『病院の花嫁~愛の選択~』<第5話>~惣一朗ルート~

『病院の花嫁~愛の選択~』<第5話>~惣一朗ルート~

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優しかったお義父さまが亡くなったショックと葬儀の準備に追われ、

鈴恵さんが、森村製薬のMRに5000万の融資をお願いした事、

家の金庫から宝石や現金、家の権利書を持ち出したことを伝えたのは、

お義父さまが亡くなってから2日経った頃だった――

 

惣一郎
「なんだって!?
金庫の中には現金は数百万だが、家の権利書や実印が入っていたはずだ!」

美咲
「私達が知らないだけで、鈴恵さん、経営に参加するのかもしれないわ」

惣一郎
「その可能性は低い…。母は鈴恵を溺愛しているが、経営にはシビアだ。
鈴恵に任すとは思えない。それに、父の死を伝えても帰ってこないんだぞ」

美咲
「それは、あんな風に飛び出していったからじゃないかしら……」

 

鈴恵さんの電話は、ずっと繋がらない。

メールもしたけれど、通夜にも葬儀にも帰ってこなかった。

 

美咲
(自分が育った家を売り払うなんて、普通じゃ考えられないけど、今の鈴恵さんは、普通じゃない。
婚約者の為なら、何をするか分からないわ)

惣一郎
「森村製薬にそれとなく話を聞く。美咲は、顧問弁護士に相談してくれ」

美咲
「はい」

 

話し込んでいたら、後ろから懐かしい声が聞こえた。

 


「美咲、こんな所にいたのか!」

美咲
「お父さん、お母さん…」


「この度は、ご愁傷様です」

 

両親の後ろに、あの時鈴恵さんと話していたMRの姿が見えた。

惣一朗さんは私に目配せをして、私もそれに頷き返す。

 

惣一郎
「弁護士の方は頼むよ。
お義父さん、お義母さん、本日はお忙しい中、ありがとうございました」

惣一郎
「少し失礼しますね」


「どうか気落ちせず、私のことを本当の父だと思って何でも相談してください」

 

惣一郎さんは、父と母に一礼すると、足早に去っていった。

 


「さすが立川病院の院長だな、
地元の名士揃いだ。後で挨拶に回らないと」

美咲
「こんな場で営業しないで」


「お前は早く会場に戻れ、理事長にいい所見せろ!
お前が気に入られると俺の立場も良くなる。さっき弁護士と言ってたな!
遺産の話か?相当な額なんだろうな」

美咲
「お父さんには、関係ないでしょ」

 

親族席では、興味本位で遺産の額を訪ねる人がいたり、
自分の立場を売り込む会話が飛び交っている。

 

美咲
(実の親からも、こんな話を聞くなんて……
院長の死を本当に悲しんでるのは患者さん達だけだわ……)

 

母が私の手を握り、呼び止めた。

 


「美咲、色々あると思うけど頑張るのよ」

 

母の手の温かさに、ほっとする。

はりつめていた心がほぐれ、涙が溢れ、止まらなくなった。

 

美咲
(尊敬してた、大好きだった院長がいなくなってしまった……)


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後日、私は弁護士事務所を訪れていた。

葬儀の時に、無断で権利書が持ち出されたことを相談すると後日詳しい報告をすると言われたからだった。

 

弁護士
「調べた所、売買はされていません」

 

弁護士の言葉に、ほっと胸をなでおろす。

 

弁護士
「法務局へ行き、勝手に持ち出された事を伝えれば売買はできなくなります。
印鑑証明、実印も持ち出されたのでしょうか?」

美咲
「はい」

弁護士
「市役所へ行き、印鑑登録の抹消をお勧めします」

美咲
「ありがとうございます、すぐに処理します」

弁護士
「相続でこれから大変ですが、自宅の件はこれで問題ありません。
ただ……」

美咲
「はい?」

弁護士
「これを担保に金を借りるということも考えられます」

美咲
「お金を?」

弁護士
「通常の金融機関はまず無理ですが、でも、まぁ、そこまでお嬢さんも無茶はしないでしょう」

美咲
(だったら、いいけど……)

