」

清人
「まあまあ、トメさん。こうして屋敷まで辿り着いたのだからいいだろう?」

トメ
「まったく……仕方ないですね、若旦那様に免じてこれ以上は言いません」

清人
「ああ、よかった。では、ハナさん私はこれで」

ハナ
「はい、ありがとうございました。清人さん」

 

部屋を出ようとした清人さんに、慌てて頭を下げたその時。

部屋に響き渡るようなキンキン声が私の耳をつんざいた。

 

トメ
「きっ……清……ちょっとあなた! 若旦那様をそのように軽々しく呼んではなりません!」

トメ
「この方は、これからあなたの主となるお方! 若旦那様とお呼びしなさい!」

ハナ
「はい、わかりました」

 

確かにそうだ。
主であることを知らなかったから名前で呼んでいただけ。

このお屋敷の方なのだから軽々しく呼んではいけない。

 

清人
「はは、それぐらいで目くじら立てることではないだろう? 呼び方だっておいおい慣れていけばいいことだ」

トメ
「若旦那様がそうやって甘い態度をとれば規律が乱れます!」

清人
「まあ、それはそうだが……。
すまない、ハナさん。トメさんの言葉に従ってくれ」

トメ
「若旦那様! 女中に謝るとは何事ですか!」

清人
「まったく、トメさんの耳と言葉はいつまでたっても達者だ」

 

そう言いながら、静かに笑った清人さんは
パタンとふすまを閉めた。
そうして、だんだん遠くなっていく足音。

足音が聞こえなくなるとトメさんは咳払いをした。

 

トメ
「夏井ハナ、でしたね。このような粗相は今回限りにしなさい」

ハナ
「は、はい」

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ハナ
(トメさん怖かったよなぁ……)

 

それからは、トメさんに仕事を教わり、今では2階の廊下を1人で掃除出来るまで成長した。

 

???
「手が止まっていますよ、ハナ」

ハナ
「!! トメさんっ」

トメ
「ハナ、今日は食事の支度を手伝ってください」

 

背後からかかった、トメさんの声に思わず背筋を伸ばしてしまう。

 

ハナ
「食事の、支度ですか?」

トメ
「ええ、いつまでも掃除だけをさせておくわけにもいきませんからね」

トメ
「ここの掃除が終わったら、1階に行きなさい。あなたと同じ年頃のカヨという女中がいますから、仕事を教わって」

ハナ
「わ、わかりました」

ハナ
(掃除だけしてるわけにもいかないんだ……)

 

考えれば、当然なのだけれど。

このお屋敷の1部屋が私の家ほどの大きさなのだから。

 

ハナ
(それにしても、お食事の支度かぁ。どんな感じなんだろう)

 

松乃宮のお方たちのお食事だ。
きっと、私が見たこともないような内容だろう。

 

トメ
「ああ、そうそう。きっとお食事処で奥様と紀美子様に会うことになるかと思います」

 

はっとした表情で、去りかけたトメさんが言葉をかけた。

 

ハナ
「奥様……紀美子様?」

トメ
「ええ、若旦那様のお母様に当たる千代奥様。若旦那様の妹君である紀美子様です」

トメ
「あなたは、掃除ばかりでしたからまだお会いしたことがないでしょう?」

ハナ
「そうですね。というか、若旦那様以外の方にまだお会いしていません」

トメ
「そうね、旦那様はお仕事で今はお屋敷にいませんから。旦那様にご挨拶を伺うのはまた後日でもいいとして……」

 

言いかけたトメさんが視線を落とした。

 

トメ
「本日の夕食の際に奥様と紀美子様にはご挨拶していただきます」

ハナ
「は、はい」

トメ
「……くれぐれも、自分が女中であることを忘れてはなりませんよ。奥様も紀美子様もハナの主なのですから」

ハナ
「……?」

 

意味のありそうな言葉をトメさんがこぼす。
けれど、それ以上は何も言わずにその場を去っていってしまった。

 

ハナ
(どういう意味だろう……)

 

若旦那様の母親、妹にあたる人なのだからきっと素敵な人に違いない。

それなのに、トメさんのあの態度は……。

なんだか胸に不安が渦巻いた。

 

ハナ
(……大丈夫、だよね?)

