『大正浪漫ラヴストーリー』 <第1話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第1話>

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――文明開化と共に訪れた華やかな時代。

けれど、それはほんの一部の人間しか味わうことの出来ない世界。

夜毎ひらかれる舞踏会なんて、夢物語。

ほとんどの人間は貧困にあえいでいた。
学校にも通えず、貧しい農村で朝から晩まで畑仕事。

それでも苦しい生活は変わらず、奉公に出されたり、人買いに売られたりする人間が後を立たなかった。

泣く泣く、村を出て行く人たちを幼い私はただ漠然と見送ることしか出来なかったけれど……。

まさか、自分がこの村を出る日が来るだなんて、その時は思ってもみなかった。

これから、辛く苦しい日々が始まるだなんて――

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ハナ
「人が多い……」

ハナ
「村とは大違い。
それにしてもみんな大きな荷物……」

 

私は、思わず自分の腕に収まる風呂敷に視線を落とした。

私はたったこれだけの荷物しか持たせてもらえなかった。

腕に収まるぐらいの荷物しか。

 

ハナ
(仕方ないよね……うちは貧乏だもん。だから、私はここにいるんだもん……)

 

あの日。
村を出て行く人たちを見送っていた私は、数年後、見送られる側となった。

 

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ハナの父
「……よろしくお願いします」

ハナの母
「お願いします」

 

数枚のお金を手に、父さんと母さんが、だらしなく服を着崩した男に深々と頭を下げた。

それは、私がこの村を出ることを意味している。

私はこれから、東都にある大きなお屋敷で働くのだと男から聞かされた。

奉公の期間が終わるまでは、この村に戻って来られないことも、その時知った。

あまりにも突然聞かされたことばかりで、私は気持ちの整理がつかないままに、村を出たのだった。

東都へ向かう汽車の中では男と一言、二言の言葉を交わしたきり。

私は、車窓から遠くなる故郷を眺めていることしか出来なかった。

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ハナ
「とりあえず、お屋敷へ向かわないと」

 

人混みの中、身をこごませながら出口を探す。

一緒にいた男は、終着駅につくなり所用があると私を1人残し行ってしまった。

手渡されたのは1枚の地図。
それを見ながら行け、と。

 

ハナ
(……駅を出たらまっすぐ)

 

不安で胸がいっぱいの中、地図を必死に握りしめながらまっすぐに出口を見据えた。

男は、こうも言っていた。
わからなければ、道行く人に聞け、と。

簡単そうに言ったけれど、行き交う人々は皆、足早に歩きとても声をかけられそうには思えない。

 

ハナ
(とりあえず、駅を出よう)

 

それすらも、今の私にとっては大きな目的だった。

経験したことのないほどの人混みの中を歩くだけで、目が回りそうだ。

 

ハナ
「あ、出口はあれ――!?」

 

出口の看板を見つけ、顔を上げたその時だった。

ふいに体が揺れたかと思えばがっしりと肩を抱えられている。

 

ハナ
「え!?」

 

わけもわからず、辺りを見回すとちょうど私の頭の右上から声が降り注いだ。

???
「ごめん、少しこのままで」

ハナ
「あ、あの、でも、えっと!?」

???
「しっ。あんたはオレの恋人のフリしてて」

 

そう言われ、私は男にガバっと抱きしめられた。

 

ハナ
(な、何が起きてるの!?)

 

抱きしめられたせいで、私の視界は遮られた。
そのせいで、何が起きてるのかがまったくわからなくて。

ただ、わかるのはほのかに香る甘い花のような匂い。
そうして、私の体とは全く違う、広々とした胸板。

 

男1
「おい、どこ行った!?」

男2
「あの野郎! こっちへ走ってきたはずなのに!」

男1
「ふてぇやろうだぜ。もう少しこの辺探すぞ」

男2
「はい!」

男1
「ったく、あんなもん書きやがって。
親分さんたちが揃って奴を探してるからな」

男2
「なんとしてでも捕まえないとですね!」

 