 

鈴恵さんが、一緒にいる人はきっとよくない人だ。

嫌な予感が脳裏を過ったけれど、今は鈴恵さんを信じるしかなかった。

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美咲
(とりあえず家は守れて良かった)

 

弁護士事務所から帰宅すると、惣一郎さんが暗い顏で私を出迎える。

森村製薬が、すでに鈴恵さんに5000万渡していた、と告げた。

 

惣一郎
「一足遅かったようだ」

美咲
「私が、もっと早く伝えていれば……」

惣一郎
「君のお蔭で気付けたんだ。後から分かったらもっと大変だったよ。家の権利書は?」

美咲
「売買はされていないし、弁護士の指示通りにすれば悪用できないそうよ」

惣一郎
「森村製薬には、鈴恵が詐欺を働いたとはバレてない。
早急に返金すれば、こっちも丸くおさまる」

美咲
「5000万もの大金、すぐ用意できるの?」

惣一郎
「自分の貯金や株を処分しても、あと2000万足りない」

美咲
「2000万……」

惣一郎
「大丈夫、この程度の額なら銀行が貸してくれる」

美咲
「給料の大半を家にいれていたから私、貯金がなくて……
父に相談します。惣一郎さんのお蔭で会社も順調だし、少しなら何とかなるかも」

惣一郎
「これは、うちの問題だ。君が気にすることはない」

美咲
「私もこの家の人間よ!力になりたいの」

惣一郎
「美咲……」

 

バタンと扉が開き、義母が入ってきた。


義母
「お邪魔だったようね」

 

突然の義母の登場に驚いて惣一郎さんと私は離れた。

何だか胸が、ドキドキする。

 

美咲
(急に、お義母様が入ってきたからだわ……)

義母
「コソコソ話して、私に隠し事でもしているの?」

惣一郎
「隠し事なんてありません」

義母
「だったらいいけど。
あの人が亡くなって大変な時に、足を引っ張るようなことしないでちょうだいね」

惣一郎
「そんな事するわけないだろ!」

義母
「惣一郎に言ったんじゃないわよ。あなたは立派な跡取り、何の心配もしていないわ。
私はね、この人に言ったのよ!」

美咲
「はい……気をつけます」

惣一郎
「美咲は、よくやっている」

義母
「肝心な時に役にたたない、市長が弔問にきたのにいないんだから、どこ行ってたのよ!」

 

惣一郎さんと権利書の話をしたり、弁護士と話をしていたから、かなりの時間、葬儀会場にいなかった。

 

美咲
(お義母様が気にするのも無理もない……なんとかごまかさないと)

美咲
「すいません、トイレに、少し体調が悪くて」

義母
「我慢しなさい!
うちのような立派な家に嫁いだのに、場をわきまえた行動ができないの! 葬儀の後もすぐいなくなるし」

惣一郎
「美咲は悪くない、鈴恵が…!」

美咲
(言っちゃだめ!)

 

惣一郎さんの腕を掴んで、心の中で叫んだ。

私の想いが通じたのか、惣一郎さんは言葉をのんでくれた。

 

義母
「そうそう、鈴恵ね。明日、帰ってきます」

美咲
「鈴恵さんが!?」

義母
「あら、嫌そうね」

美咲
「そんな事…ありません」

義母
「あなたに気をつかって鈴恵は家に寄りつかなくなったんだから、温かく迎えなさい?」

美咲
「はい」

 

義母が出ていくと、惣一郎さんは悔しげに壁を叩いた。

 

惣一郎
「勝手なことばかり言いやがって」

美咲
「鈴恵さんのことは、私達で何とかしましょう?
今知ったら、お義母さま傷つくわ。お義父様が亡くなったばかりなんですもの……」

 

惣一郎さんは、ためらいながらも納得してくれた。


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鈴恵
「やっぱり、遺言状は無かったのね」

 

久しぶりに帰宅した鈴恵さんは、遺産の話しかしない。

 

