ロマンス小説『engagement~誓い~』<第5話>

ロマンス小説『engagement~誓い~』<第5話>

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オーヴェルニュ家のものである、大きなお屋敷に到着したのは夜も深まってからだった。

12

イリス
(ここが……、オーヴェルニュ家……)

 

重厚な玄関扉が開かれると、メイドたちが恭しく頭を下げる。

 

サフィール
「ロッシュ。いま、帰った」

 

サフィール伯爵がロッシュと呼んだ男が私に冷たい視線を投げかける。

 

ロッシュ
「……サフィール様、この娘でございますか?」

 

私は自分の汚れた身なりを恥じた。

 

サフィール
「ああ。部屋を用意してやってくれ」

ロッシュ
「……はい。用意してございます」

 

執事頭なのだろうか。ロッシュと呼ばれた彼がメイドたちに指示を出す。

黒い執事服によく似合う黒髪にモノクルといったいでたち。

 

ロッシュ
「それより、サフィール様。領地に例の賊たちが……」

 

ロッシュ様がサフィール伯爵の耳元へ声をひそめる。

 

イリス
(……賊……?)

 

微かに、サフィール伯爵が眉しかめた。

 

サフィール
「わかった。執務室で聞こう」

メイド
「さあ、イリス様。こちらへ」

イリス
「……はい。ありがとうございます」

 

私は執務室へと急ぐサフィール伯爵の後ろ姿を目の端で気にしながら、メイドに促されて部屋へと案内された。

イリス
(これは……、なんて素敵なの)

14

案内された部屋は、華やかな調度品で彩られていた。品の良いものばかりで、趣味の良さが窺える。

 

メイド
「お気に召されましたか? サフィール様の御命令で、ロッシュ様が揃えられたものですよ」

 

思わず見惚れていた私に、メイドがくすくすと笑いかける。

 

イリス
「ロッシュ様が……」

 

私は、先ほどの冷たい目線を思い出した。

 

メイド
「ええ」

メイド
「……イリス様のお着替えが終わりましたら、食堂に来るようにとのことですわ。お好きなお召し物をお選びくださいませ」

 

続きの衣装部屋には、色とりどりのドレスや装飾品が用意されていた。

 

イリス
(私には、過ぎたものばかり……。でもこれが、サフィール伯爵が私に求めるものでもあるということね)

 

サフィール伯爵が馬車で口にした「伯爵夫人としての節度を守れ」という言葉の意味を、私は理解した。

24

着替えて食堂へ移動すると、すでにサフィール伯爵が席に着いていた。

 

サフィール
「遅かったな」

イリス
「すみません」

サフィール
「まあ、いい。あんな森の中をうろうろとしていたんだ」

サフィール
「さすがに空腹だろう。軽いものを用意させたから、食べるといい」

イリス
「ありがとうございます」

 

言われると、自分がすごく空腹であることに気が付いた。

 

イリス
(ずっと森の中をうろうろしていたんだから、無理もないよね……)

 

私はスープとオードブルをいただくことにした。

広い食堂に、微かに食器の触れ合う音だけが聞こえる。

イリス
「あの、ダリヤは……」

 

私は気にかかっていたことを口にした。

 

サフィール
「ロッシュに任せてあるから、問題はない」

 

私に目もくれず食事を進めるサフィール伯爵に、それ以上のことを聞くことはできなかった。

ロッシュ様が食後のコーヒーを運んで来る頃、サフィール伯爵が口を開いた。

 

サフィール
「君はパーティーのホストをするのが得意だそうだな」

イリス
「そうですね。叔母様のところにいたときは常にパーティーのホストを任せられていました」

サフィール
「ふむ、そうか。ならば、今回の婚約披露パーティーは君に一任することにしよう」

イリス
「婚約披露パーティー、ですか……?」

 

森で助けられてついて来たものの、私はまだサフィールと結婚すると決めたわけではなかった。

 

イリス
(ビジネスと考えろと言われても……)

 

そうそう、気持ちが割り切れるようなものでもない。

 

サフィール
「パーティーなど面倒くさいが、やらないわけにはいかないからな。お披露目だけしておけば、うるさい親戚も文句は言うまい」

 

心底迷惑そうな表情を浮かべるサフィール伯爵。

 