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掃除を終えた私は、トメさんに言われた通り1階へ行くと食堂へ案内された。

 

ハナ
(私と同じ年頃の……ええっと、誰さんに教わればいいんだっけ)

ハナ
(カヨさんって言ってたよね)

 

年頃も同じぐらいだと言っていたから……

 

ハナ
(あの人かな?)

 

そう思い、1人の女中さんと目を合わせるとニッコリとした明るい笑顔を向けた。

 

???
「あんたが、夏井ハナさんだね。あたしは三村カヨ。よろしくね」

ハナ
「あ、よろしくお願いします……」

 

カヨさんの笑顔に圧倒され、私はおずおずと頭を下げた。

 

カヨ
「ああ、そんなかしこまらないでって。
トメさんに聞いたけど、年が同じみたいだしさ、仲良くやろうよ」

 

なんとなく、男まさりな空気を持つカヨさんは人懐っこい笑顔で私を見てくれる。

 

カヨ
「ああ、でね、さっそくお願いしたいんだ。
厨房へ行ってお料理を運んできて」

ハナ
「は、はい。わかりました」

 

カヨさんは、私がこのお屋敷で出会った他の女中さんとは違い、厳しさを感じなかった。

他の人は、笑顔だってそうそう見せない。
女中部屋ですれ違ったって、軽く会釈をするだけで。

女中ってそういうものだと思っていた。
常に厳しく、主のためだけに奉仕する仕事だって。

けれど、カヨさんからはそんな雰囲気など感じなかった。

周囲の人にも気楽に話しかけて、かといって手が止まってるわけでもなくてお仕事はきちんとしている。

とても、同じ年には思えないぐらいに仕事が出来る人だ。

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カヨ
「うん、無事に支度が終わったね」

 

短時間の間に、たくさんの仕事を詰め込んだ食事の支度が無事に終わる。

大きな失敗はなかったけれど……持ってくる料理を間違えたり食器を間違えたりしてカヨさんには少なからず迷惑をかけてしまった。

それなのに、カヨさんは怒るでもなく笑顔で許してくれる。

そうして、無事に終わった食事の準備。

トメさんが奥様と紀美子様を呼びに行ったところだ。

 

カヨ
「奥様と紀美子お嬢様は食事の後に紅茶を、若旦那様は珈琲を召し上がるから、それを用意して」

ハナ
「珈琲?」

カヨ
「うん。厨房にあるから」

ハナ
「えっと、珈琲って……あの、名前ぐらいしか聞いたことがなくて……」

カヨ
「え?」

ハナ
「珈琲も紅茶も村には無かったから……」

カヨ
「ああ、あたしもそうだったよ。ここのお屋敷で初めて見たもん。大丈夫、用意するのは他の人だし」

ハナ
「あ、そうなんですね。よかった」

カヨ
「とりあえず、食事が終わりそうになったら厨房へ取りに行って」

ハナ
「はい」

 

そんな話をしていると、食堂内で仕事をしていた女中さんたちが一斉に姿勢をただし、端に並んだ。

私もその通りに並んだけれど……先程までとは一変、食堂内に緊張が走る。

カヨさんですら、笑顔を消し食堂のドアを見据えている。

そうしていると、コツン、コツン、とゆっくりした足音が聞こえ始め、ドアの前で止まった。


???
「今夜は甘鯛だそうね」

 

言いながら、西洋風な装いをした女性が食堂へ入ってくる。

 

???
「またお魚? あたくしお肉が食べたいわ」

 

続いて入ってきたのは、きらびやかな模様の着物を身にまとった若い女性。

 

ハナ
(あの人たちが奥様と紀美子様……か)

 

想像と違っていた。
鋭い目つきでにこりともしない奥様。

紀美子様は面倒臭そうに椅子に腰掛けて大きなため息をついて……。

若旦那様とは、何もかもが違う2人に、トメさんの言葉が脳裏をよぎった。

 