惣一郎
「帰ってそうそう、金の話なんてやめろ。父親が亡くなったんだぞ」

鈴恵
「遺言がない場合、遺産は配偶者に二分の一、残りの二分の一は子供にって、法律で決まってるのよ。
早く私の分をちょうだい」

惣一郎
「名義変更や相続税を払ったり、事務手続きが色々あるんだ」

鈴恵
「お兄様は病院をもらうからいいでしょ?私には現金でちょうだい」

義母
「来年度の事業拡大に向けて資産をかなり使い果たしたの。あなたが思う程、うちにはお金がないのよ」

鈴恵
「大きな病院を経営していて、ないとは言わせないわ!」

惣一郎
「母さんの言っていることは本当だ。僕の分だって遺産なんてほとんどないに等しい」

鈴恵
「この女の実家に5000万やったじゃない!」

惣一郎
「あれは、融資だ。毎月、返済してもらっている」

義母
「私の分をあなたにあげたっていいのよ。少し待ってちょうだい」

鈴恵
「今週一杯だけ待ってあげる。帰るわ」

義母
「鈴恵、あなたの家はここよ?帰る場所はここなのよ!?」

 

鈴恵さんの手をお義母さまは、握って離さない。

お義父さまが亡くなった今、お義母さまの大きな支えになれるのは鈴恵さんだ。

何とかして、鈴恵さんを引き止めたい。

 

美咲
「お義父様は最後まで鈴恵さんの事を心配していました。
病院でもなく、他の誰でもなく、鈴恵さんの事を思って亡くなったんです」

鈴恵
「私があんな事したのに、そんな訳ないでしょ!」

美咲
「本当です!救急車の中で、一瞬息を吹き返して…鈴恵さんの話をしました」

鈴恵
「例えそうだとしても、私の考えは変わらない。遺産をもらうのは当然の権利よ!」

惣一郎
「少しは家のことも考えろ!」

鈴恵
「グダグダ言わないで!私の取り分を、現金で今週中に用意しといて!」

義母
「鈴恵!行かないで!!」

鈴恵
「お母様だけは私の結婚式に招待するわ、楽しみにしててね」

義母
「鈴恵!」

 

鈴恵さんは、お義母さまの手をふり払い、出て行ってしまった。

惣一郎さんは、家の権利書の話をする為、鈴恵さんの後を追った。

 

義母
「ねぇ、鈴恵が言っていた、あんな事ってなんなの?」

美咲
「それは……」

義母
「言いなさいよ!何か知ってるんでしょ!?」

 

必死の形相で私に縋るお義母さまに、自信に満ち溢れた面影はもうない。

 

美咲
(言えない……これ以上、お義母様を傷つけたくない)

 

私には、口をつぐむことしかできなかった。

 

惣一郎
「もう隠す必要はない…。余計事態を悪化させる。
「今の状況を乗り切るには、3人で協力するしかないみたいだ…」

 

戻ってきた惣一郎さんは、権利書を持っていない。

取り戻せなかったようだ。

 

惣一郎
「鈴恵が、金庫の中の現金、宝石、家の権利書を盗んだ。
美咲が、法務局で紛失の申請をしてくれたお蔭で、家は売られずにすんだんだ」

義母
「この女のでたらめよ!」

惣一郎
「母さん!いい加減にしてくれ!」

 

惣一朗さんの一喝に、お義母さまが固まる。

 

惣一朗
「母さんだって気付いただろう!?鈴恵の様子は異常だ。
今、鈴恵を問いつめたら『こんな家、売れたら遺産代わりにしてやったのに』と言ってたよ…」

 

惣一郎さんが、鈴恵さんの行いを全てお義母さまに伝える。

見る見る内にお義母さまの顔から血の気が引いていくのが分かった。

 

義母
「うわぁぁぁあぁ!!!
鈴恵!!鈴恵ぇええぇ!!!」

 

激しく泣き崩れる義母を見て、胸が痛む。

 

義母
「父親が、苦しんでいるのに……家の物を盗んで……
出ていくなんて……そんな…」

美咲
「お義父様は最期に、鈴恵さんを救ってほしいと私に言いました」

美咲
「私はその約束を絶対に守ります。だからお義母さま、3人で協力しましょう」

 

