『病院の花嫁~愛の選択~』<第6話>~松宮ルート~

『病院の花嫁~愛の選択~』<第6話>~松宮ルート~

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あの家から、とうとう逃げ出してしまった。

もう後戻りできない。

 

松宮
「痛む場所ない?怪我してるのに随分と無理させたな」

美咲
「うん、大丈夫」

美咲
(無理をさせたのは、私……)

 

ついさっきまでいた華やかで豪華なあの屋敷は、私にとって深い洞窟のような暗闇

牢獄だった。

そこから救いだしてくれたのは、ずっと忘れられず想いつづけた初恋の人、松宮浩太。

こんな夢みたいな幸せが舞い降りてくるなんて……。

それなのに、不安で不安でたまらない。

あの家で感じた闇より、もっと深い闇に落ちていく

そんな気さえする。

 

松宮
「絶対に、後悔させない」

 

この人についてきた事を、私は決して後悔しない。

でも……。

この人は、いつか自分の行いを後悔する、そんな想いが私の心を支配していた。

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午前中の診察を終えた惣一朗が、妙に明るい調子で理事長室の扉を開けて入ってくる。

 

惣一朗
「診察終了後、松宮先生が挨拶まわりをすると聞いていたのですが、姿が見えないんですよ」

芳恵
「惣一朗……」

惣一朗
「こちらに顔を出していませんか? 看護師が花束を用意して玄関で待っているんですが」

 

受話器を手に話す芳恵の顔面は蒼白だった。

 

芳恵
「今、鈴恵から電話があって…
あの女、とんでもない事しでかしたわよ」

惣一朗
「美咲が?美咲に何があったんだ!?」


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美咲
「この車、どうしたの?」

 

どんどん大きくなっていく不安をかき消すように、努めて普通の会話を意識した。

 

松宮
「キャッシュで一括購入したんだ」

美咲
「一括で? 高かったでしょ?」

松宮
「中古だし、そうでもないよ」

美咲
「でも」

松宮
「俺だって医者だぞ?そこそこの蓄えはある。
二人で落ち着ける場所を見つけたら、敷金礼金払って数か月は十分生活できるよ」

美咲
(私はこの人に、とんでもない負担をかけている)

松宮
「職はすぐに見つかるよ。大学病院は当然だが、大きな総合病院は避けた方がいいな。」
立川病院と繋がっている可能性がある」

 

こう君は、母校の大学病院の系列で腕を磨き、うちの病院にヘッドハントされた。

脳外科医として、エリート街道を歩んできたのに、そのコースから外れてしまう。

そうさせたのは、私……。

医師の世界は狭い。

もう二度と、これまでいた場所には戻れないだろう。

それを今、口にしてしまうと何かが壊れてしまいそうで怖かった。

 

美咲
「私も、働くわ」

松宮
「一緒に働ける病院を探そう。とりあえず、できるだけ遠くへいこう」

美咲
「えぇ」

 

松宮先生の携帯がなった。

 

美咲
(この着信音……
病院との連絡用に支給されている携帯だわ)

松宮
「しまった! 急いで出てきたから、病院に返却し忘れたよ」

 

電話をかけてきたのは、きっと……。

 

松宮
「どうする? 出てもいいかい?」

美咲
「……はい」

 

路肩に車を停めると、こう君は深呼吸して携帯にでた。

 

松宮
「もしもし……はい、はい、申し訳ありません。
自分なりに覚悟があり行いました」

美咲
(この人に謝らせてはいけない。謝るべきは、私なの!)

 

夫と向き合って、話さなくてはいけないのは私。

責められるのは私。

そう思うと居ても立っても居られず、こう君から携帯を奪っていた。

 

美咲
「私が全て悪いんです!松宮先生を責めないで下さい!」

芳恵
『そんなの言われなくても分かってるわよ』

 

電話の相手は、惣一朗さんではなく、お義母さまだった。

 

美咲
「お義母さま……」

芳恵
「一生許さない…。私の愛する息子を傷つけて。
お前みたいな女を嫁にもらってやったのに、感謝するどころか裏切るなんて」

美咲
「……」

 

地の底から響くような恨みがましい声。

恐ろしくて体が震え、言葉がでなくなった。

 

芳恵
「お前たちのことは地獄の底まで追い詰めてやる!」

 

芳恵は不気味に笑うと、電話を切った。

 

美咲
(お義母さまは、目的を達成する為に手段を選ばない人、こう君を巻き込めないわ)

