文学から探る男心 -伊藤左千夫「野菊の墓」-

文学から探る男心 -伊藤左千夫「野菊の墓」-


On n’aime bien qu’une seule fois, c’est la première ; les amours qui suivent sont moins involontaires.


心から恋をするのはたった一度だけ。それが初恋だ。それ以外の恋は、初恋ほど無意識のものでない。

 ラ・ブリュイエール

 男も女も初恋はひきづってしまうものですよね。
初恋が実って結婚までいく方々もいますが、多くの人にとって初恋は思い出のものとなって、捨てることもできずに押入れの奥にしまわれたものと同じ扱いにしているのではないでしょうか?

しかし女性よりも男性の方が初恋はひきずるもの。女性は初めて肌を触れ合わせた相手に、男性は初めて恋をした相手に影響されてしまうものです。

さてそんな初恋の記憶が詰め込まれた作品が、伊藤左千夫の「野菊の墓」です。
野菊の墓はヒロインが死にます。
ネタバレしてしまって申し訳ありませんが、「墓」とついている作品なので主人公かヒロインのどちらかが死ぬかはご想像に難くないでしょう。
小説のあらすじにも死ぬと書いてあります。これが推理小説なら暴動が起こるでしょうが、野菊の墓はあまりにも有名なので、筆者も出版社を見習ってネタバレを気にせずにガンガン書こうと思います。

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野菊の墓は一行でいうと、
年上の従妹に恋をしたけど引き裂かれて、それから10年引きずる話」です。

中学生のときに、なんとなく読んだときは「駆け落ちすればよかったじゃん」という感想でしたが、大人になってから改めて読むと、「こういうのは仕方ないよなぁ。民子、自暴自棄だったんだろうな」と感想が変わりました。

そう、今回のヒロインの名前も前回の永井荷風「男こころ」と同じく民子です。
ただ本作の主人公の政夫は、前回の主人公の友田とは真逆のタイプです。

 
もはや十年余も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪って居る事が多い。
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

政夫の心情描写から始まる「野菊の墓」は主人公の初恋をひたすら回想してく話です。

政夫は13歳、そして従妹の民子は15歳。年上なのに子供っぽいいたずらをしてくる民子とじゃれるように遊んでいた主人公。ですが、ある日そんな二人の関係が噂になってしまいます。
狭い町でそんな噂話が持ち上がり、困った母親が主人公と民子に注意をします。

 
民子は年が多いし且は意味あって僕の所へゆくであろうと思われたと気がついたか、非常に愧じ入った様子に、顔真赤にして俯向いている。常は母に少し位小言云われても随分だだをいうのだけれど、この日はただ両手をついて俯向いたきり一言もいわない。
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

民子は赤くなってうつむくだけ。政夫は不満に思って母親に言い返しますが、結局母親に受け流されてしまいます。
それからあんなに仲の良かった二人の関係はどこかぎこちないものに。

いましたよね。小学生や中学生頃に、まわりにからかわれてぎこちなくなっていく男の子や女の子。

本人たちはそこまで深く考えていなくても、周りに言われると急に意識してしまい、ついつい恥ずかしさから相手を避けるようになってしまう経験がある人は多いのではないでしょうか。

しかしそれによって、はじめて自分の気持ちに気づくこともあります。政夫もそうでした。

 
僕はここで白状するが、この時の僕は慥に十日以前の僕ではなかった。二人は決してこの時無邪気な友達ではなかった。いつの間にそういう心持が起って居たか、自分には少しも判らなかったが、やはり母に叱られた頃から、僕の胸の中にも小さな恋の卵が幾個か湧きそめて居ったに違いない。僕の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて民子を女として思ったのが、僕に邪念の萌芽ありし何よりの証拠じゃ。
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

そして政夫は久しぶりにまともな会話をした民子を前に、気持ちを募らせていきます。
二人はそれからまた、前のように仲良くなっていきます。もう噂なんてどうでもいいと言いながらも、「2歳も年上のくせに」と悪口を言われて落ち込んでいる民子を見ると、政夫はやるせない気分になります。
そんなとき、二人で山に入って政夫はとうとう民子に気持ちを伝えます。

 
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

「僕」=「野菊が好き」
「野菊」≒「民子」
つまり「僕」=「民子が好き」

この告白に民子ものっかります。

 
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」
花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。
「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」
「どうして」
「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

けれど、そんな二人を快く思わない家族が政夫を遠くの学校に行かせてしまいます。帰省があっても会わせないように画策し、そして二年後政夫が年末に帰省した際に「民子は嫁にいった」と聞かされるのです。

 
嫁にいこうがどうしようが、民子は依然民子で、僕が民子を思う心に寸分の変りない様に民子にも決して変りない様に思われて、その観念は殆ど大石の上に坐して居る様で毛の先ほどの危惧心もない。それであるから民子は嫁に往ったと聞いても少しも驚かなかった。
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

「夫がいても、僕は民子を思っている。そして民子も夫より僕を思っている」と確信がある政夫は、あまり落ち込みません。しかし翌年の六月に、ひどいニュースが飛び込んできます。民子は夫との子供を流産したのがもとで、死んだのです。危篤の知らせすら政夫には届かず、死に目にすら合うことができませんでした。
歳が2つ上だという理由だけで、二人の想いは叶いませんでした。
それでも政夫は家族を恨まず、民子の墓参りに行きます。

 
民さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。民さんは野菊の中へ葬られたのだ。僕はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

そして政夫は民子の家族から、民子は死んだときに政夫の写真と手紙を抱いていたと聞かされます。望まぬ結婚をさせられた民子が「死ぬのが本望だ」と口にしたことも。

 
民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙とを胸を離さずに持って居よう。幽明遙けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。
 

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

結局、政夫も望まぬ結婚をしたのです。そして今も、民子のことをずっと思っているのです。この作中で、実は政夫は引き裂かれる前に「ここで終わっていたら、10年も思ったりしなかった」と言っています。つまり、無理に引き裂かれたことで、二人は永遠の恋人になってしまったのです。

思いを遂げずに終わった恋だからこそ、政夫はそれから10年も民子のことを思い続けているのです。妻がいても、夫がいても一番好きな人が別にいるというのは、本人にとってもその配偶者にとっても、すごく悲しいことですね。

ところで蛇足ですが、伊藤左千夫は「隣の嫁」という作品も書いてます。
もしやこの作者、「人妻」好きなのでは……。

文学から探る男心 -永井荷風「男ごゝろ」-