むせび泣くお義母さまを支えながら、自分に誓うように呟いた。


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翌日――

相談があると、惣一郎さんと私は義母に呼び出された。

 

義母
「鈴木先生から辞表が出たわ」

惣一郎
「鈴木先生が!」

 

うちの病院の一番の古株。

全国的に名の知れた小児外科医で、小児外科病部長を務める鈴木先生が辞めるなんて……。

 

美咲
(鈴木先生を頼ってうちの病院へ来る患者さんも多いのに…)

美咲
(病院にとって大きな損失だわ)

義母
「これで医師が辞めるのは3人目、看護師は2名辞めたわ」

惣一郎
「すぐに、求人を」

義母
「もう出したわ…つてをたどって医師を探してるけど中々見つからなくて。次々と職員が辞める原因を探ってほしいの」

惣一郎
「何か分かったら教えるよ」

 

惣一郎さんに続いて部屋を出ようとした私を、お義母さまが呼び止めた。

 

義母
「美咲さん」

美咲
「お義母様、初めて名前を……」

義母
「余計な事はいいから!」

 

名前を呼ばれた事がうれしくて、思わず呟いてしまった。

 

義母
「調べたことは、全て伝えて!」

美咲
「はい」

義母
「あんたに気遣いされるなんて、まっぴらごめんよ!」

 

いつものきつい口調だが、お義母さまの頬はやつれ、一晩泣き通したのか目は腫れている。

何とか力になりたい、そんな想いを胸に理事長を後にした。

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圭吾と闇金グループのリーダー坂出、悪徳弁護士の田村が集う雑居ビルの一角。

テーブルの上に、圭吾が札束を乗せる。

 

圭吾
「たった数日で、現金5000万だぞ」

田村
「まさに、金のなる木を見つけましたね」

圭吾
「いや、あれは、金のなるブスだな」

 

一同が、大声で笑う。

 

圭吾
「今日は幾ら増えるかなぁ宝石を売りに行ってるんだ。
家の権利書は売れなくて、残念だったが」

坂出
「売れないなら、俺の出番。高金利で貸し付けてやるさ」

田村
「父親の遺産も、楽しみですねぇ」

圭吾
「俺らが組めば、いくらでもしぼりとれる」

 

高らかな笑い声が、響き渡る。


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婦長と中堅看護師3名だけ、新人ナースは病棟を回る時間。

古くからいる人達なら、職員が辞めていく話がしやすい。

 

美咲
「婦長、急に職員が辞めていく原因に心当たりありますか?」

婦長
「あなただって気付いているはずよ。この病院、院長の人柄でもっていたって…」

 

確かに、私同様、お義父様の人柄に惹かれる職員は多い。

 

美咲
(院長がいなくなったから、職員が辞めたっていう事?)

 

確かに、辞めた医師や看護師は古くからいて院長と親しかった。

院長が、他の病院から引き抜いた医師もいる。

 

婦長
「古い話だから知らないだろうけど、先々代の院長は、前院長のお兄様だったの。
先々代がが亡くなり、急きょ病院を継ぐことになった。前院長に反対の声は多かったのよ。
それを当時の秘書…今の理事長が一掃したの」

美咲
「お義母様が?」

美咲
(そういえば、お義父様、今の病院があるのはお義母様のおかげだと言っていたわ)

婦長
「随分と強引な手を使って、役員や医師を追放したみたいよ」

美咲
「その方達は?」

婦長
「東和病院を設立したの」

美咲
「東和病院?」

婦長
「この辺りで大きな病院といえば、うちか東和病院でしょう?
何かと比較されるけど、設立の経緯があってライバル視する所があるのよ」

 

(東和病院とうちにそんな因縁があったなんて…)

 

看護師A
「美咲さんは、立川家の人間になったから感じないかも知れないけど。
病院に不満や不安がある人、結構多いのよ」

美咲
(抱えていた不満が、院長がいなくなって、爆発したってことかしら……)