松宮
「この携帯、落ち着いたら、病院に送らないとな」

美咲
「消印から居場所が分かってしまうわ」

松宮
「そうだな、住む場所と全く違う場所から送ろう」

美咲
「そうね」

松宮
「なんだか、あれだな、ドラマのアリバイ作りみたいだな」

 

こう君の明るい笑顔が、私の胸をしめつけた。

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芳恵、義父、そして鈴恵は困惑していた。

惣一朗が、どんなに取り乱すことか心配したが、予想に反し冷静だったからだ。

惣一朗は普通に夕飯をとると明日はオペがあるから、と早々に寝室に入ってしまった。

 

芳恵
「やっと、目が覚めたのよ」

義父
「それにしても、冷静過ぎやしないか」

芳恵
「ショックで仕事が出来ないよりましよ」

鈴恵
「このままあの二人が幸せになるなんて、なんだか癪ね」

芳恵
「そんなこと私が許すわけないでしょ」

鈴恵
「さすが、お母様」

芳恵
「あの女の思い通りにさせてたまるもんですか」


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あてもなく山道を車で走り峠を越えると、小さな定食屋を見付けた。

客は私達の他、長距離トラックの運転手が数名。

店内に会話はなく、TVの音だけが響いている。

深夜のニュースでは、関西地方の某国立病院が

脳の深部に出来た腫瘍を取り除く新たな手術法の研究論文を発表すると報じていた。

 

松宮
「これ、アメリカでは浸透した手術法でね、手術時間が短くて済むから患者への負担が少ないんだ。
日本でも広がるといいな、この病に苦しむ人の治癒率が高まるよ」

 

こう君が食い入るように、TV画面を観ている。

一線を外れてしまうと、このようなオペには携われないだろう。

 

美咲
(私は愛する人の進む道を、とざしてしまった)

美咲
「…今なら、まだ間に合うわ。引き返せる」

松宮
「どういう意味だ」

美咲
「このまま進んだら、こう君の人生は変わってしまう」

松宮
「引き返す気はない。お互い望んでこうなったんじゃないか」

美咲
「ごめんなさい……私が、余計なことを言ったせいで」

松宮
「余計なこと?」

美咲
「救急で診てもらった時助けて、と言ったから……」

松宮
「ちがう! あの言葉がなくても、俺はこうしていた!」

 

こう君が声を張り上げた時、中年の女性店員がにこやかに笑いながら

私の前にうどんを、こう君の前に定食を置いた。

 

店員
「はいはい、ケンカしない!お腹いっぱいになったら、イライラは飛んでくよ」

 

そのお店の料理は、こう君の部屋で一緒に食べた食事と同じあたたかな味がした。

 

松宮
「これ、うまいぞ、一口食べるか」

美咲
「ほんとだ、美味しい」

 

笑顔で一緒にご飯を食べる。

この人といれば、それが当たり前の日常になるのだろう。

 

美咲
(もう十分幸せ……)

 

いま、胸いっぱいに広がるこの想いがあれば

こう君が私を一瞬でも愛してくれた思い出があれば

この先どんなことがあっても生きていける…


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暗い部屋で、パソコンのキーボードを叩きながら惣一朗は呟く。

 

惣一朗
「僕のどこが奴より劣ってる…なぜあいつを選んだ……」

 

ガチャリ

ドアが開き、芳恵が入ってきた。

 

芳恵
「あなた、何をやっているの」

惣一朗
「出て行ってくれ!」

惣一朗は、全国の大学病院や総合病院宛てに文書を作成していた。

松宮浩太が、病院の備品を持ち出した事

この医師を雇うことに注意を促し、雇用の相談にきた場合は、当院に連絡して欲しい

という内容だった。

 

惣一朗
「こんなことして、卑怯だと笑ってくださいよ」

惣一朗
「恥じも外聞もどうだっていい!あいつは、僕から美咲を奪ったんだ!!」

芳恵
「惣一郎は優し過ぎるわね、こんなの生ぬるいわよ」

惣一郎
「母さん……」

芳恵
「私にまかせなさい」

惣一郎
「母さんにまかせたら何をしでかすか…
これは僕の問題だ!ほっといてくれ」

芳恵
「あなたの玩具、取り戻してあげてもいいのよ」

惣一郎
「美咲を?」

芳恵
「だから、あなたは自分の職務を全うしなさい」

 

惣一郎は、ためらいながらも肯いた。

 

芳恵
「その代り、約束よ。飽きたら捨てなさいね。
そしたらもっと良い物を母さんが買ってあげるわ」

惣一郎
「あぁ、そうするよ。飽きたら捨てる」

 

