『大正浪漫ラヴストーリー』<第11話> ~直哉ルート~(ページ3)

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直哉
「あー、やっぱりハナちゃんだ」

ハナ
「直哉……さん……?」

 

その声に振り向けば、そこには優しい笑顔のままの直哉さんがいて。
だけど、ぐちゃぐちゃになった泣き顔の私を見て、表情が一変した。

 

直哉
「ど、どうしたの!? 何が……」

ハナ
「…………」

直哉
「……もしかして、またあのお嬢様に何かされた?」

ハナ
「はい……」

直哉
「はぁ、やっぱり。何があったの? ほら、言ってごらん」

 

直哉さんの柔らかな声が降り注ぐ。
すると、今まで私の中で渦巻いていた負の感情が少しずつ溶け出して……なんだか妙に安心出来た。

 

ハナ
「……紀美子様に、直哉さんからいただいたハンケチと小説をボロボロにされてしまいました。それで……耐え切れずお屋敷を飛び出してしまい……」

直哉
「あのお嬢様そんなことを……」

ハナ
「ごめんなさい、直哉さん……せっかく、私にくださったのに」

直哉
「そんなこと気にしなくたっていいよ。それよりさ、これからどうするつもり?」

ハナ
「これから……?」

直哉
「そ。あのお屋敷に戻るの?」

ハナ
「そ……それは……」

直哉
「戻るなら、送っていくよ。でも、もし戻りたくないなら……」

 

直哉さんの腕が、そっと私の肩に伸びた。

 

直哉
「戻りたくないならさ、俺のところへおいでよ」

ハナ
「直哉さんの……ところへ……?」

直哉
「うん。そりゃまあ、狭くてボロい借家だけど……きっと松乃宮の女中部屋なんかとは比べ物にならない場所だよ。それでもよければ、おいで」

ハナ
「でも……わ、私が働かないと家族が……」

直哉
「じゃあさ、こうしよう。松乃宮ほどの金は出せないけど、ハナちゃんが掃除とか料理とかしてくれればちゃんと支払うよ

ハナ
「え……?」

直哉
「俺、頑張って稼いでくるからさ。だから、俺のところへおいで。もう、あんな屋敷に戻る必要なんてないよ」

ハナ
「直哉さん……」

直哉
「さ、そうと決まれば俺の家行こう。ここにいたら、松乃宮から誰かが探しにきちゃうかもしれないからね」

ハナ
「あっ」

 

言うと同時に直哉さんが私の腕を引っ張り、そのまま走りだした。
人混みを器用にすり抜けながら、あっという間に駅を脱出する。


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直哉
「ここ。さ、座って」

ハナ
「ここが……」

直哉
「散らかってるけど、ほら、そこなら座れるだろう?」

 

案内された直哉さんの暮らす借家。
乱雑に本が床に置かれ、布団は敷きっぱなし。ひび割れた湯のみが置かれたそこには紙の束が。

 

直哉
「こんな場所だけど、松乃宮よりはいい場所だと思うよ?」

ハナ
「…………」

 

その通りだった。
私は唇を噛み締めながら直哉さんを見る。

確かに、狭いし汚い。だけど、ここには紀美子様も奥様もいない。
それだけで、安心出来る。

 

ハナ
「直哉さん、本当にいいんですか?」

直哉
「もちろん。ハナちゃんの気が済むまでここで暮らしてよ」

ハナ
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」

直哉
「やだなぁ、そんなお礼言わないでって。じゃあ、今日からよろしくね?」

ハナ
「はい。よろしくお願いします」

 

三指をつき、頭を下げると頭上から柔らかな笑い声が聞こえた。

もう、紀美子様に怯えなくていいんだ。これからは、直哉さんを頼って生きていけるんだ。

そう考えると、今まで張り詰めていた糸がふいに途切れ、年甲斐もなくわんわんと泣きだしてしまう。

そんな私を、直哉さんは慰めるように優しく抱きしめてくれていた。


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ハナ
「今日は何作ろうかな」

 

直哉さんの家に住み始めて数週間。
今までの生活が嘘のように平和になり、心穏やかな日々を過ごせていた。

直哉さんは直哉さんで、家が片付くと喜んでくれていて。
そうして、毎日私が作るご飯を楽しみにしてくれている。

 

カヨ
「ハナ……?」

ハナ
「え?」

 

晩のおかずを何にしようか八百屋の店先で悩んでいると、ふいに声をかけられた。
聞き覚えのあるその声に振り返ればそこにはカヨさんが、まるで幽霊でも見たかのように目を見開いて立っている。

