背徳の愛に、羨望。「私の男」 【ネタバレ有】

 
世界中でタブーとされる「近親相姦」。
それを前面に出した問題作『私の男』は読みましたか?

2014年に映画化したことで初めて原作を手に取った方も、
改めて読み返した方もいるでしょう。

直木賞を受賞し、高い評価を得た本作品ですが、たいていの女性の読後の感想は
「気持ち悪い」
 

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出典:Amazon

賛否両論ある作品ではありますが、個人的には人間の本質的な欲求である「自分にないものを求める」究極の姿が描写されていると評しています。

この作品が発表された2007年、
豊かな表現力を持つ”日本語”というツールが存在することに感謝しました。

日本語だからこそなし得た「気持ち悪い」ほど緻密に描かれた禁忌に、
幻想など打ち消されるような”愛”を目の当たりにすることでしょう。
 

 

貪るように求め合い、応え合うふたり。

この世にふたりきりの家族となった父と娘が必要としたのは、
お互いの存在だけ・・・。

「ずっと、逃げているんだ。そばにいても、離れても、変わらない。
俺たちは、これからだって、2人きりで、逃げているんだ。」

 

「好きよ。おとうさんは、娘に、なにをしてもいいの。」

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ストーリーは時間軸を遡る形で進行していきます。
 

 
2008年6月、花は結婚式を翌日に控え、
婚約者・美郎と父・淳悟と3人で会食の席にいました。

いくつになっても生活感を感じさせない風体で、飄々とした淳悟。
幼い自分を引きとり育ててくれた養父は、いまだ若いままです。

ずっとふたりきりで生きてきた親子。
しかし娘は、父から離れる時が来たのです。

「私の男は、やっぱり、だらしなくてもうつくしかった。」

新婚旅行から帰った花は、淳悟が待つはずの家に向かいます。
そこで見たのは、何もない空っぽの部屋。

淳悟は消えたのです。

ふたりを強く結び付けていた”秘密”と共に。

淳悟の元恋人である小町は、花に言い放ちます。
淳悟は、死んだのだと。

しかし花は確信しています。

そんなのは、嘘だ。

 
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2000年7月、淳悟と16歳になった花は北海道を離れ、東京で暮らし始めます。
ボロボロのアパート「銀の夢荘」に、
ふたりを縛るしがらみは何もありません。

親子には見えないふたりでしたが、平凡な日常を送っていました。

ひとつ平凡ではないとすれば・・・・

淳悟からすれば、制服を着た花の姿はまだまだ幼い子供です。
しかしひとたび裸になれば、まるで長年連れ添った古女房のように、ぴったりとカラ
ダが重なるのを感じるのでした。

ふたりは夜を待ち、睦みあいます。
過去から逃げ、他人を排除するように生きるふたり。

そこへ北海道の暗い海にまつわる花の”罪”を、
清算させようとする人物が訪ねてきます。

花のため、引いては自分のために、
淳悟は”罪”を隠し通すための”罪”を重ねるのです。

こうして「銀の夢荘」に、ふたりを縛るしがらみ、”秘密”が生まれるのでした。

 


 
2000年1月、ある人物によって
淳悟と花の関係を露わにする写真が撮られてしまいます。

若いふたりをずっと気にかけてきた地元の有力者・大塩は、
決してあってはならないふたりの関係に気付くのです。

養父である淳悟と、養女である花。
ふたりが男と女として親密なのであれば、倫理に反します。

しかし、花は知っています。
自分たちが、それ以上の重大な禁忌に触れていることを。

大塩は花を淳悟から引き離そうとします。
それは花にとって、
”完全なるふたりの世界”の崩壊を意味していました。

そんなことはさせない。

説き伏せようとする大塩を、
真冬の暗い海に飲み込ませる花。

このまま一緒にいれば、
退廃的なふたりの未来はこれからも続いていくでしょう。

それを断ち切ることも叶わぬまま、大塩は暗い海に呑まれ、果てるのでした。

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大塩の死後、花のしたことに勘付いた淳悟。

淳悟は誰にも告げることなく故郷を捨て、
花と”罪”を共有して生きていくことを選ぶのです。

 

1993年7月、奥尻島の震災により、花は家族を津波で亡くします。

震災孤児となった9歳の花を、
遠い親戚である淳悟が引き取ることになるのです。

当時25歳の淳悟は、オホーツク海の巡視船に乗る海上保安官で、
天涯孤独の身でした。
家庭での愛が欠落している淳悟は、女の出入りが激しい青年です。

そんな淳悟が養父となることに、周囲は猛反対します。

しかしそんな周囲をよそに、
花も淳悟と暮らすことを望むのです。

こうして”血”によってふたりが引き合わされたところで、
本は終わります。

 

 
「お前は俺のもんだ」

「全部、私のもんだ」
 
”血”の繋がりにすがったふたりはあまりにも罪深く、
しかし生き物としての純粋な性を感じました。

このふたりを羨ましく思ってしまうことは、罪でしょうか?

これは問題発言!?
また意見が割れそうですね(汗)