婦長
「辞める人は、これからも増えるわね、特に事務員」

美咲
「事務員?」

婦長
「知らないの?今朝の朝礼で、理事長が事務員のリストラを発表したのよ」

美咲
「リストラ!?」

婦長
「しかも、給料の削減も。人数が減り仕事が忙しくなる、その上、給料が減ったら、辞める事務員が出るわよ」

看護師A
「そんなに経費削減しなきゃいけないなんて」

看護師B
「美咲さんなら知っているんじゃないですか?
うちの病院、資金ぐり大変とか」

 

窓の外を、皆で一斉に見つめた。

先月から着工が始まった一流ホテル並みの豪華な病棟の増設。

スパまで完備するらしい。

日本で人間ドッグをしたい海外セレブを呼び込むのが目的らしいけど、建設に一体いくらかかるのだろう……。

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午後の検温。

大部屋の中で、特ににぎやかな208号室から回った。

ここには、いつも中庭で義父と一緒に将棋をさしていた面々がいる。

清二
「あんないい人が、俺らより先に逝くなんて」

吉田
「俺らが、無駄に生きてる気がするよ」

 

肝硬変を患い入退院を繰り返す清二さん、大腸がんが再発し、二度目の入院となる吉田さんは義父を偲び、しんみり将棋をさしていた。

 

美咲
「そんな事言わないで、長時間のオペに耐えてこんなに良くなって…
院長も喜んでたじゃないですか」

吉田
「快気祝いで、退院したら、酒飲む約束してたのになぁ」

清二
「院長が変わると、病院の雰囲気変わっちまうなぁ。あんたの旦那悪い人じゃないが、とっつきにくくて」

吉田
「頼りは、あんただ。院長の跡ついで、明るく温かな病院にしてくれよ」

清二
「あ、えっと……」

 

言葉に詰まる清二さんを不思議に思い戸口を見ると、惣一郎さんがいた。

 

清二
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホ……」

 

惣一郎さんが話を聞いていた事に驚いたのか、清二さんが咳きこんで止まらない。

 

美咲
「清二さん、大丈夫?」

 

清二さんのベッドに真っ赤な血が、飛び散った。

 

美咲
「吐血…!先生、清二さんの食道には静脈瘤が!」

惣一郎
「静脈瘤破裂だ!すぐ処置室へ!」


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惣一郎さんが、緊急オペを行い、清二さんは何とか一命をとりとめた。

 

美咲
「惣一郎さん、お疲れさま」

惣一郎
「君はさぞかし気分がいいだろ」

美咲
「惣一郎さん?」

惣一郎
「医師や看護師が辞める理由を調べてみたら」

惣一郎
「どうやら僕が後を継いで院長になったのが気に入らないらしい」

美咲
「惣一郎さんは立派な医師よ、これから分かりあえるわ」

惣一郎
「患者も勝手なもんだ。命を助けても当たり前、手の施しようがない場合はミスじゃないかと責められる」

美咲
「患者さんは口に出さないだけで、命を救ってくれた医師に一番感謝しているわ」

惣一郎
「時々、自分の命を削っている錯覚さえ感じる程、疲れるよ。
それなのに、笑顔で語りかけるだけで、君は皆から感謝される」

美咲
「それは、看護師が患者の身近にいるから……」

惣一郎
「もういい、この話はやめよう」

美咲
「待って!気がかりなことがあるの!!
お義母様が、事務員のリストラを考えているって。しかも事務員は減給するって言うの。さらに辞める人を増やすんじゃ…」

惣一郎
「僕は医師だ!経営のことまで分からない!」

美咲
「でも、お義母様も職員が辞めるのを気にしていたし…!」

惣一郎
「辞めたい奴はやめればいい」

美咲
「惣一郎さん……」

 

惣一郎さんは背を向け、先に自宅に戻って行った。

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誰も話さない、静かな食卓。

食事が終わる頃、溜息交じりに義母が呟いた。

 

義母
「鈴木先生、明日が最後の勤務日よ。
給料を5割増しにすると提案したのに、去っていくなんて」

美咲
(鈴木先生が去っていくのはお金じゃない…)

 

惣一郎さんは、ずっと目を合わせてくれない。

俯いたままで、会話に加わる気もなさそうだ。

 