 

カヨ
「ハナ! ハナじゃない!!」

ハナ
「カヨさん……!」

カヨ
「やだ、あんたどうしたの? まだ、東都にいたのね……」

ハナ
「え、ええ……」

 

そこまで会話をして、ふと気がついた。今までは着物に前掛けだったカヨさんの服装が西洋風の女中服になっている。
黒いワンピースの上に、真っ白なエプロンだ。

 

ハナ
「あ、あの……カヨさん、そのお姿は?」

カヨ
「ああ、これ?」

 

少し気恥ずかしそうにエプロンのすそをつかんで見せた。

 

カヨ
「あたしさ、今は松乃宮の家に勤めて無いんだ」

ハナ
「え……?」

カヨ
「ううん、あたしだけじゃなくて、みーんな」

ハナ
「みんな……?」

カヨ
「そ。ああ、もし時間あるなら話そうよ」

ハナ
「ええ、私は構いませんけど……カヨさんはお時間大丈夫ですか?」

カヨ
「平気平気。よし、じゃあ氷でも食べに行こうよ。この前、美味しい場所見つけたんだ」

 

カヨさんは私の返事も聞かずに歩き出す。
そうして細い通りに入ると一軒の小さなお店に手慣れたように入っていく。


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カヨ
「んー、やっぱここの氷は最高」

ハナ
「ええ、とってもおいしいわ」

 

優しい味わいの氷水を口にすると、思わず口角があがってしまう。
しばらく2人で会話も無いままにしゃくしゃくと氷を溶かしながら口に運んでいると、カヨさんが小さく話しだした。

 

カヨ
「あんたが松乃宮出てからさ、あーのわがままお嬢様が今まで以上にひどくなっちゃって」

ハナ
「え?」

カヨ
「もう毎日、若旦那様と喧嘩よ。顔を合わせれば喧嘩ばっかり。その喧嘩のとばっちりは全部こっちだしさ、1人辞めて、また1人辞めてって感じでみんな松乃宮を出てっちゃったのよ」

ハナ
「そ、そうだったんですか……?」

カヨ
「そ。で、あたしも耐え切れなくてさ、啖呵きって辞めてやったのよ。女中募集してるお屋敷なんてたくさんあるしね」

ハナ
「それで、カヨさんは今はどちらに?」

カヨ
「稲山家。酒問屋やってるんだけど、お金持ちなのなんのって。あんな癇癪起こすお嬢様もいないし、嫌味な奥様もいないし最高だよ。あたし以外にも何人か松乃宮から一緒に行ったんだ」

ハナ
「では、今は松乃宮のお屋敷は……?」

カヨ
「あたしの後も女中はみんな辞めてったって聞いた。今はトメさんしか残ってないんだって。募集しても、悪い噂がいっぱいで働き手もいないみたいだよ」

ハナ
「そ、それではトメさんがお1人であのお屋敷のことを……?」

カヨ
「じゃない? しかもさ、稲山の女中に聞いたんだけど松乃宮も今は落ち目らしいよ」

ハナ
「落ち目って……?」

カヨ
「一応、旦那様も若旦那様もお仕事なさってるけどさ、所詮は華族が道楽で始めたような商売だから、うまくいってないみたいでさ借金もあるって噂だよ」

ハナ
「借金!?」

カヨ
「声でかいって! まあ噂だからわかんないけどさ。正直、若旦那様とトメさんには申し訳ないなって思うけど、ざまーみろって感じ」

 

せいせいしたように言うと、カヨさんは再び、氷をしゃくしゃくとかき回し始めた。

 

ハナ
(私があのお屋敷を出てからそんなことがあったなんて……)

カヨ
「あんたもすっきりしただろ? この話聞いて」

 

ハナ
「そんなことは……。トメさんや若旦那様はどうお過ごしなんでしょうか……」

カヨ
「……はぁ、あんたってお人好しだねえ。そりゃトメさんたちのことは気になるけどさ、ざまーみろって思わない?」

ハナ
「…………」

 

カヨさんの言葉に、なんと言っていいかわからず、溶けてしまった氷を一匙すくった。
溶けても変わらない、柔らかい甘み。
だけど、カヨさんの話から色々な感情がぶつかりあって……氷の味を楽しむことは出来なかった。