飽きることなど一生ない

そう確信できる程、美咲を愛している

惣一朗は、母を安心させ協力を得るために思ってもない事を口にした。

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美咲
「ごちそうさまでした」

松宮
「おいしかったです」

店員
「もう喧嘩しちゃだめだよ」

 

女性店員が、笑顔で見送ってくれた。

人と別れるときは、やはり笑顔がいい。

 

美咲
「あ、私、トイレ行ってくるね、先に車に戻ってて」

松宮
「おう、わかった」

 

こう君に、笑顔で手をふると、トイレに向かった。

 

美咲
(さようなら。もう二度と会えなくても……一生忘れない)

 

愛する人には、幸せになって欲しい。

私といたら、不幸になる。


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トイレの横にあった店の裏口からでると、ちょうど山道に入る入口がみえた。

あそこから山道に入れば、こう君に気付かれずに立ち去れる。

数歩踏み出すと、山の暗闇が近づいた。

先は全く見えず、真っ暗な洞穴のような闇があるだけだ。

不思議と怖くなかった。

この暗闇のような場所に、愛する人をつき落としてしまうことを思えば

いっそ1人で落ちていく方が楽だった。

 

松宮
「この辺り、クマ出るらしいぞ」

美咲
「うそ…!」

 

驚いて振り向くと、笑顔でこう君が立っていた。

 

松宮
「冗談だよ、どこにも行くな」

 

涙がこみあげてきた。

 

美咲
「どうして、私がいなくなるつもりだって分かったの?」

松宮
「たかがトイレ行くのに、あんなに手ふって悲しそうに笑えば、誰だって気付くさ」

美咲
(どうして、いつも私の気持ちを見透かすの?だから、つい甘えてしまう)

美咲
「ダメなの、これ以上優しさに甘えられない。あなたをダメにしてしまう」

松宮
「違う! お前がいないと俺はダメになる!もう俺から離れようなんて思わないでくれ…!」

美咲
「こう君……」

 

こう君は私を強く抱きしめ、優しく頭をなでた。

 

松宮
「お前のいない部屋がどんなに寂しかったか。
あんなもの置いていくから……」

 

テニスボールと高校時代に撮った二人で映る写真のことだ。

 

松宮
「高校時代、帰り道でばったり会って近くの公園でよく話したよな」

美咲
「そう、偶然…よく会ったね」

松宮
「偶然じゃないんだ、お前を待ち伏せしてた。
何度も気持ちを伝えようとしたけれど……俺らの関係が変わっちまう気がして」

美咲
(そんな、まさか……)

松宮
「俺は、ずっと、高校の頃から」

美咲
「……」

松宮
「お前のことが好きだ!」

美咲
(私も)

 

そう伝えようと口を開いたが、言葉がでなかった。

こう君の唇が、私の唇をふさいでいたから。

 

美咲
(私、このまま死んでもいい……)

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一晩中、車を走らせ、明け方近くに北関東の小さな田舎町に辿り着いた。

一睡もせず、疲れ果てていたので、マンガ喫茶で仮眠をとることにした。

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壁一面の漫画、フリードリンクに軽食まで揃っている。

個室はもちろん、ペアシートや大部屋もあり、部屋のタイプは座敷やソファーと色々選べることに驚いた。

 

美咲
「すごい、知らなかった。お部屋みたいになってるんだ」

松宮
「大学の時、息抜きによく利用したな。シャワーがある店舗もあるんだ」

美咲
「シャワーまで?」

松宮
「しばらく寝泊りするには最高だろ? 風呂は健康ランドでも行くか」

美咲
「うん」

松宮
「パソコンも使えるし、ここで病院の求人情報が調べられる」

美咲
「脳外科専門のクリニックとかあればいいね」

松宮
「そうだな、その前にまずは部屋だな。
早く二人で落ち着ける場所を探そう」

美咲
「うん」

松宮
「さてと、まずは寝るか」

 

二人で並んで横になるには、少し狭い。

背の高いこう君は膝を折り曲げ、私を包みこむように抱きかかえると、すぐに寝息をたて始めた。

 

美咲
(ずっと運転して、疲れていたのね……)

 

私の髪に、こう君のあたたかな息がかかる。

心地よいぬくもりに、私もすぐに眠りに落ちた。


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それから、2日後――

私達は、安いアパートを借りた。

なんにもない部屋、やわらかな陽ざしが差し込む床に、大の字になって二人で寝転んだ。

 

美咲
「きもちいい」

松宮
「なんもない部屋って、何かいいな」

美咲
「こう君がいれば、なにもいらない」

松宮
「俺も、美咲がいれば」

 

