『病院の花嫁~愛の選択~』<第1話>

『病院の花嫁~愛の選択~』<第1話>

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美咲と看護師数名が、夜勤から日勤への引き継ぎミーティングをする。

 

美咲
「306号室の田中さんの発熱が治まり快方に向かっています。106の大蔵さん、深夜に胸の痛みを訴え、当直の岡村医師が処置し治まりました。明後日、退院予定の204号室の佐藤さんの食欲が落ちているのが気がかりです」

婦長
「夜勤からの引き継ぎ事項を心に止め、今日も一日、誠心誠意、患者さんの看護にあたりましょう。夜勤勤務の方、お疲れ様、早く帰って体を休めなさい」

 

部屋を出て行こうとした私を、婦長が呼び止める。

 

婦長
「築山さん」

美咲
「はい?」

婦長
「勤務が終わったら、程ほどにして帰りなさい。明日は日勤でしょ?」

美咲
「はい、お疲れ様です」

 

一礼して、美咲が出ていくと婦長はため息をついた。

 

婦長
「と言っても、あの子には無理でしょうけど……」

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窓の外をみると、久しぶりのいい天気。

そうだ、まず太田さんの所に顔を出そう。

雨だと傷口が疼く気がする。早く晴れてほしいと言っていた。

私は太田さんの病室へ急いだ。


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太田さんは、眩しそうに目を細めて窓の外を見つめていた。

 

美咲
「おはようございます」

太田
「ああ、おはよう」

美咲
「太田さん、窓開けますね、わぁ、風がきもちいい。傷、疼きますか?」

太田
「今日は大丈夫だよ、雨の日は何となくねぇ、変な感じがして」

美咲
「傷口の治りは良好だし、気分的な物もあるかもしれませんね。でも、少しでも違和感あったら、どんどん伝えてくださいね」

太田
「いつも気にかけてくれてありがとう」

惣一朗
「隣の病室も、君が来るのを待ちわびているよ」

 

溜息交じりの声が聞こえ、振り向くと、この病院の院長の息子、外科医の立川先生が立っていた。

もう、回診の時間だったんだ。

 

美咲
「立川先生、おはようございます」

 

立川先生は優秀で腕がいい。

でも、患者さんに対して事務的というか、素っ気ない態度が気になる。

この先生の代になったら、現院長の方針『患者は家族、親身に温かく寄りそう医療』が変わってしまいそう。

 

惣一朗
「太田さんの傷口は処置の必要ないから、向かいのベッドの患者さんの傷口消毒しといてくれ」

看護師A
「はい」

惣一朗
「築山さん、手伝って」

美咲
「はい」

 

立川先生の回診についていた看護師に変わって、私が太田さんのパジャマを開く。

腹部に痛々しい15㎝の縫合の痕が現れた。

太田さんは、中期の胆管癌。近接臓器の肝臓の半分と周辺リンパ節を除去する大手術だった。10時間以上要することもあるこのオペを、立川先生はわずか8時間で終わらせた。

70代と高齢の太田さんの体力は奪われず、術後の経過も良い。

 

惣一朗
「順調に回復しているし、痛みもなさそうですね」

太田
「あぁ……大丈夫だよ」

 

自分の診たてや腕に自信があるから、あんな言い方するのかしら……?

医師に断定的に言われたら、患者さんが異変や不調を伝えにくいわ。

 

美咲
「あの、立川先生、太田さん、雨の日には傷口が疼く気がするそうです」

惣一朗
「えっ? この状態じゃ問題無さそうだが」

太田
「ああ、今日は痛まないよ、何となくじんわり痛い日があってね」

惣一朗
「では、強く痛みがでたら看護師に伝えてください」

 

やっぱり、この先生が院長になった時、この病院が心配……。


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私は隣の病室にも顔をだし、患者さん達と話をした。

患者さんの笑顔は、疲れた私の身体を癒してくれた。

着替える為にロッカーへ向かっていると、立川先生に呼び止められた。

 

惣一朗
「築山さん、君のシフト、おかしくないかい?」

美咲
「えっ?」

惣一朗
「夜勤明けだろ? 今日は急変した患者や急患もいない。以前から君の勤務時間が長いのが気になっていたんだ。婦長に伝え改善を」

美咲
「違うんです、患者さん達と話したくて私が勝手に残っているんです、あ、残業は、もちろんつけていません!」

 

