おはようございます、志方弥公です。
今回は夢の中で障がい者になった場合について、説明したいと思います!
結構うちのブログでも、障がい者になった夢を見て、検索してくる方が多いです。それだけやっぱり心配な事でしょうね。
でもこれは現実世界での障がい者になる暗示や、障がいを示すものではありません。
どういうことなのかをさらに詳しく説明していきたいと思います。
夢というのは、無意識からの欲望・願望(リビドー)や抑圧されたものが「表象」となって意識にアクセスして、意識させるように仕向けますが、途中で検閲機関で改編され、夢となって現れてくるのです。
詳細はこちらへ→夢はなぜ意味不明な展開が多いのか? その謎を解き明かします!
そういう意味では、障がい者になる暗示ではありません。
では、私たちにとっての障がいというのはどういう認識をしているのでしょうか?
目が見えない方でしたら、目が見えず、映像や絵、視覚に関わるものが見えない障がいだと思うでしょう。
耳の聞こえない方でしたら、音や声、音声コミュニケーションが出来ない障がいだと思うでしょう。
足の障がいなら……、と物理的な障がいをイメージするはずです。
分かりやすいと思います。
では、夢の中で、自分が障がい者になるというのはどういう意味でしょうか。
考えられるのは、その物理的な障がいを、精神的な障がいだと置き換えてみると……。
見たくない。聞きたくない。歩きたくない――などなど。
そういう意味では、夢の中での障がいは、自分自身の障がい、すなわち、拒絶状態にあるというものです。
もう少し詳しく説明します。
私たちは障がいに対して、困難であり、壁であり、あきらめなければいけないもの、そして人と劣るというイメージが強いです。
しかし、障がいという概念は果たしてそれで限定されているものでしょうか?
ほとんどの広義的な意味として、「物理的に不可能な障がいを負った身体」と思うでしょう。
しかし、私はそう考えません。
現実世界での障がい者は、身体に関する障がい、ではなく、社会が対応できずに困難にさせているものを障がいという認識です。
○○障がい者というのは、身体をさしていますが、それはわかりやすくカテゴリ化されたものであって、決してその人自身の壊れたところ、ではありません。概念の違いです。
あくまでも私なりの考え方です。
これを考えると、夢の中の障がいというのは、決して物理的に困難な状態の身体を指すのではなく、外からのアプローチ、または外へのアプローチを閉ざしているという意味になるだろうと考えられるからです。
繰り返します。現実世界の障がい者は、物理的・社会的にスムーズにいかない事柄を背負っているという状態です。けっして身体を指しているわけではありません。
そして、夢の中での障がいは、自ら可能性を閉じているという意味になります。
例えば、知的障がいであれば、これは思考停止状態にあることを示しています。
つまり、自分で考えるのをやめていること。
これを夢の中での障がい、と呼びます。
耳の障がいなら、聞く耳を持たない状態。つまり、忠告を聞かない拒絶状態にあるということです。
現実から目をそらしているのは、視覚障がい。
たまに病気の暗示もあるんですが、基本的には自ら閉じている状態です。
なので、必要以上の不安を抱えずに、「あっ、今自分は疲れていてなんか受け付けられないんだ」と軽く考えていただければと思います。
ちなみに、ろうあ者グループの中に、健聴者が一人放り込まれて、ろうあ者達が手話だけでコミュニケーションを行っていたら、手話を読み取れず分からない状態の健聴者がコミュニケーション障がいという意味になり、ろうあ者だけのグループ内では、健聴者が障がい者という事になるのです!
これが私の考える「障がい者」という意味です(^^)
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