A man and a woman marry because both of them don’t know what to do with themselves.
男と女が結婚をするのは、お互いそれ意外に方法がなかったからだ。
アントン・チェーホフ
今回ご紹介するのは坂口安吾の「淫者山へ乗りこむ」です。
坂口安吾の名前は「堕落論」で知っている人も多いのではないでしょうか。
「なんかあの難しそうなやつでしょ?」
そうそう、あのなんか難しそうなやつ……って、そうでもないんです♫
というか、坂口安吾の本に身構えるほど難しいものはほとんどありません。
さて、こちらの「淫者山へ乗りこむ」を一行で説明するなら、
「マリッジブルーだったけど、やりたいって気持ちが勝った」という話。
安吾ファンに石を投げられそうですが、安吾ファンに神経質な人は少ないので大丈夫でしょう。
ある夜のこと、老人はすこし酔ひすぎてゐましたが、たうとう青年をカフェへ連れていつたのです。それも老人の住居近くの最も場末の怪しげな店でした。老人はいきなり女を抱きよせました。日頃そんなことを平気にやりつけてゐる人のやうに、呆気にとられた青年の目の前でやにはに女の股間に手をさし入れやうとするのであつたが、次々と女に逃げられてしまふうちに、この人は全く逆上しきつた様子でした。
青年はある日、婚約者の父親(老人)に呼び出されてキャバクラに行きます。
そこで父親は「俺はこういう豪快なところあがある男だ!」と、未来の婿に見せつけるために、キャストの女の子に痴漢をはたらきますが、あっさりとあしらわれて頭にきます。しかし引っ込みがつかなくなり、結局お金を握らせて、キャストの女の子の体に触れます。
それを見た青年は「うわぁ」と思いながらも「ああ、豪快なところを見せたいんだな」と本心を見抜いて、「仕方ないものを見る目」をこの舅に向けます。
これに対して舅も「仕方ないやつだな、って思われてる」と気づきます。
こうしてどんどん二人の仲は微妙になります。
「娘が結婚したらこの婿とずっとつきあっていくのか」
「娘と結婚したらこの舅とずっとつきあっていくのか」
二人ともそんな気分で、当の娘の関係ないところで結婚に対する意欲が消えていきます。
舅もやめればいいのに、なんとか婿に「お義父さん男らしいです!」と思わせたいがために、似たようなことを繰り返しています。
中学生ぐらいの男子が「先生なんて怖くないし。俺は俺のやりたいようにやるだけだし」と素行不良を繰り返して、クラスメイトに呆れられるのと同じです。
「結婚は若い者が思ふほど人生の一大事ぢやないよ。男は一人の妻が女ときまつてゐないもの」
息子がマリッジブルーに陥っているのを見て、母親はそんな風に慰めます。
「愛人もてばいいじゃん」という意味に聞こえますが、それは母親の経験からくるかなしい助言でした。
そして、青年はますます結婚に夢を見出せなくなっていきます。
ぐるぐる考えた末、青年はこんな風に考えます。
結果だけを言つてしまへば、彼は結婚の前に許嫁の娘を強姦しやうと考へたのです。
なぜ、そうなった。と問いつめたい思考回路です。
「舅が嫌い」→「結婚がイヤ」→「強姦しよう」
さっぱり理解できない……。
青年は娘に特殊な愛情の失はれた自らを知りましたが、併し色情は失はれてゐないことも知らなければなりませんでした。結婚をするとすれば単に色情のためであらう、あはせて将来の利益のためであらう、けれどもこの結婚を棄権せしめるに足るほどの意中の女もなく利益ある条件もないとすると、結婚といふ事柄はもはやまぬかれない宿命のやうにこの青年は観念しました。
「どうせ結婚するしかないんだから、もうどうでもいい。好きなことやってやるよ。もしそれで駄目になっても、どうでもいい」
そんな思考で強姦される婚約者もたまったものではありません。
そして青年は山に行こうと決めます。
誰も来ない山小屋に娘をつれていき、そこで彼女を蹂躙してやろうと企てたのです。
しかし、道なりはBGMに中島みゆきの「地上の星」を流したいほど険しいものでした。
「5合目まで車かロープウェイで行こう」というような、気軽なものではなくガチの山登りです。
駅から4キロ、鬱蒼とした木陰をあるき、800mほど山を登り、今度は沢をわたるために谷底に降りて……。
山小屋につく頃には二人とも疲れ果てています。
「何しにきたんだっけ? 山登りだっけ? なんで山登りしてるんだっけ? 強姦しようとしたんだっけ? なんでそんなこと考えたんだっけ?」
「外へ出ませう。さうして、すこし、山を歩いてみませう」と彼は言つてゐたのでした。いきなり彼は戸を押しひらき、光りの下へ立ち現れて背延びをせずにゐられなかつたのです。
混乱した青年は、とりあえず外に出ます。
「婚約者を強姦しなければならない」という自己暗示にかかった青年。しかし根が悪人でないからこそ、そこに強いストレスを感じます。
なので、一度その問題から目をそらすために、外にでて気分転換を行います。
これは娘にとっても幸いでした。
再び一緒に山を登り、絶景を眺めたことで青年と娘とのあいだに仲間意識のようなものが芽生え、結局青年が本来の目的を遂げることはありませんでした。
しかしこのことで、青年は娘の体に強い魅力を感じるようになります。
彼は娘の肉体を描かずに情慾を行ふことができなくなつたのです。それゆゑ青年は情念のわきたつ度にこの結婚を期待する気持を持つやうになりました。
抱けなかったことで、より夢中になってしまったのです。青年の中に娘を恋する気持ちはありませんでしたが、彼女の体のことが頭から離れなくなり、結婚を待ち望むようになったのです。
かうして二人は結婚しました。
問題なにも解決してなくない……!?
安吾先生、これなんの解決にもなってないよ!この二人結局どうなるの!?
と作者にいいたい読者の皆様のために、安吾先生はちゃんと続きをかいてくれました。
三行で。
それからの二人の生活が幸福であつたか不幸であつたか、それは作者も知りません。作者の知つてゐるわづかのことは、併しこの物語の中に於ても、青年は勿論、娘も決してとりわけ幸福でもなかつたといふことであります。もともと恋と幸福は同じものではありません。
結末が身も蓋もありません、先生。
さてこの物語でわかる男心は、「女性になんの非がなくても、土壇場で結婚をやめたくなる男性はいる」「その場合、性的な魅力によって男性の気持ちを引き戻すことができる」「しかし性的な魅力によってのみ引き戻した結婚は幸せな結婚とはいえない」ということです。
では、娘はどうすればよかったのか。
人間的魅力で結婚にしり込みをしている男性を振り向かせるために、娘は何をすべきだったのか。安吾先生を見習って、こう答えようと思います。
それは筆者も知りません。
文学から探る男心 -野村胡堂「百唇の譜」-
文学から探る男心 -太宰治「チャンス」-
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