ふっと立川先生が、笑った。

立川先生、こんな顔して笑うんだ……。

いつも冷たい雰囲気だけど、笑顔になると目が優しくなる。初めて、知った。

 

惣一朗
「誰もそんなことは気にしていないよ」

美咲
「あ、すいません」

惣一朗
「仕事熱心なのはいいが、この仕事は体力勝負だろ?」

美咲
「はい」

惣一朗
「体調を崩しては、満足な看護ができないぞ」

美咲
「はい、気をつけます」

惣一朗
「早く帰って、ゆっくり休め、人の事ばかりで自分は二の次。君みたいなタイプは疲れをためこみやすいから心配だ」

美咲
「あ、はい、お疲れさまです」

 

一礼して頭を上げると、立川先生はもういなかった。

午後からのオペの準備があるのだろう。

立川先生こそ忙しくて大変なのに、オペ室勤務じゃなく病棟勤務で接する機会の少ない私の勤務時間を把握していたなんて、意外。

さっきの言葉は撤回。

院長とタイプは違うけど、この病院のいい跡取りになりそう。

普通は、私みたいな看護師まで気にかけてくれないもの……。

勤務している者のことを思いやれる医師なら、患者のことも思いやれるはずよ。

きっと、言い方がぶっきらぼうなだけなのね。


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ベッドで眠っていると、父の怒鳴り声で目が覚めた。

11時に帰宅してすぐに眠ったというのに、時計をみると、夜の7時を回っている。

 

美咲
「もう7時過ぎ……? やだ、私、こんなに寝ていたの?」

 

立川先生の言うように、疲れがたまっているのかもしれない。

病院勤務というより、家庭の環境に少し疲れていた。

父の怒鳴り声はますますひどくなる。

 


「こっちは、一日、融資先巡ってきたんだぞ! 飯ができてないとは何事だ!」


「すいません、今すぐ準備します。美咲が疲れて眠っていて、あの子が起きてから皆で夕食をと思って、この頃、あの子と一緒に食事をとっていなかったでしょ」


「いつまであんな仕事させとく気だ、結婚相手に医者をつかまえられるかと思ってやらせておいたが、家にいても寝てばっかり、見合い話も断りやがって」


「毎月、美咲が給料の大半をうちに入れてくれるから、随分助かっているじゃないですか」


「ふんっ、あんなはした金」

 

今日の父は特別、機嫌が悪い。

昔からの付き合いの所を回ると言っていたが、良い返事をもらえなかったのだろう。

お母さんに当り散らしそう。早く、一階へ降りなくちゃ。

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一階に降りると、父の怒鳴り声は消えていた。お風呂にいったようだ。

母が慌ただしく夕飯の用意をしている。煮物にお浸し、ヒジキと豆腐が入った鳥の挽肉のハンバーグはすでに出来上がっていた。

これだけで、十分なのに……。

父の要望で夕食は必ず五品、食卓に並ぶ。

家計が苦しくなってからは、母は安い食材で工夫し、夕食五品のルールを守っている。結果的に、うちの食事は野菜や豆腐、魚中心に変化した。

そんな母を、「外で働いたことがないお前は世間知らずで、何の取り柄もない」と、父は罵る。

世間知らずなのは父だ。お肉1パックの金額も知らない父は、ここ数年のヘルシーメニューは自分の健康の為と思い込み、母が苦労してやりくりしていると全く気付かない。

 

美咲
「お母さん、手伝うよ、私が天ぷら揚げるね」


「美咲、疲れているのに、いいのよ」

美咲
「大丈夫、たっぷり寝たから」


「久しぶりね、こうやって一緒にキッチンに立つの」

美咲
「うん、そうだね」


「あ、そろそろ揚げて良さそうね。少し衣をたらしてみて」

美咲
「こう?」


「そう、衣を落とすとぱぁっと散らばるでしょ。これが天ぷらを揚げる調度良い温度の目安」

美咲
「へぇ」


「あなたも年頃だし、いざという時に困らないように色々教えておかないとね」

美咲
「あ、うん……」

 

こんなこと言うなんて、お母さんも私に早くお嫁に行ってほしいのかしら……?