じゃれ合うように、抱き合って笑った。

 

松宮
「とはいえ、少しは生活に必要なもの買わないとな」

美咲
「まずは、カーテン、調理器具とベッドね」

松宮
「いや、布団の方がいいよ」

美咲
「どうして?」

 

すっかり幸福に酔いしれる私は素直に疑問を口にすると、
こう君は真顔で答えた。

 

松宮
「逃げる時、布団の方が便利だろ」

 

そうだ、私達は逃げている。

落ち着いて住める、安住の場所などないのだ。

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最低限の調理器具と調味料が並ぶキッチン。

小さな冷蔵庫。

小さなテーブル、カラーボックスが二つあるだけの部屋。

カラーボックスは、それぞれの私物を入れるために購入した。

今日買った下着や衣類の他、私の方には化粧品。

こう君の方には、医学書や医療関係の資料が並んでいる。

自宅から最低限持ち出してきたようだ。

 

美咲
(如何なる時もこの人は医師なんだ。惣一朗さんだってそう……)

 

外科医は、精神的にも肉体的にも疲労が多い。

 

美咲
(私がいなくなって、惣一朗さん、どうしているかしら……仕事に支障をきたしてなければいいのだけれど……)

 

逃げ出してから、初めて夫の事を考えた。

 

美咲
(なんて薄情なんだろう、私……)

 

でも、惣一朗さんは私を愛していない。

気まぐれで結婚したがった気がする。

そうでなければ、あんなに私に無関心でいられるはずはない。

こんなの、言い訳でしかないけれど……。

ブーン、冷蔵庫のモーター音がここに生活が生まれた。と、教えてくれた。

 

美咲
(この人と、生きていきたい)

 

そう想って、こう君の顔を見ると、こう君もこちらを向いていた。

私達は見つめい、激しい口づけを交わした。

 

松宮
「美咲……いいか?」

美咲
「……はい」

 

こう君は、優しく服を脱がせると、体を重ねてきた。

私の心から、不安は消えていく。

あぁ、私の中に幸せが満ちていく。

私達は、その夜、初めて結ばれた。


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翌日――

脳神経外科がある小さな個人病院の面接を受け、私たちは二人とも採用が決まった。

 

松宮
「お互い、明日から勤務か」

美咲
「こんな、すんなり雇ってもらえるなんて」

松宮
「医師や看護師が不足しているんだろう」

 

経歴についてはほとんど聞かれず、「HPに掲載するから」と写真を撮られたのが、気になる。

 

美咲
(医師のこう君は分かるけど、どうして私まで?)

 

私の疑問に院長は「HPを見た患者さんに安心感を与えるためだ」と説明したけれど…

こう君は、私の違和感を吹き飛ばすように明るく振る舞ってくれる。

 

松宮
「そうだ、今晩はすき焼きにしよう!」

美咲
「すき焼き?」

松宮
「この前、食べれなかっただろ?今日は二人の就職祝いだ」

 

私達は手を繋いで、スーパーに向かって歩き出した。

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芳恵は、信頼できる事務員に命じ、全国の大学病院や総合病院の他、
入院施設がある個人病院にも惣一朗が作成したメールを送信させた。

その中の一つに、美咲たちが採用された竹内病院もあった。

 

芳恵
「見つかったわよ。範囲を広げてメール送って良かったわね」

 

竹内病院の院長から届いた松宮と美咲の顔写真が載ったファックスを握りしめ、
惣一朗は立ち尽くしていた。

 

芳恵
「松宮先生、こんな小さな個人病院に勤めるなんて…
疫病神と関わったせいよ」

惣一朗
「……」

芳恵
「飽きたらすぐ捨てなさい!あの女に関わると碌な目に合わないわよ!」

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竹内病院は、脳神経外科を専門としているが、重大な脳の疾患はの場合は市の総合病院に紹介するようにしている。

私たちがこの病院を選んだ理由は、大学病院とのパイプがないから立川病院と繋がりはないと思ったからだった。

今日は勤務初日。

出勤して間もなく、肺炎で入院していた高齢の患者さんの容態が急変して処置に追われていると

 

看護婦
「立川さん、院長がお呼びです」

美咲
「すみません。今手が離せないので、後程うかがいます!」

看護婦
「急な用事みたいなの私が代わるから行ってきて」

美咲
(患者さんの処置よりも大事な用事って……)

 

決して人が多くないこの病院で患者さんを放っておけという指示。

 

美咲
(何だかおかしい……)


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院長室は1階。建物の裏側にある。

不審に思った私は、外に出て院長室の様子を窺うことにした。

 

美咲
(あ、窓が空いているわ)

 

壁際にはりつくように身をひそめ近づくと、会話が聞こえてきた。

 

院長
「もうすぐ来ますので、少々お待ちください」

???
「はい」

美咲
(この声、惣一朗さん!)