カヨ
「次はあんたの話、聞かせてくれない?」

ハナ
「私の……?」

カヨ
「今までどうしてたのか、今はどうしてたのか。みんなで心配してたんだよ。実家に帰ったのかどうかもわからないし、吉原なんかに売られちゃってるんじゃないかって」

ハナ
「わ、私……今、えっと……」

 

言い難かった。
みんな大変な思いをして、耐え切れずお屋敷を去ったというのに私はそんなことも知らずに直哉さんと暮らしているだなんて……。

 

カヨ
「あー……ごめん。別に無理に聞くつもりはないんだけどさ、売られたんじゃないならいいんだ」

ハナ
「え、ええ。今は、知り合った人の家にお世話になってるんです」

カヨ
「知り合った人……ねぇ。ま、その格好見た限りじゃお屋敷づとめって感じじゃ無さそうだし、いい人でも出来た?」

ハナ
「い、いい人!? そ、そんなんじゃ!!!」

カヨ
「ぷっ……あははは、そんな全力で否定しなくったって。あはははは、いいんだよ。あんたが幸せならそれでさ」

ハナ
「え……?」

カヨ
「あんた、いい顔してるよ。幸せなのわかる。で? 結婚はするの?」

ハナ
「結婚!?」

カヨ
「そ。今、一緒に住んでるの男なんだろ? そいつと結婚するの?」

ハナ
「そ、そんなこと! ほ、本当にただお世話になってるだけで、その、あの、別に恋仲とかそういうのでもないし、あの……」

カヨ
「恋仲じゃない男女が一緒になんか生活出来ると思う? ハナだってその男のこと意識してるんじゃないのか?」

ハナ
「意識……」

 

考えたことがなかった。
もちろん、直哉さんのことは素敵だと思うし嫌いではない。
だけど、1人の男の人だとか、結婚だとか……そんな風には思ったことはなくて。

 

カヨ
「まあ、あんたにその気が無くたってその男はどうだろうね。いい男なの?」

ハナ
「え、えっと顔は……はい、まあ整っている方だと思います」

カヨ
「ふぅん。いいじゃんいいじゃん、今度紹介してよ」

ハナ
「紹介!?」

カヨ
「うん。さーって、そろそろ買い物して帰らないと」

ハナ
「あ、私も……」

カヨ
「今日は愛しい旦那に何作ってやるのさ?」

ハナ
「い、愛しい旦那って! も、もう、カヨさん!」

 

赤くなって言い返す私を。ケラケラと笑いながらあしらうカヨさん。
そんな私たちは再び大通りへと戻った。


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カヨ
「じゃあ、またね」

ハナ
「はい。今日は会えてよかったです」

 

買い物を終え、帰る方向は別々。
まだ、カヨさんも私も話足りなくて、なんとなく別れづらい。
と、そんな私の肩を誰かに叩かれた。

 

直哉
「今日はー……お、青菜の塩もみとイワシかな?」

ハナ
「直哉さんっ! お、驚いた……もう、いきなり声かけるのやめてくださいよ」

直哉
「はは、ごめんごめん……っと、お友達?」

ハナ
「あ、えっと……松乃宮で一緒だったカヨさんです」

 

カヨさんに気がついた直哉さんはカヨさんへと体の向きをかえて姿勢を正した。

 

カヨ
「ちょ、ちょっと……あんたの、いい人って、この人? いい男だねえ」

直哉
「どーも。ん? 俺ってハナちゃんのいい人ってことになってるの?」

 

ハナ
「ふふ、どうでしょう?」

直哉
「気になるね、その意味深な笑い」

直哉
「ハナちゃんのいい人ってことに、しておこうか?」

 

上機嫌で言う直哉さん。
カヨさんも笑顔になりながら頷いてる。

 

ハナ
(いい人……なのかな)

 

カヨさんと笑いあう直哉さんを見ながら、そんなことを思わず考えてしまう。
すると、今までなんとも思ってなかったはずなのに……なんだか胸が高鳴ってしまい直哉さんをじっと見ることが出来なかった。

 

カヨ
「ああ、いっけない! すっかり話し込んじまった。早く帰んないと。じゃあね、お2人さん」

ハナ
「ええ、また」

直哉
「まったねー。よし、じゃあ俺らも帰りますか」

 

直哉さんは言いながら、私の手荷物を持ってくれる。
そうして私たちは借家へと歩き出した。

……の、だけれど、直哉さんが隣を歩いているだけでずっと胸が高鳴りっぱなし。
心臓の音が直哉さんに聞こえてしまうのではないかと心配になりながら、私は歩いていた。
 

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