前編【芦屋道顕】時代に合わせて霊的マナーや縁起担ぎも簡略・変更・廃止じゃあ!(ページ2)

本格的な陰陽道や各種伝統的宗教の権威に加えてマナー講師なども読んだら怒り狂うやもしれぬが、平成生まれのわしが思うに、いや、昭和生まれでも戦後の人々であればだいぶ同じように思うているとは思うが……。

あまりにも古い時代に生まれた霊的なしきたりや縁起担ぎが年中行事となったものは、現代では必要がない・簡略化してよいものもたくさんある。

私事で恐縮じゃが、昨今、料理研究家のリュウジなる人の簡単料理にハマっておってな。(手軽であるが味は抜群、食材も安いものばかりで有り難いのじゃ)

そのリュウジ氏がこんなことを呟いておった。

おせちは年末に仕込んで三が日に家事から解放されるという意味合いが強いので、もう保存の効く食べ物なら全部おせちと言うことにしたい

うちの母と彼女が大いに支持しておったのじゃな。特に母は父の家が旧家でしきたりに苦労してきたゆえ「良い時代になったねえ」としみじみ言っておったな。

まず、竃(かまど)と女性を正月くらいは休ませるという目的からすればすでに完全に不要であろう。

さらにいえば御節は縁起担ぎの最たるもので、子持ち昆布や数の子は子孫繁栄を願う子宝祈願であったり、田作りや黒豆は五穀豊穣を願いさらにマメに働くという日本ならではの勤勉を願うものであったりする。伊達巻と栗きんとんは個人的に好物であるゆえここぞとばかりに買ってきて食べるが、御節の品の揃え方など、現代においても縁起担ぎのためにあれこれ言われたらたまったものではないと思うたのう。

御節に限らず、日本の伝統に価値を感じる人々や神道や仏教の伝来を守り続ける立場の人々であればいざ知らず、一般庶民はもっと楽をしてよいはず。縁起担ぎが目的であればなおさら、「今の時代にそんなことをしても意味がない」ことはいっそやめても何も変わることはなかろう。

ということで、これからは趣味でもなければ止めるか簡略化しても霊的にも運気的にも問題ないものをざっと挙げていくぞよ。

◎御節
→好物のみ出来合いを買えばよいのじゃ。

◎節分の豆まき
→昨今はペットが拾い食いして病院行きなどが怖いのう。後片付けも面倒じゃ。ゆえに、豆を無理にまかずとも掛け声と「鬼は外」は柏手を打つだけでもよいぞ。

◎節分の恵方巻き
前編【芦屋道顕】時代に合わせて霊的マナーや縁起担ぎも簡略・変更・廃止じゃあ!
→昨今は売れ残りの大量廃棄が問題となっておるな。恵方巻きはもともとは遊郭での「太いお客(金払いが良い常連)がつきますように」という縁起担ぎであったそうじゃ。水商売でない人々は遊びで取り入れるならよいが、本気で幸運を招こうと思うているなら無意味であろう。

◎葬儀
→故人が「立派な葬式に。政治家の◯◯さんを呼べ」などと遺言を残していたならばその遺志に従うしかないが、そうでなければ本当に無理に豪華にする必要は一切ないものの一つじゃ。親や己が生前に世話になっていた宗教があるならばその宗派の僧侶に経をあげてもらう、その宗教のやり方で送り出すことは必要であろう。しかし、それらもなければ昨今じわじわと広まっている通夜も告別式もない「直葬」でも構わぬ。さらには、初七日に四十九日に三回忌に七回忌にと、延々とその都度僧侶を読んで多額の布施を払うのも故人の成仏とは一切関係がない。

これはわしが神道だから仏教の教えを軽んじているわけではないぞ。しかも、三回忌などの年忌は儒教からの伝来じゃ。ここしばらく世間では問題視されている、酒を注ぐ時に徳利の注ぎ口以外から注げというビジネスマナーに似た、後年にいつのまにかできた葬儀マナー的なものじゃ。そもそも、仏陀はそのような葬式をしろと経典に残してはいなかったはずよのう。

あの、何度も寺の世話になり布施を出さねばならないルールは、一度葬儀を上げさせればその一家を以降は何回忌かまで、何年後にも「継続課金」させられる永久会員のようなもの、であろう。

また、通夜は厳しい地方や家では「喪服で行くと死を待ちかねていたようで無礼なので喪服ではないグレーか黒の平服で行く」などのルールがある。
前編【芦屋道顕】時代に合わせて霊的マナーや縁起担ぎも簡略・変更・廃止じゃあ!

香典袋には涙で滲んだことを示す薄墨を使うなどもある。いずれも、心がこもっておらず形式だけでやっているゆえこの時代にには不要であるな。

◎墓
→昨今は「墓じまい」もあるそうじゃな。墓がすでにあり、守っていきたいという親族がいるならそれもまたその家系の宿命であろう。
前編【芦屋道顕】時代に合わせて霊的マナーや縁起担ぎも簡略・変更・廃止じゃあ!

しかし、墓がなく、墓に入りたいとも思っていないか子孫がいないならば、無理に持つものではない。むしろ、この世に未練も恨みも残さず去りたいならば、散骨やほかの同じ考えの人々と共に樹木葬のようなものを申し込んでおけば良い。

死後も残る己の骨は、以前にも話したが「魂魄」の「魄」として生前の「念」を留めてしまうことがある。そして、万が一にも不埒な輩がその骨の埋葬地で失礼なことをやらかしたり己の骨を粗末に扱ったりすれば、そのつもりはなくとも「祟る」やもしれぬのじゃ。

死んだ己は魂に戻り、もうすっきりとこの世の憂さと縁を切りあの世の領域でのんびりするか、生まれ変わりて新たな生を謳歌しているにも関わらず、残してきた魄が勝手にこの世で災いの元となるなどたまったものではなかろう。死んでいるからもうどうでもいい、やもしれぬがのう。

さて、日常的な話ではなく人生の節目の大掛かりな話ばかりになったゆえ、後編では、より身近な霊的マナーや縁起担ぎで不要なものをまた挙げてゆくぞよ。


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