遮られた視界の中、声だけが聞こえた。

話の内容はつかめなかったけれど、ひどく物騒なことを言っていたけれど……。

 

ハナ
(まさか、あの男の人たちが探してるのって……)

 

そう思った瞬間、私を抱きしめていた腕がゆるんだ。

 

???
「行った……かな?」

 

徐々に戻る視界。
わけもわからないままに、私は自然と顔を上げた。

そこには、とても柔らかな笑顔を浮かべる好青年が私を見下ろしていた。

 

ハナ
(わ、私……この人に抱きしめられてたっ!?)

 

自分の置かれている状況に、今更ながら気がついて私の頬は火がついたように熱くなってしまう。

 

???
「ありがとう。あんたのおかげで助かったよ」

???
「まったく……あいつらのしつこさつったら、スッポン以上だ」

???
「あいつらに見つかる前にさっさと移動しないとかな」

 

男の人は、ブツブツと言いながら周囲を見回している。

まるで、今の今まで私のことを抱きしめていたことなんて忘れているかのように。

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ハナ
(都会の人って……抱きしめるなんてこと当たり前なのかな……?)

 

私にとって、初めて触れた家族以外の男の人。
信じられないような事実に頭が沸騰しそうになる。

だけど、そう思っているのは私だけのようで……。

 

ハナ
(抱きしめられたなんて……そんなふしだらな私が奉公先になんて行ったら父さんたちに迷惑がかかっちゃう……)

ハナ
(……一方的に抱きしめられたんだもの。
この人に、責任をとってもらわないと)

???
「しっかし、あれぐらいで怒るのもどうかと思うけどね。懐の浅い人間だな」

???
「まあ、あれだけ怒るっていうのは図星だからだろうけど」

ハナ
「あ、あの……」

???
「もっとあいつらの痛いトコついてやらないと」

???
「さて、帰って続きを書こ……」

ハナ
「あの!!」

???
「っ!? ああ、なんだ。まだいたんだ」

ハナ
「ま、まだいたんだじゃないですよ!」

???
「もう、大丈夫だよ。ありがとう。助かった。
さ。行った行った」

ハナ
「え? あ、あの……」

 

私を抱きしめた男の人は、満面の笑みでそう言った。

 

???
「あ、お礼とかした方がいいのかな?
けど、ごめん。今、手持ちが全然無いんだ」

ハナ
「そ、そうじゃなくて……」

???
「……?顔が、赤いけど?」

ハナ
「そ、それはっ……!」

 

ずばりの一言に、思わず後ずさりすると男の人はきょとんとした顔で私を見つめた。

 

???
「うーん……?もしかして、抱きしめられたから顔が赤い?」

ハナ
「っ!!」

???
「ああ、そうなんだ。……そうだね、見たところ上京したてだね?」

ハナ
「は、はい……」

???
「どこの田舎から出てきたの?」

ハナ
「北、です」

???
「そっかそっか。じゃあ……見知らぬ男に抱きつかれただけでホッペ真っ赤にするのも納得だ」

ハナ
「い、田舎者だってバカにするんですか……?」

???
「ああ、ごめんごめん。そうじゃないんだ」

ハナ
「からかわないでください」

???
「だから、そんなつもりないんだって。怒らないで? 可愛い顔が台無し」

 

男の人は、女の扱いに慣れているように見えた。

この人が、特別そうなのか……
それとも、東都の人はみんながこうなのだろうか。

……だとしたら、私はここでやっていけるのだろうか。

のんきに笑いながら私を見る男の人を前に、大きな不安が渦巻く。


???
「オレは稲山直哉。あんたは?」

ハナ
「え?」

直哉
「ほら、見知らぬ男に抱きつかれたっていう事実よりは名前ぐらい知ってる男に抱きつかれたってことにした方が、あんたも気楽だろ?」

ハナ
(そ、そうなのかな……)

