【九星別】本気?社交辞令?あの人のあなたへの本当の気持ち~一白水星・二黒土星・三碧木星~(ページ2)

気になるあの人から好意を寄せられている気がするけれど、それは単なる社交辞令かもしれない……そんなふうに悩んでいるなら、あの人の九星別に探っていきましょう。あの人が好意を寄せている相手にだけ見せる言動を知ることで、判断がしやすくなります。

一白水星

一白水星のあの人は、誰にでも柔軟に合わせることができます。そのため、たいていの人と親しくつきあうことができる社交性の持ち主です。そのため、本当に好きな相手から誤解されやすい傾向があるでしょう。ですから、あなたも、あの人の気持ちが社交辞令かもしれないと思うこともあるのです。

ただ、一白水星のあの人というのは、本音を見せているようで、見せていない人です。誰とでも仲良くしているようで、心は開いていないのです。一白水星のあの人が気を許しているのは、自分を甘やかしてくれる人。周りに合わせることが上手な一白水星のあの人は、自分をおさえて、言いたいことも言えず、思い通りに行動することも控えがちです。そのため、心身ともに疲労困憊になってしまうこともしばしば……。そんなあの人にやさしい言葉をかけてくれたり、労わってくれたりする人がいたら、あの人は一気に恋に落ちてしまうでしょう。あなたはあの人に親切にしたり、気づかいの言葉をかけたことはありませんでしたか?もしも覚えがあるのなら、あの人はあなたに好意を寄せていると言っていいでしょう。

もしも、思い当たることがないのであれば、これから挽回できるチャンスがあります。あの人が求めているであろう言葉をかけてあげたり、あの人のためになるように行動するなどしましょう。そういったことが、あの人の心を手に入れるために、かなり有益です。また、一白水星のあの人は、ドラマチックな恋の展開を期待しているところがあります。突然の贈り物や、偶然を装った出会いなどを工夫するといいでしょう。「この人とだったら、ドラマのような恋ができそう」という期待から、あの人はあなたと離れられなくなるでしょう。

二黒土星

二黒土星のあの人は、周囲に合わせることができますし、聞き上手で、誰にでもやさしい対応ができる人です。しかも、自分から好きな相手にアプローチすることが苦手なので、誰を想っているのか、わかりにくいところがあります。ですから、あなたも、あの人の気持ちが社交辞令かもしれないと思うこともあるのでしょう。

ただ、二黒土星のあの人は、軽いノリの人を「できれば近づきたくない」「関わらないでほしい」と避けがちです。無理に相手に合わせて、疲れることがイヤなのです。刺激的な相手よりも、穏やか手、安定した生活を好むところがあります。ですから、あの人があなたのそばにわりといるようであれば、それは心を開いている証拠です。用心深く、なかなか前へ進めないところのあるあの人の精一杯なのです。うまく言葉にできない二黒土星のあの人には、メールやSNSなどで連絡を取ることがおすすめです。あの人が疲れているように見えるときは、ちょっとした気遣いの文面や、癒やされるような動物の画像などを送るといいでしょう。さりげないやさしさを示して、あの人を気にしていることをアピールできれば、あの人はあなたが気になって仕方なくなります。

もしも思い当たることがないのであれば、これから挽回できる方法があります。二黒土星のあの人のやさしさやあたたかい心を褒めましょう。意外と気づかれにくい長所でもあるので、そんなあの人のよさに気づいたあなたは、あの人にとって特別な存在となりうるでしょう。

三碧木星

三碧木星のあの人は愛に満ちあふれた人です。周りの人に頼りにされることがうれしいので、助けを求められると、力の限り頑張るでしょう。そして、いろんな人に親切にしては、好意を寄せられているので、かなりモテるはず。そのため、あなたはあの人から向けられたやさしさや好意がが社交辞令かもしれないと思うこともあるのです。

ですが、好きな相手には、面倒な駆け引きなんてしないで、直接にわかりやすく気持ちを伝えようとします。それが嫉妬としてあらわれることも、やたら、あなたの交友関係や、休日の予定などについて知りたがっていることはありませんか?あなたのことが知りたくてしょうがないのと、あなたを他の誰かに奪われやしないかと気が気じゃないのです。

もしも思い当たることがないのであれば、まだ挽回できます。あの人は自分の感情を隠さずに表現する人がタイプです。あなたは自分の心のままに、笑ったり、驚いたりしてください。豊かな感情表現があの人の心をつかみます。「ちょっとわざとらしいかも」と思うくらいが、あの人の心に響きます。とくに、あなたになにか困ったことが起こった場合、あの人にぜひ助けを求めてください。頼られたり、甘えられたりすることは、あの人にとってこの上ない喜びであり、「この人には自分がいなくては」と心がつかまれることなのです。