 


「あ、お父さん、お風呂から上がってきたみたいね。後はお母さんがやるから、出来上がった料理並べてちょうだい」

美咲
「うん、わかった」


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私が子供の頃は、父の羽振りは良かった。リビングを飾る豪華な調度品や家具がそれを物語っている。

全て売ってしまえばいいのに……。

料理を全て並べ終わると、父がテーブルについた。

 


「また豆腐のハンバーグか。バカの一つ覚えみたいに」

美咲
「美味しいじゃない、豆腐や野菜中心にしてから、血圧とコレステロール値、下がったって喜んでいたでしょ? お母さんのお蔭だよ」


「ふん、毎日、家にいて暇なんだから、これくらい当然だよ」

 

母が、冷えたビールを父の為にもってきた。

 


「今日もお仕事ご苦労さまでした」


「うむ」

 

父が当たり前のような顔でコップを差しだすと、母はビールを注ぐ。

もし、私が結婚したら、こんな風に夫に尽くせるかしら……。

 


「美咲も、もう27、適齢期だ。売り時過ぎるといい見合いがなくなるぞ」


「毎日、疲れた顔して、お父さんはお前を心配しているんだ」

美咲
「確かに、疲れてクタクタな時もあるわ、でも、この仕事が好きだから少しも苦にならない」


「辞めたくなる時も、あるんじゃないのか?」

美咲
「辞めるなんて考えたことないわ。できれば、一生看護師を続けたいと思っている」


「人が優しく言ってるのにつけあがりやがって、お前の幸せを思って言っているんだぞ! いいか、今週中にこの中から選んでおけ!」

 

父は、私の前に見合い写真を数冊置くと、怒って出て行ってしまった。

きっと、この前のように取引先関係で勧められた縁談なのだろう。

私が結婚すれば、融資を受けられるかもしれないと言われて……。

うな垂れる私の手を、母が優しくそっと握る。

 


「お父さん、会社のことで頭が一杯なのよ」

美咲
「ねぇ、お母さん、そんなにうち大変なの?」

 

母は、黙って目を伏せた。


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緑に囲まれた病院の中庭を通りかかると、天気の良い午後の恒例行事。

院長先生と入院患者さん達の将棋大会が行われていた。

 

院長
「おっ、そうきましたか、いい手さしますなぁ」

患者A
「大工の俺が、頭のいいお医者さんに勝つとは気分いいねえ」

院長
「まだ勝負は決まってませんよっと」

患者B
「おおっ、決まった!! 大手!!」

患者A
「ちっくしょうー! やられた!!」

院長
「はっはっは、油断しましたね、これで、八勝八敗。引き分けですな」

患者たち
「次は、俺と対戦だ」

 

患者さん達に囲まれた穏やかな笑顔の院長を見ているといつも思う。

私、こんな父親が欲しかった……。

ふと気づくと、中学生くらいの男の子がこちらを見つめている。

たしか、この子は……。

今週、小児外科病棟に入院してきた小児がんの患者だ。

うちは、全国でも珍しい小児外科の専門医が勤務する小児外科があり、設備も整っているので、遠方から重い病に苦しむ子供達が集まってくる。

来年度は、小児専門の難病センターを設立するので、さらに、患者が増えるだろう。

地域の救急医療の向上を目的に、ヘリポートの建設計画も予定していると聞いた。

少し手を広げ過ぎな気がして、不安だ。

実権を握る院長の奥様の意向が強いようだが、営利目的ではなく人命を救うのを第一に考え、経営拡大をしているのは勤務していて良く分かる。

でも、組織が大きくなればなる程、本来の目的から遠のいてしまうこともある。

ううん、大丈夫。この病院ならきっと、変わらないはずよ。

男の子は、一緒に交じりたそうな顔で将棋盤を見つめている。

 

美咲
「将棋好きなの?」

少年A
「うん、いつもお爺ちゃんとやってるよ、あっちの病棟は小さい子ばかりで遊ぶ相手いないんだ」

美咲
「じゃあ、飛び入り参加しちゃおっか」

少年A
「うん!」

 

次は、誰が院長と対戦するか揉めている中に、少年を連れて行った。

 

美咲
「院長、次の対戦相手は彼です」

院長
「子供だからって、手加減しないよ」

少年A
「当たり前だよ、そうじゃないとやりがいがないからね」

 

その場にいる一同が、どっと笑う。

お父さんには、ああ言われたけど……。

私はこの仕事が好き。

看護師を辞めたくない。

温かなこの病院でずっと働いていたい。

私の気持ちをきちんと伝えれば、話し合えば、きっと分かってくれるはず。

だって、親子だもの……。

けたたましい救急車の音が鳴り響く。1台、2台、えっ? 3台も……?

