『大正浪漫ラヴストーリー』<第13話> ~直哉ルート~

『大正浪漫ラヴストーリー』<第13話> ~直哉ルート~

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結局、直哉さんが帰っていたのはその日の夜だった。

いつもの調子で帰ってきた直哉さんに、どう切り出せばいいかわからずに、いつも通り夕食の準備をする。

 

ハナ
(聞いていいことなのよね……)

 

少し不安になりながら、漬物とお味噌汁を運ぶ。
と、そこには神妙な顔つきをしている直哉さんが座っていた。

 

直哉
「食事の前に、ハナちゃんに言っておきたいことがあるんだ」

ハナ
「え……ええ」

 

妙に落ち着いている声で、帰ってきたときの明るさはどこにもない。
なんだか胸がざわついて、漬物を置く手が震えてしまった。

 

直哉
「……やっぱり、食事の後にしようか。きっと、話は長くなるだろうし」

ハナ
「それは直哉さんにお任せします。あのでも、それって悪い話ですか?」

直哉
「悪い……どうだろう。でも、もしかしたらハナちゃんは俺のこと嫌いになるかもしれない」

ハナ
「え? あっ」

 

突然の言葉に、同様してしまった私は思わずお味噌汁をこぼしてしまう。指先にかかった熱いそれに驚き慌てて手を引っ込めると、直哉さんがすかさず私の手を取った。

 

直哉
「冷やさないと」

ハナ
「あ……」

 

すぐに水で濡らした手ぬぐいを私の指に巻きつけてくれる。
嫌いになるかもしれない、そんなこと言ったそばから直哉さんは私に優しくしてくれて……この人の気持ちが、全然読めない。

 

直哉
「ごめん、俺が変なこと言っちゃったから……」

ハナ
「い、いえ……」

直哉
「冷やしておいて、味噌汁、持ってくるから」

ハナ
「はい……」

 

いつも通りの直哉さんだった。
声も、表情も、行動も。

 

ハナ
(直哉さん、何を言うつもりなんだろう……)

 

昼間のことも気になって、頭の中はぐちゃぐちゃだ。


直哉
「はい。どうぞ」

ハナ
「ありがとうございます」

直哉
「じゃ、食べよっか」

 

私にお味噌汁を渡した直哉さんは正面に座り手をあわせた。

 

直哉
「いただきます」

 

そう言った直哉さんは右手にお箸、左手にお茶碗。
姿勢をただし、食事を始める。
直哉さんの食事をする姿はとても美しくて品があるように思える。

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トメ
「あ……失礼しました。昔、あなたによく似たお方に会ったような気がして……」

ハナ
「直哉さんに?」

トメ
「ええ、あれは……確か、酒問屋の稲山家で……」

ハナ
「え? 酒問屋の稲山家って確か今、カヨさんたちが勤めてるお屋敷ですよね?」

トメ
「ええ。稲山家のご長男によく似ていらっしゃる気が……」

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トメさんの言葉がふと脳裏を過った。
もし、直哉さんが稲山家の長男だとしたら……この食事姿は納得がいく。

 

直哉
「ハナちゃん? どうしたの? ほら、早く食べなよ」

ハナ
「ええ……あの、でもお聞きしたいことが」

直哉
「ん? 今じゃなきゃ駄目?」

 

ハナ
「はい、今がいいです」

直哉
「んー、困ったね。今はハナちゃんの手料理を堪能したいんだけど。とりあえず、聞くことは聞くよ」

ハナ
「直哉さんて……稲山家の……」

直哉
「お味噌汁、冷めちゃうよ」

 

私が言いかけると、言葉を遮るように直哉さんが言った。
それは、きっとこれ以上聞いてはいけないということなのだろう。
直哉さんが拒むのであれば、私にはこれ以上聞く権利は無い。
心にひっかかりを抱えたまま、私も箸を動かした。

そうして無言の食事が終わり、片付けを始めようとしたその時、直哉さんがおもむろに口を開いた。


直哉
「片付けの前に、聞いて」

ハナ
「…………」

 

緊張が走る。
顔を強張らせながら直哉さんを見ると真剣な眼差しでこちらを見ている。

 

