個人的には、あまり楽しい夢を見ることはありません。
むしろ、無意味で現実離れした夢がほとんどです。
時々、自分が犯罪に関わったり、誰かに狙われる怖い夢を見ますが、その場合は早い段階で目が覚めてしまうので、続きがわかりません。
若い頃から今でも時々見る夢が2つあります。
1つは大学生に戻っていて、授業に出席しないと単位が取れずに卒業できなくなる夢で、
もう1つは15年前に死去した母が登場する夢です。
自分が大学生に戻る夢は、実際の大学生時代は卒業できない危険性は低かったので現実とは異なりますが、この夢を見るタイミングには共通点があります。
どうやら、仕事に追われて納期限が迫っている場合に見ます。
現実の心配事が舞台と脚本を変えて現れる形で、目が覚めた時に非常に疲労感を覚えます。
もう1つの死去した母の夢ですが、こちらは見るタイミングに規則性もなく、理由も不明です。
死んだ人の夢を見ることは、今までもほとんどないです。
実際に、4年前に死去した父が夢に登場したことはありません。
父に関しては、生前、折り合いが悪かったため、消したい記憶として、夢に登場しないのかもしれません。
母に関しては最後の1年間、難病で入退院を繰り返していました。
ある日、自宅で危篤状態になって救急車で病院に担ぎ込まれたという電話を伯母からもらって、急いで病院に向かいましたが、死に目に会えなかったことは今でも悔やまれます。
私の15年前の収入だけでは難病を治療するには十分でなかったことも悔やまれますが、完治に向けてできる限りの事はしました。
もちろん、命日には欠かさず、月命日にもできる限り、墓参りに行きます。
それほど、母の死の記憶は鮮明に残っているのに、なぜか夢の中の母は生前の母で、私も何の疑問も持たないのは不思議です。
夢に登場する母は、いつも舞台を変え、時にはご飯を作り、時には同じ頃に亡くなった愛犬と散歩をしています。
そこでは私と母は会話をせず、私が母をただ見守っているだけです。
母は夢の中で私に何かを伝えようとしているのでしょうか。
私がいい年をして今だに独身で気儘に暮していることへの警告を与えようとしているのでしょうか。
あるいは、死に目に逢えなかったことへの後悔でしょうか。
私は母の余命を知らされていましたが、母は知りませんでした。
母の最期には感謝を伝えようと思っていましたが、最後に逢えなかったことの後悔が今でも夢を通して現れているのかもしれません。