重なって聞こえてくるサイレンの音、これは、ただ事ではない。

看護師や医師が、救急病棟へ駆けていく。


美咲
「何か、あったんですか?」

看護師A
「化学工場で爆発事故があったの。職員と通りかかった住民が大勢怪我をして、うちには、トリアージ赤の患者がメインで運ばれてくるわ!」

 

トリアージ赤……。重体、重傷の患者さん達がやってくる。

私も急がなくては!!

 

美咲
「院長、失礼します!」

院長
「あぁ、頼んだよ、すべての患者を救ってくれ!!」

 

看護師や医師の後を追い、私も救急病棟へ駆けだした。

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一足遅く、駆けつけると、そこは戦場だった。

 

看護師B
「先生、お腹の子供の心拍が落ちています」

惣一朗
「帰ってこい! あんた母親になるんだろ!! 戻ってこないと、子供が死んじまうぞ!!」

 

立川先生が、懸命にお腹の大きな妊婦さんを蘇生していた。

お願い、息を吹き返して!! お願い!!

 

惣一朗
「よし、意識が戻った! 出血がひどい、早くオペに回せ! 産婦人科に連絡! 妊娠8か月の妊婦だ。帝王切開で赤ちゃんを取り出せ!」

 

良かった……。

これで、赤ちゃんも、お母さんも助かる。

 

惣一朗
「築山!! なに突っ立ているんだ! 早く、手伝え!」

美咲
「すいません!」

 

いつもクールな立川先生が、別人みたい。

こんなに、懸命に患者さんの命を救おうとするんだ。この先生、やっぱりすごい。

私のすぐ傍の電話が鳴った。誰も出る余裕がない。

私は、受話器をとった。

 

医師
「麻酔科の山辺です。道が渋滞していて、あと十五分程で到着します」

美咲
「わかりました」

 

電話を切ると、また呼び出し音が鳴った。

 

美咲
「はい、立川総合病院、救急外来です」

救急隊員
「化学工場で二次災害、発生。救助にあたっていた隊員を含め怪我人が多数。すぐに処置が必要な重傷患者二名、受け入れお願いします!」

美咲
「立川先生! 二次災害で怪我人がでたそうです。重傷患者を二名」

惣一朗
「断れ!!」

 

立川先生の声が聞こえたのだろう。救急隊員は懇願するように頼む。

 

救急隊員
「お願いします、手一杯なのは分かっています。周辺の病院全てに断られました。そちらに断られたら、一時間かかる東和病院に頼むしか、うちの、隊員を、助けてください」

 

救急隊員は涙声になった。一刻を争う状況なのだろう。

搬送に一時間かかっては、助かる命も消えてしまうかもしれない。

 

美咲
「……わかりました。立川先生、お願いします、受け入れて下さい! うちの前に周辺全てに連絡し断られたそうです!」

惣一朗
「何年看護師やってるんだ! 目の前の状況を見ろ!」

美咲
「でも、うちが断れば、搬送に一時間かかる東和病院へ行くしかないそうです」

惣一朗
「適切な処置が出来なければ受け入れても意味がない、麻酔科医も外科医も足りない! オペできず見殺しにする気かっ!」

美咲
「非番だった麻酔科の山辺先生がこちらに向かっています。15分程で着くそうです」

惣一朗
「だから、外科医が足りないんだよ!!」

美咲
「一人、ここにいますよ」

 

ふり返ると、長身の男性が白衣を羽織り駆けてくる。

見知らぬ医師の登場にその場にいる一同は、くぎ付けになった。

 

美咲
「えっ? うそっ? 松宮、先輩……?」

 

私がこの職業につくきっかけになった、松宮先輩。

ずっと忘れられない初恋の人、松宮先輩。

どうして、松宮先輩がここに……?

 

松宮
「今日は着任の挨拶だけの予定でしたが、今から勤務させてください。外科医の松宮玲人です」

 

松宮先輩が、うちの病院へ……?

そういえば、循環器の若手名医をヘッドハントしたって先輩看護師達が噂していた。

それが、松宮先輩のことだったんだ。

 

松宮
「ほら、そこの看護師、早く受け入れの返事を」

美咲
「あ、はい」

 

松宮先輩、全く驚いていない。

もしかして、私のこと覚えていないのかしら……。

 

惣一朗
「まて、いきなり現れて場を仕切るのは失礼じゃないか」

 

立川先生の厳しい表情に、不穏な空気がたちこめた。
 

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