『大正浪漫ラヴストーリー』 <第8話>

『大正浪漫ラヴストーリー』 <第8話>

第7話へ⇐

a0790_000278

若旦那様はぽつりぽつりと紀美子様の過去を話しだした。

 

清人
「紀美子は幼い頃、体が弱かったんだ。そのせいもあって、家族は皆、紀美子を甘やかせた」

清人
「どんなわがままを言ったって、紀美子が元気になればそれでいい。その一心で」

ハナ
「お体が……?」

清人
「今は、成長したおかげか健康な体で学校に通えているが母様は甘やかす癖が抜けなくてな……。紀美子が中等部に進学した頃、それ以上の甘やかしは辞めたほうがいいと進言したことがあった」

清人
「しかし、母様はやめることなく紀美子を甘やかし続けた。だが私は次第に紀美子に厳しく接するようになったんだ」

清人
「母様が甘やかす分、私が厳しくする。父様は仕事にしか興味がなく、紀美子が健康になってからは一切、関心を示さなかった」

清人
「いつしか、紀美子は私を憎み、母様を慕い、傍若無人なまま成長してしまったんだ」

 

ハナ
「それであの性格……納得しました」

 

思わず本音が溢れると、若旦那様は苦笑いを浮かべた。

 

清人
「幼い頃から、甘やかすことなどせず接していればこんなことにはならなかっただろう」

ハナ
「そんな。若旦那様は悪くありません。お体が弱ければ誰だって心配します。元気になるためなら、甘やかします」

清人
「ありがとう。私はあんなわがまま娘に育て上げた張本人なのに」

ハナ
「だから、そんなことないです。それに……私、大丈夫ですから」

清人
「何がだ?」

ハナ
「紀美子様に何を言われたって、何をされたって、頑張りたいんです」

清人
「家族のため……か?」

ハナ
「それもありますけど……私を支えてくれる人たちがいますから。
トメさんも、カヨさんも。もちろん、若旦那様も。それに……」

清人
「それに?」

ハナ
(……直哉さんのことは黙っておこう)

 

あの人のことを、誰かに話してしまうのはなんだかもったいない気がした。

 

ハナ
「ううん、なんでもないです。とにかく、私は1人じゃないですから」

清人
「……無理はするな」

ハナ
「していませんよ。これだけ味方してくれる人がいて、お給金がいただけて、食にも寝る場所にも困らない仕事です。そう簡単に投げ出したりしませんよ」

清人
「……ハナさん、君はとても強い人間なんだな」

ハナ
「え……?」


いつか、誰かに言われた言葉。
あれは……確か、駅で直哉さんが私に……。

a0007_002451

直哉
「ハナちゃん……あんたは強いね」

a0790_000278

清人
「ハナさん? どうかしたか?」

ハナ
「い、いえ。なんでもありません。若旦那様にそう言っていただけて、光栄だなって」

清人
「君は強い。自信を持っていい」

ハナ
「ありがとうございます」

清人
「……そうだ、ハナさん。1つ提案がある」

ハナ
「なんですか?」

清人
「ハナさんはこれから、私付きの女中になってくれないか?」

ハナ
「若旦那様の……?」

清人
「ああ。そうすれば、少なくとも紀美子に直接関係することもないだろう」

ハナ
「でも、そんなことしたら……他の人が紀美子様の標的になるんじゃ……」

清人
「……そうだな。私としたことが浅はかな考えだった」

 

若旦那様は小さくため息をついた。

 

ハナ
「私なら、大丈夫ですから。むしろ、女中ごときの心配を若旦那様がしてくれるだけで、うれしですから」

清人
「女中ごときなどと自分のことを言うな。私たちは同じ人間だと、先程言っただろう?」

ハナ
「あ……」

清人
「私たちの違いは、生まれた場所、生まれた家が違うだけのこと。それ以外は、言葉だって喋る、感情を持ってる……同じ人間だ」

ハナ
「……感情を、持ってる」

 

若旦那様の言葉を、脈絡なく繰り返すと、不思議そうな顔をして私の顔をのぞき込んだ。

 