直哉
「……ハナちゃんが思ってる通り、俺は稲山家の長男。まさかトメさんが俺のことを知ってるなんて思わなかったよ」

ハナ
「……やはり、そうだったんですね」

直哉
「ごめんね、隠すような真似して」

ハナ
「いえ……ですが、どうして稲山家のご長男なのに風刺活動なんて? カヨさんのお話を聞く限りではとても裕福なお屋敷だと思っていたのですが……」

直哉
「金持ちだって言っても……庶民だから」

ハナ
「……どういうことですか?」

直哉
「知ってると思うけど、酒問屋でしょ、うち」

ハナ
「ええ」

直哉
「金は有っても身分は無い。金持ちの世界は身分が全てだから」

ハナ
「身分が全て?」

直哉
「そう。どれだけ金あったって所詮は庶民扱い。だけど親としては金があるなりに、いい学校へ行かせようとする。学生時代はずいぶんと、華族に嫌な思いさせられてたな」

ハナ
「そうだったんですか……」

直哉
「そう。うちより貧しい華族が俺を妬んでさ。陰険なことばっかりされてた。ハナちゃんが、あのわがままお嬢様にされてたようなこと」

ハナ
「あ……」

直哉
「それで、俺……華族が嫌いなんだよね。身分があるだけで、あぐらかいてるようなやつらが」

ハナ
「…………」

直哉
「あいつらは、庶民のことを物か何かと勘違いしてるんだ。同じ人間のはずなのに、身分があるだけで……人を人とも思わない」

 

直哉さんの言葉には、怒りが端々に込められている。
きっと、私以上に華族に対して憎悪を抱いているのだろう。

 

直哉
「……俺の家の裏にさ、小さい家があったんだ。これぐらいの、本当に小さな家。そこに、5人家族が住んでいてね、俺、小さい頃からそこの家の子どもと仲良く遊んでたんだ。で、俺が学校へ上がった頃かな、男の子が生まれて俺、その子のことすっごい可愛がってたんだ。弟が出来たみたいで嬉しかったな」

 

直哉さんは宙を見ながら、目を細めた。

 

直哉
「……けどさ、その子、死んじゃった。華族のせいで」

ハナ
「え……?」

直哉
「濡れ衣着せられて……自殺に追い込まれた。あの子が15になる年だったかな……」

 

言葉が、出てこなかった。
濡れ衣、それは……私があのお屋敷を逃げ出したのと同じことだったから。


直哉
「いなくなったと思ったらさ、次の日……家の前の川に浮いてた。ほんと、あの時は華族を呪ったよ」

ハナ
「当然です」

 

濡れ衣で、人の命を奪うだなんて……許せなかった。

私も、一歩間違えれば死んでいたかもしれない。
あの日、逃げ出したあの日、直哉さんが私に声をかけてくれなければ……私はどうなっていたんだろう。
実家に戻れていたのだろうか、それとも、吉原に売られていた……?

 

直哉
「華族はその存在だけで、自ら手を下さなくても庶民を簡単に殺せる存在なんだよ」

 

直哉さんの言葉は、重く私にのしかかった。
いつだったか、若旦那様も言っていたことがあったっけ。
松乃宮の女中を辞め、吉原に売られたその人は……自ら命を断ったと。
もし、華族と関わりあわなければその人は死ぬだなんてことしなかったかもしれない。

 

直哉
「ううん、直接手を下したって新聞沙汰にもなりゃしない」

ハナ
「え……?」

直哉
「華族は金とその身分でなんだって揉み消せる。庶民1人殺したくらいじゃ騒がれもしない。俺はね……そういうやつら、全員あの身分から引きずり下ろしてやりたいんだ。散々見下していた庶民にしてやりたい。庶民の痛みを、あいつらに味わわせてやりたいんだ……」

 

直哉さんの声は、震えていた。
なんだか、そんな直哉さんを見ているのが辛くて思わず側に寄ると、その体を抱きしめた。

 

直哉
「ハナ……ちゃん……?」

ハナ
「直哉さんの苦しみ、わかります……もし、もし私が親しい人を華族にそんな目にあわされたら許せません……だけど、許せないと思うだけで、きっと直哉さんのように行動は出来ないと思います」