カヨ
「若旦那様はまだお見えにならないのかな」

ハナ
「え?」

 

カヨさんの小声にドアを見るとしっかりと閉められていて、2人は食事を既に始めていた。

 

ハナ
(……若旦那様に会えると思ったのに)

 

ここに連れてきてもらった日以来、私は若旦那様と顔を合わせていない。

きちんと働けている姿を見て頂きたかったのだけれど……。

 

カヨ
「あれ? 途端に元気無くなっちゃったね?
あ、もしかして若旦那様に会えるの期待しちゃってた?」

ハナ
「期待、というか……まあ」

カヨ
「歯切れの悪い返事だなあ」

ハナ
(若旦那様のこと考えてたら……直哉さんのことも思い出しちゃった)

 

あの日の上野駅のことを思い出すと、なんだか頬が緩んでしまう。

直哉さんにも、伝えたい。

私がきちんと働けていることを。

 

カヨ
「確か、あんたなんだよね。若旦那様が探しに行った女中って」

ハナ
「え?」

カヨ
「時間になっても来ないから、誰かが迎え行こうとしたんだけど、そうしたら若旦那様が買い物ついでに見てくるって」

ハナ
「そ、そうだったんですか?」

カヨ
「そ。みんな止めたんだけど、そのまま行っちゃって。急にのことだったからトメさんにも言ってなくてさ」

カヨ
「だーからあの日、若旦那様が迎えに行ったのバレちゃってすんごい怒られたんだよ」

ハナ
「そんなことが……ご、ごめんなさい」

カヨ
「あー、あんたのせいじゃないんだって。言わなかったあたしが悪いんだよ。だから、気にすんな」

 

にんまり笑ったカヨさんが、私の肩に手をかけた。

そんな私たちの小声の中、食堂にはナイフやフォークの音が静かに響く。

親と子のはずなのに、奥様も紀美子様も特に会話もなく食事をすすめていた。


紀美子
「あー、もういらないわ。お魚なんて食べた気がしないんですもの」

 

ガシャンと甲高い音を響かせた紀美子様が大きな声で言った。

その音に驚き、肩を大きく動かしてしまったのは私ぐらいで、他の女中さんたちはまるで人形のようにその場に立っているだけだった。

慣れているかのように。

 

紀美子
「ねえ、紅茶。早く紅茶持ってきて!」

 

紀美子様の怒鳴りつけるような声が聞こえる。
と、同時にカヨさんが私の体をひじで押した。

 

ハナ
「あっ。はい! 今すぐ」

 

転がるように私は食堂を後にし、紅茶を取りに厨房へと向かった。

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ハナ
(驚いた……紀美子様って癇癪を起こすんだ……)

 

若旦那様からは想像がつかなかった。

 

ハナ
(トメさんの言葉の意味……なんとなく理解出来たかも)

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ハナ
「お待たせいたしました」

紀美子
「遅いわよ!」

 

紅茶を持ってくるやいなや、紀美子様は私を睨みつけ、金切り声をあげた。

 

紀美子
「あなた、新入りだそうね?」

ハナ
「は、はい。夏井ハナと申します。よろしくお願いします!」

紀美子
「ふぅん、教養がなさそうねえ。いっくら女中だからってもう少し頭のよさそうな人間がいいわ」

千代
「紀美子、贅沢を言ってはなりませんよ。教養がなかろうとも言われたことぐらいは出来るでしょうしね」

 

まるで、紀美子様の言葉から守ってくれているような奥様の言葉。

だけど、なんだか言葉の端々に悪意が感じられた。

 

千代
「あなた、私にも紅茶を」

ハナ
「は、はい。かしこまりました」

 

紀美子様のカップに紅茶を注ぎ終え、奥様の元へ向かおうとしたその時だった。

視界がぐらりと揺れ、私が手にしていたティーポットが宙に広がった。

 

紀美子
「きゃあっ!!」

 

けたたましい悲鳴。
何が起きたのかわからないままに見上げると、
その顔に、まだ熱を持つ紅茶が降り注いだのだった。

 
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