清人
「どうした?」

ハナ
「……私たちは、女中は野菜だと」

清人
「野菜?」

ハナ
「感情を持たず、主に従うべきだと……トメさんに教わりました。その覚悟がなければ……ここでは働けないと」

清人
「そんなことが……? トメさんにそんなことを言わせてしまったのは私たちのせいだな」

ハナ
「い、いえ、若旦那様のことではありません。カヨさん言ってました。若旦那様はこのお屋敷の良心だって」

清人
「私が? まあ、そうだな。紀美子や母様と違って私は屋敷にいること自体も少ない人間だから……女中たちも私と接する機会が少ないせいだろう」

清人
「だが、私も松乃宮の一員だ。女中は野菜などではない。私たちと同じ人間だ。そのことは、きちんとトメさんに伝えねばな」

ハナ
「け、結構です。私たちなら大丈夫です。もしそんなことを言ってこれ以上、紀美子様との間に溝が生まれてしまってはどうするのですか」

清人
「何故、紀美子のことなど考える?」

ハナ
「若旦那様と紀美子様は兄と妹です。仲違いするのは……よろしくありません」

 

私の言葉を受けると、何故か若旦那様は小さく肩を震わせながら笑い出した。


清人
「まったく、ハナさんはお人好しにも程がある。君は紀美子に火傷までさせられているのに、そんなことを考えていたのか?」

清人
「きっと、君のところは兄弟仲がいいんだろうな」

ハナ
「そ、そういうわけでは……」

清人
「はっきり言えばいい。少なくとも、君は弟や妹には慕われているのだろう?」

ハナ
「慕われるなんて大層なものじゃないです」

清人
「謙遜するな」

清人
「君が妹なら……」

ハナ
「え?」

清人
「……いや、なんでもない。それより、食堂へ戻ろう」

ハナ
「食堂に? ど、どうしてですか?」

清人
「これ以上、紀美子を嫌いにならないように……忠告しに行くだけだ」

ハナ
「……?」

 

なんだか意味深な言葉に不安を覚える。
けれど、若旦那様はそんな私の心中を察すること無く部屋を出て行ってしまった。

 

a0002_003447

清人
「トメさんはいるか?」

 

食堂の扉を開けると、中にいたカヨさんたちが一瞬、ほっとしたような表情を見せた。

けれど、すぐさまうつむくように表情をしかめた。

見れば、まだ紀美子様も奥様を食事をしている。

 

紀美子
「あらぁ、もう手当は終わったの?」

清人
「なんだ、紀美子もいたのか。母様もるのならちょうどいい」

千代
「なんですか、清人さん。何か話があるのなら後でうかがいます」

清人
「いえ、この場の方が都合がいいので」

紀美子
「なによ?」

清人
「女中にも聞いてほしい話だからだ」

 

紀美子様の高圧的な態度を気にもせずに清人さんは隅に並ぶ女中たちに目を向けた。


清人
「今後、もし紀美子や母様に理不尽な嫌がらせをされた場合は私に相談してほしい」

紀美子
「なっ……」

千代
「清人さん、何を言い出すのですか」

清人
「今は女中たちに話をしている。黙っていてもらおうか」

 

紀美子様も奥様も声を上げたのだけれど、若旦那様のあまりにも低い冷たい声に一瞬ひるむ。

 

清人
「もし、嫌がらせに耐え切れず辞めたい者がいる場合はまず私に相談してくれ」

清人
「この屋敷を去った後のことを相談させてもらう」

 

食堂内がザワついた。
誰もが顔を突き合わせながら若旦那様の言葉について話をしている。

 

清人
「トメさん、すまないが時間を見て一度女中たちの話を聞いてくれないか。きっとハナのような扱いをうけている者がいるだろう」

トメ
「若旦那様、それは……」

紀美子
「お、お兄様? 何を勝手なことを言っているのかしら?」

千代
「清人さん、この者たちは女中ですよ。この松乃宮の人間とは違います。何故、そこまで手をかけてやる必要があるのですか」

千代
「嫌なら辞めるなり逃げるなりすればいいんです。女中の代わりなどいくらだっているのですから」

紀美子
「そうよ。ここにいる女中たちはあたくしたちとは身分が全く違うのよ? それをおわかり?」

清人
「身分の違いはあれど、同じ人間であることに変わりはない。女中は、人間だ。感情のある、私たちと同じ人間だ」

ハナ
(若旦那様……)

 