直哉
「だからさ、名前教えてよ」

ハナ
「夏井ハナです……」

直哉
「ハナちゃんか。んーオレの推測によると
あんたはどこかの女中さんになるのかな?」

ハナ
「は、はい」

直哉
「そっかそっか。どこのお屋敷?」

ハナ
「えっと、確か……松乃宮というお屋敷です。
あの、ここに書いてある……」

 

奉公先に自信がなく、私は地図を稲山直哉と名乗った男の人に見せた。

私は、学がない。
だから、字も読めない。

だけど、東都は字が読める人が多いからと、田舎から私を連れてきた男は地図に屋敷の名前や、目印となる場所を書き込んでいた。

 

直哉
「ああ、あのお屋敷か。
なら、行くのは簡単。この地図通りに行けばすぐわかるよ」

ハナ
「そうだといいんですけど……」

直哉
「送って行ってあげたいのはやまやまなんだけど、追われてる身だからね」

直哉
「これ以上、オレといたらもしかしたらあんたにも危害が及ぶかもしれないし。
とりあえず、出口までは連れて行くよ」

ハナ
「あの……稲山さんは、何かしたんですか?」

直哉
「えー? うーん……したと言えばしたかな。
ていうか、稲山さんなんて堅苦しい呼び方やめてよ。直哉でいいよ、ハナちゃん」

ハナ
「っ……は、はい。で、では直哉さんとお呼びさせていただきます」

直哉
「あっはは、本当にハナちゃんは田舎から出たてなんだね。何に対しても反応が初々しいよ」

 

直哉さんは豪快に笑って、私の肩を軽く叩いた。

きっと、この人にとっては……ううん、東都の人にとっては、こうして触れることなんて普通なんだ。

 

直哉
「特に何か悪いことしたってワケじゃないんだけどさ、オレのこと追っかけてた男たちにとってはオレが悪人なわけ」

ハナ
「……?」

直哉
「ごめんごめん。ハナちゃんには難しかったかな?」

直哉
「あっ……ごめん。また、バカにしたような言い方しちゃった。本当にそんなつもりないんだけど……駄目だね、オレって」

 

そう言った直哉さんは恥ずかしそうに舌を出し小さく笑った。

眩しい、笑顔だった。

直哉さんの言葉や行動は……私にとって新鮮過ぎる。
村では、出会ったことがない人だ。

話でしか聞いたことのない東都。
それが、この人からたくさん伝わってくるような気がした。


直哉
「ねえ、ハナちゃん」

ハナ
「は、はい」

直哉
「どうして、お屋敷勤めに?
自ら望んで……?」

ハナ
「それは……」

直哉
「あ、言いたくなければ言わなくていいよ」

直哉
「たださ……この駅には、絶望と希望が入り混じってるから」

直哉
「あんたみたいに上京したての娘さんが抱いてるのは希望なのか絶望なのか、どっちなのかなって」

 

包み隠さない直球の質問に、私は口を閉じてしまった。

絶望と希望が入り交じる駅。

……ここは、確かにそうかもしれない。

生まれ住んだ土地を離れ、身1つで何も知らない場所に来る理由は、自らが望んだからなのか、それとも……。

それとも、他者の望みからなのか。

 

直哉
「ハナちゃん?」

ハナ
「あ、ご、ごめんなさい……。ちょっと考えちゃって……」

ハナ
「私が抱いてるのは……」

ハナ
「わからないです」

直哉
「わからない?」

ハナ
「絶望も希望も、両方あるかなって……」

ハナ
「私の住んでた村は、どこも貧しくて……年頃になるとみんな村を出て行ってたんです」

ハナ
「ううん、きっと……私の住んでた村だけじゃないですよね。隣の村もそうでしたから」

ハナ
「……でも、だからって泣き言ばっかいってられないじゃないですか」

直哉
「ハナちゃん……あんたは強いね」

ハナ
「え?」

 

ふわりと微笑んだ直哉さん。

――そうして、再び感じた温もり。

 

ハナ
(わ、私……また抱きしめられてる!?)
 

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