今日は、久しぶりに、恵美とデートをする事になった。
たまたま取れた休日だった。
仕事に忙殺される事は、仕事が無かった時に比べれば、光栄なことだけれど、いざそうなると、なかなか大変なものだ。
今回のデートは、多少なりともこの間の合コンの件で、罪の意識を感じているから、俺から切り出した。
悟
「温泉じゃなくてごめん……。なかなか、まとまった休みを取るのは難しくてさ」
恵美
「いいのよ。仕事だもの。でも、私の相手もきちんとしてよ。悟さんの奥さんなんだからね」
悟
「わかってるよ。時間があるときは、できるだけ、一緒にいるようにするから」
恵美
「そうしてね。さて、今日は、なにを買ってもらおうかな?」
俺たちは、県外にある、ショッピングモールに来ていた。週末というだけあってか、敷地内は、多くの人で賑わっていた。ほとんどが家族連れで、子供もいる。俺たちには、子供はいない。
その話題に関しては、お互い意識してか、口に出さないようしている。
恵美
「ねえ、なんでも買ってくれるのよね?」
悟
「なんでもって言っても、誕生日でもないんだから、そこら辺は考えてくれよ」
恵美
「わかってるわよ。じつは、ずっと気になってる靴があるの。まだ、置いてあるかはわからないけど、一緒に見てくれる?」
悟
「ああ、いいよ」
そう言って、三階建ての建物の二階の中央辺りにある、女性靴専門の店舗に連れて行かれた。
恵美
「悟さん……。この靴なんだけど……」
恵美は、そう言って、その靴を手に取ってから、俺に見せてくれた。
悟
「いいんじゃないか。恵美に、似合うと思うよ」
恵美
「なんで、履いてもないのに、そんなことわかるのよ。適当なこと、言わないでよね」
恵美は、その靴を鏡の前で履いてみせた。その靴は、今日の恵美の格好には、正直なところ、あまり、似合ってはいなかった。でも、口には出さなかった。
悟
「いいと思うよ。サイズは、それで合ってるの?」
恵美
「ええ、ちょうどいいと思う。オシャレな靴の割には、歩きやすそうだし。それで、値段なんだけど……」
恵美は、その靴の値札を、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、俺に見せてきた。買えない値段ではないけれど、なんの記念日でもない日に買うにしては、やや高額な靴だった。
だが、最近、あまり一緒に過ごせてなかった事と、この間の合コンに参加して、桂木加奈に、少しでも気を許してしまった事を思えば安い買い物だろう。
悟
「いいよ。買ってあげるよ」
恵美
「ほんとに! ありがとう。大切にするわ」
レジに向かい、俺はバッグから長財布を取り出してから、一万円札を五枚抜いて、店員に渡した。
恵美
「ほんとに、ありがとう! 悟さん」
恵美は付き合っていた時は、何かが欲しいなんて、自分から言い出す事は、一度だってなかった。俺から聞いても、なかなか欲しい物をいわなかったほどだ。
結婚してから、三年。
当時と比べて、恵美は、変わっってきている。
今の恵美が、本来の恵美なのだろうか。
そうは思いたくはない。
恵美
「ねえ、もう少し、見て回ってもいい?」
悟
「いいよ。今日は、どれだけでも付き合うよ」
その後、数店舗、見回ってから、帰る前にショッピングモール内にあるカフェに寄って、休憩してから帰る事になった。
悟
「恵美は、なにがいい?」
恵美
「うーん、そうねー。私は、ココアがいいかな」
悟
「わかった。ホット? アイス? どっちがいい?」
恵美
「そんなこともわからないの? こんな寒い日は、ホットに決まってるでしょ」
恵美は、歩き回って、疲れているようだった。
悟
「わかったよ。ホットココアだね」
ブレンドコーヒーと、ホットココアを頼んで、席に着いた。
悟
「今日は、疲れたな。やっぱり、週末のショッピングモールは、人混みがすごいな」
恵美