直哉
「……俺さ、華族が許せないし、その一方でハナちゃんたちのような境遇の子を救いたいって思ってる。中途半端なんだ。中途半端だから……華族をどうにかすることも、ハナちゃんたちみたいな子を守ることも出来なくて」

ハナ
「そんなことありません。私は、直哉さんがいてくれたから……今、生きてられるんですよ」

直哉
「ふっ……大げさでしょ、それ」

 

今まで辛そうな表情をしていた直哉さんが小さく笑う。
だけど、慰めるためについた嘘なんかじゃなくて、私は真実を口にしただけ。

 

ハナ
「逃げ出した私を、直哉さんが拾ってくださらなかったら……私も、吉原に売られ自ら命を断っていたかもしれません」

直哉
「ハナちゃん……」

ハナ
「あなたに救われた命はここにあります」

直哉
「っ……!」

 

直哉さんは目を見開き……そうして力強く私を抱きしめた。
呼吸も出来ないほどに、強く。
直哉さんの肩が、小刻みに震えているのが見える。

 

ハナ
(直哉さん……泣いて……)

 

私は自然と直哉さんの背中をさすっていた。


直哉
「ありがとう、優しいんだね……ハナちゃん。ああ、ハナちゃんが優しいのは前からのことだっけ」

 

涙を拭いながら、私の体を解放する直哉さん。
少し、目が赤く晴れていたけれどその表情はどこか晴れやかだった。

 

直哉
「……俺さ、華族のことすっごい憎んでるでしょ。けど、ハナちゃんの話聞いて……そうじゃない華族もいるんだって知った」

ハナ
「あ……もしかして若旦那様のことですか?」

直哉
「そ。あの人も、ハナちゃんを救ってたよね、きっと」

ハナ
「……そう、ですね。私は、直哉さんと若旦那様のおかげで東都に出てきてから今日までやってこれてるんだと思います」

直哉
「……信じられないよ、あの松乃宮にそこまで出来た人間がいるなんて。クズの集まりかと思ってた」

ハナ
「クズ……?」

 

今までにないぐらい、悪意が込められた言葉。
てっきり、直哉さんは華族全てを恨んでいるように思っていたけれど……松乃宮に対しては特別に深い闇を抱えているような気がする。

 

直哉
「……ハナちゃん、俺のこと嫌いになったでしょ。風刺活動してるくせに実家は金持ちの酒問屋でさ、華族を心の底から憎んでるような人間でさ」

 

ハナ
「何言ってるんですか?」

直哉
「何って……いいんだよ、嫌いになったら嫌いになったってはっきり言って」

ハナ
「そうじゃなくって。そんな話聞いたくらいで私が直哉さんを嫌うとでも思ったんですか? 直哉さんの実家とか、華族のことなんて関係ありませんよ。直哉さんは私を救ってくれたサムライですよ」

直哉
「ハナちゃん……そっか、そうだね。俺、あんたを守るサムライって言ったんだけ」

 

安堵の息をついた直哉さんは、窓から外を眺めた。
ぼんやりと月が浮かぶ空を無言で見つめている。

 

直哉
「……もっと、深い部分話していいかな」

ハナ
「深い部分……?」

直哉
「そう。俺の全てを、ハナちゃんに知ってもらいたい気分なんだ。俺の実家との関係とか……松乃宮のこととか」

ハナ
「松乃宮って……」

 

やはり、直哉さんは松乃宮と何かあったんだ。

 

直哉
「ハナちゃんにとっては、松乃宮の話どうだろうね。聞きたくないことかな」

ハナ
「い、いえ、聞かせてください。直哉さんの全てを、私に教えてください」

直哉
「……そう。じゃあ俺の家の話からさせてもらうね」

ハナ
「はい」

直哉
「庶民とは言え、酒問屋だからね。風刺活動に親はいい顔をしなかった。このまま、戻ってこなければ勘当だって親父にも言われてる」

ハナ
「勘当ってっ……!」

直哉
「そんな驚くことじゃないでしょ。風刺活動なんて、生易しいものじゃないんだから」

 

直哉さんは笑いながら言った。
とても、笑えるような状況ではないのに。

 

直哉
「俺はね、別に勘当されてもいいって思ってるんだ……。でも……」

 

少し戸惑いの表情を浮かべた直哉さんは、一度、静かに目を閉じて私を見た。
 

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