美咲
(私が今ここで憶測を言っても仕方がないわ…明日鈴木先生と話をしてみよう)


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最後の勤務を終え、この病院を立ち去ろうとしていた鈴木先生を呼び止めた。

 

美咲
「鈴木先生!」

鈴木
「立川さん。今までお世話になりました、お元気で」

美咲
「待ってください!先生は、小児難病センター設立に力を注いできたのに、なぜ立ち去るのですか」

鈴木
「だからですよ」

美咲
「だから?」

鈴木
「理事長の営利目的、都合の悪い人間は排除していく姿勢は正直苦手でした」

鈴木
「だけど、小児難病センター設立だけは、信念を感じた」

美咲
「それは…理事長が、大切な方を幼い頃に亡くされたから……」

鈴木
「…それさえも、理事長は忘れたようだ」

 

お義父様も、お義母様が、初心を忘れている。

と言っていた。

 

鈴木
「三ヵ月後に運営開始なのに、小児難病センターに入る子供は既に決まっている」

鈴木
「裕福な家の子供達ばかり、理事長の指図です」

美咲
「そんな…」

鈴木
「おまけに、国の公費を使えない難病指定外の患者からは上乗せし治療費をとるつもりです。
ただでさえ、長年治療費がかかり大変なのに」

美咲
「ひどい……」

鈴木
「告発しないのは、院長に恩があるからです。
とても、こんな場所では働けない」

美咲
(鈴木先生を辞めさせてはこの病院がだめになる…!)

美咲
(お義父さまの志を信じてる医師がいなくなってしまっては…!!)

美咲
「私が…私と夫で、義母を説得します!」

鈴木
「ずっとこの病院にいたあなたなら、自分の夫の事がよく分かるはずだ」

鈴木
「立川先生は腕がいい。だが、自分の任務を遂行することしか考えない。
彼では、理事長が間違った方向に行っても正せない、正す気もないでしょう」

美咲
「惣一郎さんは、いえ…
夫は、この病院を鈴木先生同様に愛しています。
私だってそうです!そういう人間が一人でも多くいれば、この病院は守れます!」

鈴木
「……」

美咲
「どうか夫を信じてください!」

 

鈴木先生を、この病院に留めたい。

その一心で、深く頭を下げた。

 

惣一郎
「お願いします!」

 

いつのまにか、惣一郎さんが横にいて、一緒に頭を下げている。

 

惣一郎
「父のようにはなれませんが、僕なりに病院を守ります。だから、もう少し時間をください」

鈴木
「驚いたな、立川先生が頭を下げるなんて……」

 

しばらく鈴木先生は思案していたみたいだけれど、ふっと笑って惣一朗さんの肩をたたいた。

 

鈴木
「顔を上げてください、立川先生。キミに頼み込まれたら困ってしまいます」

 

そう言う鈴木先生は、顔を上げた惣一朗さんに優しく微笑んだ。

 

鈴木
「辞表を撤回してきましょう。
キミたちが作る病院をもう少し見てみようと思いました。これからも、よろしくお願いします」

 

正面玄関から立ち去ろうとしていた鈴木先生は、辞表を撤回する為に、理事長室へ向かった。

パチ、パチ、パチ……。

拍手の音が聞こえ、ふり返ると松宮先生が立っていた。

 

松宮
「あんなに辞める意思の固かった鈴木先生を止めるなんて…流石ですね」

惣一朗
「松宮先生…」

松宮
「俺も力になりますから、これからもご夫婦でこの病院を盛り上げていってください」

松宮
「応援してる」

 

松宮先生は、ポンと私の肩を叩いて去って行ってしまった。

夫婦と言われて複雑な気がしたけれど、惣一郎さんと一緒に何かを成し遂げた気がして素直にその言葉は、嬉しい。

再び、惣一郎さんと心が通った気がする。

院長がいた頃の病院が取り戻せる希望がみえてきた。

惣一郎さんと私と、この病院を愛する医師や看護師達が協力すれば守っていける。

だが、そんな希望が完全に断たれる出来事が忍び寄っているなんて

あの時の私は知る由もなかった…。
 

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