「そうね……。家族連ればっかり、なんだか、嫌になっちゃう……」
そう言って、恵美は、俺の反応を窺うような視線を送ってきた。
悟
「そうだな」
俺は、一言しか返さなかった。
しばらく、店内の喧騒だけが続いた。
悟
「……そう言えば、温泉だけど、調べてみたよ。いくつか、よさそうな場所を見つけた。帰ったら、パソコンで見てみて、一緒に決めようか」
恵美
「そうね……。一緒に決めましょう」
ショッピングモールを出て、駐車場に行くと、どこに駐車していたかを忘れてしまっていた。なんとなくは覚えていたのだけれど、正確な場所はわからなかった。
しばらく、その辺りだと思う場所を、うろうろしていた。
恵美
「もう、なんで、自分が停めた場所もわからないのよ」
悟
「ごめん……。でも、恵美だって、覚えてないじゃないか」
恵美
「そうやって、人のせいにするの?」
悟
「いや……、別に、恵美のせいにしてるわけじゃないよ……。ただ、そんな言いかたしなくてもいいだろ?」
そう言って、恵美の顔を見ると、口許が少し歪んでいるように感じた。
恵美
「あったわよ」
悟
「ありがとう。そうそう、そこに停めてたんだよ」
恵美
「そこに停めてたじゃないわよ。だいたい、悟さんは、いつもそうなのよ。なんでも、人任せ。私は、あなたのお手伝いさんじゃないんだからね。まったく……」
車に乗り込むと、しばらく、お互い無言だった。帰る頃には、ずいぶんと、風が冷たくなっていた。すぐに、エアコンをつけた。エアコンの音だけが、静寂の中で、鳴り響いている。
静寂を切り裂くように、恵美が話し始めた。
恵美
「悟さん。最近、仕事が忙しくて、周りが見えてないんじゃない? 私のことだって……」
悟
「そんなことないよ。恵美のことは、大切に思ってるよ。誰よりも。今日だって、ほんとは、仕事だったんだ……。でも、最近、恵美と、ゆっくり過ごす時間を作れてなかったから」
恵美
「……ありがとう。それならいいけど」
車内が温まると、気分も少しは和らいだ気がした。それは、恵美も同じようだ。
車内には、往年の名バラード曲が流れている。
恵美は、外の景色を眺めながら、その曲をハミングしている。
この曲は、俺が、とても好きな曲だ。
付き合いだした頃、恵美に勧めると、とても気に入ってくれて、恵美にCDを貸した覚えがある。
恵美
「この曲、やっぱり、いいわね……。心が、安らぐわ。悟さんが、教えてくれたのよね」
悟
「そうだよ。覚えてる? あのときのこと」
恵美
「覚えてるわよ。あのときは、悟さん、ずいぶん大人に感じたなあ……」
悟
「おいおい、今が、ずいぶん子供みたいな言いかたじゃないか?」
恵美
「そんなことないわよ。男の人って、あんまり変わらないものね……」
相変わらず、外の景色を眺めながら、恵美は言った。
悟
「そうかもな……。男って、馬鹿だし、いつまでもガキのままかもな……」
自宅に着いた頃には、陽はすっかり落ちていた。
恵美は、リビングで、あの靴の袋から取り出して、まるで、こどもがサンタからプレゼントをもらった時のような瞳で、その靴を見つめていた。
喜んでもらえたなら、何よりだ。
恵美
「悟さん。今日は、ありがとう……」
悟
「俺こそ、いつも、ありがとう」
恵美は、晩御飯の準備を始めに、キッチンに向かった。
今日は、俺が好きなハンバーグを作ってくれるそうだ。
付き合っていた当時、恵美のハンバーグを初めて食べさせてもらった時には驚いた。想像以上に美味しくて。
晩御飯を食べて、風呂に入って、寝室に行くと、恵美はすでに眠っていた。
お互い感謝の言葉は交わしたけれど、その日も、触れ合う事はなかった。
同じ部屋の同じベッドで寝ているのに。
ふと、桂木加奈の顔が、頭をよぎった。
なぜだかは、わからないけれど――。
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