サフィール
「これが君の最初の仕事だ。見積もりやそれ以外のことで必要なことがあれば相談はしてくれて構わない」

サフィール
「ただし、手短に、だ。私はあまり時間がないからな。そんなことに煩わされたくはない」

 

サフィール伯爵はさっさとコーヒーを飲み干す。

 

サフィール
「それと、招待するべき人のリストをロッシュに渡してある。それを受け取っておくように。以上だ」

イリス
「ですが、サフィール伯爵様……!」

サフィール
「それと、これからは私のことは伯爵を付けずに呼ぶことだ。これから伯爵夫人になるのだからな」

 

言い終えると、私の返事も聞かずに席を立つ。

 

イリス
「あの……!」

 

私は思わずその背中に声をかけた。しかし、サフィール様には届かなかったのか、振り向くことはなかった。

 

イリス
(なんて人なの……!)

 

大切なパーティーを煩わしいと言うのも驚いたが、何よりまだ会って間もない自分にそんな大役を任せていいのだろうか。

私は一日で目まぐるしく起こった数々の出来事に、まだ気持ちが付いていけないでいた。

ロッシュ
「主はご多忙ゆえ、わたくしが屋敷の中をご案内しましょう」

 

朝食を終えると、そうロッシュ様が私に話かけた。

 

イリス
「え、ええ……。よろしくお願いします。ロッシュ様」

 

イリス
(広くて迷子になりそうだなって、思ってたんだよね……)

 

実際、オーヴェルニュ家の屋敷は、モンベリアル家に比べるとはるかに広大で、一人で歩くのは不安になるほどだった。

 

ロッシュ
「イリス様。私は使用人です。様付けで呼ぶ必要はございません」

イリス
「それは……、でも……」

ロッシュ
「ご自分のお立場を、弁えた行動をお取りください」

 

軽く頭を下げるロッシュ様。

 

イリス
「それじゃあ、ロッシュさん、で」

ロッシュ
「まあ、よしとしましょう」

ロッシュ
「さあ、それではこちらへ」

11

ロッシュさんは屋敷を歩きながら、部屋のひとつひとつを説明してくれる。

 

イリス
(いきなり全部は覚えられそうにないけど……)

 

自分が使うであろう場所だけでも、先に覚えておかなくてはならない。

メイド
「ロッシュ様、ちょうど良いところに!」

 

何事かあったのだろうか、慌てた様子のメイドがロッシュさんに救いの瞳を向ける。

 

ロッシュ
「イリス様、少々お待ちください」

 

ロッシュさんはそういうと、メイドに何やら指示を与える。

屋敷を歩いている間に、そんなことが数回あった。

 

イリス
(昨夜はなんだか、冷たくて厳しそうな人だと思ってたけど)

イリス
(メイドたちにも頼られているし、人望はあるみたい……)

 

ダリヤ
「イリス様……!」

イリス
「ダリヤ! 良かった、会えて。どうしているのかと思っていたの」

ダリヤ
「みなさまに良くしていただいています。まだ、この屋敷のことがわからなくて覚えることが多いのですが……」

ダリヤ
「一通り覚えれば、イリス様のお世話をして良いと言われています!」

イリス
「まあ、そうなの!?」

 

ダリヤが傍にいてくれるのであれば、心強い。

 

ダリヤ
「はい! サフィール様もロッシュ様もそのように取り計らってくださいました。だから、もう少し待っていてくださいね!」

イリス
「ええ、もちろん!」

イリス
「ロッシュさん、ありがとうございます!」

ロッシュ
「わたくしは、一番良いと思われる方法を選択しただけです」

 

嬉しくて、今はロッシュさんの冷たく聞こえる言葉も、心地よく耳に響く。

 

イリス
「でも、ありがとう」

 

ロッシュさんは無言で会釈をしたのみだった。

 

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フリーウェブライター、恋愛ライターとしても活動中。主にいろいろな目線で、ライフスタイル/恋愛/占いについて執筆。たまにライブ活動も行うが執筆最優先の生活が続いている。常に面白いことを探しに旅をしている。「初めまして、バルクです。ベリーグッドではいろいろなジャンルの記事を書かせていただいてます!読者のみなさんのお役に立てたらうれしいなと思います。よろしくお願いします。」