院長
「それにしても災難でしたね。真面目そうな医師に見えましたが、教えて頂けて助かりました」

惣一朗
「備品の盗難に始まり色々と……本人に確かめたいことがありまして、あのようなメールを送りつけて申し訳ありませんでした」

美咲
(備品の盗難て? 携帯のこと?)

院長
「これを機に、立川病院様と懇意になれましたら幸いです」

惣一朗
「ええ、もちろんです。お知らせいただいて本当に助かりました。
つきましては――」

美咲
(早く、こう君に知らせないと!)

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急いで院長室へ走ると、こう君が今まさに院長室のドアを開こうとしていた。

 

美咲
(だめ!)

 

私は、寸でのところで、こう君の腕を掴んで止めた。

 

松宮
「美咲?」

美咲
「静かに…!中に惣一朗さんがいるの。逃げましょ」

 

その言葉を聞くと、こう君は私の手を握り走り出した。

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病院の駐車場に停めてあった車に、飛び込むように乗った。

 

松宮
「このまま逃げよう」

美咲
「アパートに戻って荷物を」

松宮
「でも、見つかったら」

美咲
「医学書、医療の資料、大事でしょ? 置いていけないわ」

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こう君は医学書を、私は布団を車につめこんだ。

 

松宮
「美咲、行くぞ」

美咲
「まって、買ってもらった洋服や化粧品」

松宮
「そんなの、また買えばいい」

美咲
「一から買い直したら、またお金がかかるわ」

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こう君が止めるのも聞かず、アパートの階段を駆け上がったが足が止まった。

私達の部屋の前に、惣一朗さんがいた。

ドアを叩き、叫んでいた。


惣一朗
「美咲、いるんだろ!出てこい!」

 

ゆっくりと気付かれないように踵を返し、音を立てないよう慎重に階段を降りた。

駐車場の車に向かって走りだすと

 

惣一朗
「美咲!」

 

階段の上で泣きそうな顔の惣一朗さんがいた。

 

美咲
(惣一朗さんのあんな顔、みたことない……)

惣一朗
「全部、許す、戻ってこい」

美咲
「戻っても、あの家に私の居場所はない…!
それに、惣一朗さんに私は必要ないでしょ?」

惣一朗
「何を言ってるんだ!」

美咲
「結婚してから…ずっと、私に無関心だったじゃない!惣一朗さんが私を見てくれたことなんて、一度もないわ!!」

惣一朗
「無関心……?」

美咲
(私、最低だ……惣一朗さんだけを責めて…)

 

あなたを愛せなかった。

初恋の人を忘れられなかった自分の気持ちの問題なのに。

私が悪いのに……。

目の前に、こう君が運転する車が止まった。

 

松宮
「美咲、早く!」

 

私は車に飛び乗ると、窓を開けて、ほんとうの気持ちを叫んだ。

 

美咲
「惣一朗さん、ごめんなさい!!
私、この人を愛しているの!」

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惣一朗
「僕が、美咲に無関心だった…?居場所がない…?」

 

アパートの階段の下で、暫し茫然と立ち尽くしていた惣一朗だが、携帯を取り出すと、松宮の携帯を鳴らした。

携帯の着信音が、足元から聞こえる。

アパートの階段の一番下の段に携帯があった。

携帯を持ち帰った事に対しての謝罪の手紙が添えられていた。

 

惣一朗
「こんなもの、どうだっていいんだよ!」

 

惣一朗は、携帯を地面に叩きつけた。

 

惣一朗
「こんなもの、返さなくていい……美咲を、返してくれ……」

 

惣一朗は、その場に崩れるように座り込んだ。

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それから私達は、数日あちこちを彷徨うように車を走らせた。

夜は人気のない駐車場に車を停めて、布団に包まり、身を寄せ合って眠った。

愛が深まっていき、互いに離れがたい存在になっているのを肌で感じた。

でも、私の中に迷いもあった。

 

美咲
(優秀な脳外科医だった彼に、こんな逃亡者のような生活をさせていいの?)

 

複雑な想いを抱えながら、北陸の小さな港町に落ち着くことを決めた。

ここも決して、安住の地にならないだろう。

でも、この時の私達はただ逃げるしか道はなかった。
 

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