裁判員法は正式には「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」といいます。
今では6割から7割の人が裁判員を辞退しています。
そのため、今回は「なぜこの法律ができたのか?」です。
裁判員制への理解の一助となっていただけたら幸いです。
国民参加型の裁判は大きく分けて2種類あります。
一つは陪審員制度。もう一つは参審制度です。
陪審員制は有罪無罪の判断を陪審員だけで行い、量刑は判断しません。
参審制は職業裁判官と市民の合議で有罪無罪、量刑も判断します。
ですから日本の裁判員制は限りなく参審制に近いといえます。
裁判員法ができた理由は第1条に明記されています。
「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」
この条文はいわゆる旗のようなものです。
少し抽象的なので、分かりやすく説明していきます。
裁判員法ができた理由は、主に4つあります。
第一に「先進国の現状」です。
先進国G8中で「国民参加型裁判」を導入していない国は日本だけでした。
陪審員制はアメリカ、イギリス、カナダ、ロシアです。
参審制はフランス、イタリア、ドイツです。
ちなみに陪審員制のアメリカ、イギリス、カナダは18才以上の市民です。
ロシアは25才以上です。
第二に「過去の陪審員制度の存在」です。
かつて日本にも陪審員制度がありました。
1923年(大正12)に法律ができました。
1928年(昭和3)から1943年(昭和18)まで行われました。
たった15年間でしたが、陪審員制度は自由民権運動家たちの夢でした。
国民の「自由の砦」であると考えられていたからです。
15年間の裁判数は484件で、そのうち81件が無罪となっています。
日本の陪審員制度が1943年に停止されたのには理由が三つあります。
一つは、戦争を続行していくために陪審員制度は軍国主義と馴染まないこと。
第二に、制度そのものが不完全だったこと。
第三に、法律家が市民に参加を辞退するよう勧めることが多かったこと。
そのため、日本の陪審員制度は停止されました。
しかしあくまで一時停止であり、戦争終了後再試行することになっていました。
「陪審法ノ停止ニ関する法律」で明記されていました。
しかし戦争終了後、官僚法律家の強い反対にあい再試行はできませんでした。
ただ、その芽は辛うじて裁判所法3条3項に残すことができたのです。
「この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」
という条文です。
ですが、その後50年以上放置されてきました。
第三に「民主主義国家としての要件」
前記のようにG8中、陪審制・参審制のどちらも導入していないのは日本だけでした。
日本は民主主義を主張している国家です。
そのため陪審制導入は避けられないことだったのです。
かつてアメリカはイギリスの植民地でした。
その支配から脱却するために、司法を市民の手に握る必要がありました。
独立運動の中で、その必要性を認識したといえます。
結果、アメリカの陪審員制は憲法上の権利にまで高められたのです。
また「推定無罪の原則」という言葉があります。
検察は「合理的な疑い」を超えて有罪の立証をしなければなりません。
それができない場合は有罪とはできない、無罪になるという原則です。
この「合理的な疑い」とは通常の市民の判断する疑いを意味します。
そのため「推定無罪の原則」は陪審員制でしか制度を保障できないことになります。
「市民の一致した判断に基づいた評決」でこその原則だといえます。
第四に「司法制度の形骸化(けいがいか)」です
形骸化とは「内容のない形だけのものになること」をいいます。
裁判官は選挙で選ばれるのではありません。
そのため次第に事務的官僚化していきました。
問題の第一は「調書裁判」です。
警察での供述調書を重視するため、裁判の長期化が進みました。
「自白調書」に強く依存してきたからです。
被告人が法廷で否認したケースは特に長期化が深刻でした。
「調書」と「法廷証言」のどちらが真実か?
それを争う、さならが「法廷ゲーム」のようだと揶揄されてきたのです。
問題の第二は「人質司法」です。
被疑者は逮捕後、取調べに長期間身柄拘束されます。
被告人は起訴後も身柄拘束は続きます。
特に否認のケースはその拘束期間が長くなるわけです。
裁判が長引けは「法廷ゲーム」が繰り返されることになります。
問題の第三は「判例の弊害」です。
特に凶悪犯罪事件などは前例を重視してきました。
そのため刑が軽くなる傾向にありました。
市民感情にそぐわなくなってきていたのです。
ほとんどの日本の裁判官は、他の職業を経験することはありません。
同じような思考様式を持った仲間と一生涯、法廷で過ごします。
一方、私達市民はさまざまな学校・会社でそれぞれが暮らします。
結果さまざまな思考回路や価値観をもった人々が生きて、出会います。
喜び、傷つき、励まされ、励ましながら生きています。
まさに裁判員に求められているのは、こうした市民の意見なのです。
常識ある社会通念なのです。
先進国、世界の民主主義国家として必要性。
維新後、激動の民権運動家が勝ち得た司法のため。
多くの問題打破のために裁判員制度はできました。
この制度は国民のための「司法権」なのです。
選挙権と同じように、国民が得た制度です。
激しい民権運動をせずに得た権利です。
無駄にしたくないものです。
裁判員の呼出状が届いたとき、この記事を思い出していただけたら幸せです。