宣言するように、若旦那様が口にしたその言葉は私以外の女中の胸にも響いたのか数名は涙を流している。
私もこみ上げてくる熱い何かを感じながら、若旦那様の言葉に耳を傾けた。

そうして訪れた静寂。
それを引き裂いたのは紀美子様の金切り声だった。


紀美子
「お兄様、頭でもおかしくなったんじゃありません!? 何を言い出すの!? 同じ人間? そんなはずがあって?」

紀美子
「ここにいる女たちはみーんな貧乏人で学がなくてなんの仕事もできないの! それをあたくしたちが使ってあげてるのよ? 感謝してもしきれない相手でしょう?」

紀美子
「ここが嫌なら出て行きなさい! そんなことしたら、もう体を売るぐらいしか出来ないでしょうけど?」

 

意地の悪い笑みを浮かべた紀美子様。
その瞬間だった。パシンと乾いた音が食堂に響き渡る。

 

清人
「紀美子、言いたいことはそれだけか? それ以上、女中たちを辱めるような言葉を口にしてみろ。私は全力でお前をこの屋敷から追い出す」

紀美子
「な、何を言ってっ……!」

千代
「ふぅ……清人さん、その女中に毒されましたか。紀美子を追い出す? あなたにそんな権限があって?」

千代
「旦那様ならまだしも、ただの跡取りであるあなたが何を言い出すのですか」

 

わめき始めた紀美子様の言葉を遮るように、奥様が静かに話しだす。
若旦那様は顔色一つ変えないで、その話を黙って聞いていた。

 

千代
「その女中のせいで、清人さんがおかしくなったのね」

紀美子
「そうだわ。そうよ、ハナが来てからよ。ハナのせいよ!!」

ハナ
「っ……」

清人
「何を言う。ハナさんは関係ないだろう?」

紀美子
「関係あるわ! そうよ、お兄様きっとハナにたぶらかされてるのね!? どんな手を使ったのよ!?」

ハナ
「わ、私はそんな……」

清人
「紀美子、見当違いな考えでハナさんを責め立てるのはやめてくれ。私はたぶらかされてなどいない」

紀美子
「お兄様、いい加減にして!
卑しい女! そんな見た目で色仕掛けでもしたの!?」

ハナ
「そ、そんなことしていませんっ」

 

小さく否定してみたものの、紀美子様は興奮したまま私をキッと睨みつけた。

 

紀美子
「あんたなんか売り飛ばしてやる! 吉原に売り飛ばしてやるわ!!」

 

ハナ
「何言ってるんですか?」

紀美子
「何よ! バカにしているの!?」

 

本当に、紀美子様の言葉が理解できずに思わず聞き返してしまう。

 

清人
「やはり、甘やかしすぎたせいか。我が妹がこれほどまでに頭が悪いとは思わなかった」

清人
「売り飛ばす? 紀美子、もしそんなことをしてみろ。松乃宮は女中を売る屋敷として騒ぎ立てられるぞ」

清人
「そんなことになれば、父様の仕事にも、私の仕事にも支障をきたす。やがて、松乃宮は潰れるだろう。それが、どういう意味だかわかるか?」

清人
「お前は女学校をやめ、今まで散々、お前自身がバカにし続けた女中と同じ末路を歩むことになる」

清人
「勤め先の主にいじめ抜かれ、そうして耐え切れず逃げ出したお前の行く末は吉原だ」

紀美子
「っ!!」

千代
「清人さん、口を慎みなさい」

清人
「慎むのは紀美子だ。売り飛ばすだの……。まったくどこでそんな言葉を覚えたのか……」

千代
「いい加減になさい、清人さん」

清人
「母様にもお願いをしたい。女中を虐げる様な真似はやめてください」

千代
「そんなことしやしませんよ。はぁ、気分が悪いです。トメ、部屋へ戻ります」

紀美子
「あたくしも戻るわ」

 

私たちを睨みつけるように鋭い視線を食堂に張り巡らせた紀美子様は、奥様の後ろにつくように席を立つ。

 

紀美子
「ただじゃおかないわよ。絶対にあなたをこの屋敷から追い出してやるわ」

 

去り際に、紀美子様の言葉がぶつかる。
それは憎悪に満ちた、呪いの言葉に聞こえたのだった。
 

⇒第9話へ

banner
↑こちらのタイトルの目次は此方へ
banner
↑その他のタイトルは此方へ