【芦屋道顕】三途の川の渡し舟の定員は3人・まれに「大型船」で「人間卒業」も【霊界異談】

【芦屋道顕】三途の川の渡し舟の定員は3人・まれに「大型船」で「人間卒業」も【霊界異談】

【芦屋道顕の霊界異談】三途の川の渡し舟の定員は3人・まれに「大型船」で「人間卒業」も

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芦屋道顕の霊界異談

■村で1人死者が出るとあと2人出る。三途の川の渡し舟の定員は3人

これを読んでいるおぬしも「三途の川の渡し舟の定員は3人」と聞いたことがあるやもしれぬ。わしの幼少の頃、可愛がってくれた近所のおばあさんが亡くなったときに葬儀に参列したかったが、葬儀や告別式には連れていってもらえなかった。墓参りしたのは一周忌過ぎた頃であったか。

今時ならば迷信扱いされてしまうが、当時のわしは確か6歳くらいで「7歳までは神のうち」いつ、神様の元に帰ってしまうか分からない年齢だからと、知り合いはおろか、親族の葬儀告別式にも埋葬にも立ち会わせてはもらえなかった。うちの一族は皆、またうちの近隣の人々も同じ考えであったようじゃ。

しかし、7歳未満の子どもでなくとも、村で1人亡くなったときは「あと2人、死人が出る」と、病気や高齢の身内がいる家族は戦々恐々としておった。これはその村だけの迷信かと思うていたら、実は日本全国に似たような話があるようじゃな。

三途の川の渡し舟の乗客の定員が3人であるゆえ、死人が1人出たならばあと2人が道連れにされてしまうという。

三途の川の渡し舟

なぜ「3人」なのか。これは仏教で「3」という数字が重要な数とされているからじゃ。三途の川の三途しかり、仏法僧の「三宝」に釈迦の教えの「三法」もある。ちなみに三途は「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」の三悪道のこと。他にも「三界」「三身」「三毒」などがあるのう。三度目の正直、二度あることは三度ある、仏の顔も三度まで、三顧の礼、三三九度、三位一体……。人間は本能的に3という数字を好み、安心感を覚えるようじゃな。

■飢饉や疫病、天災や大事故や戦乱時には「大きな船」が出る

さて、ここからは仏教からは離れたオカルト話になるが、昔ならば飢饉や疫病で、昨今でも天災や大事故、戦争などで短期間のうちに多数の死人が出るときには、3人ずつなどと悠長なことはせず、大型船で迎えに来るそうじゃ。そして、この大型の渡し船は多数の死人が出る日よりも数日前からあの世とこの世の境に待機しており、この大型船の来訪を感知してしまう人もごくたまにおるようじゃな。

視える人々によれば、三途の川の渡し舟も大型船も、どうやら「空に浮かんで」いるらしい。鳥と飛行機くらいしか飛んでいないはずの空に「何か大きなものがいる気配」または「頭上にそれこそ大艦隊がいるような、妙な空気の重さ」を感じるのだと。そして、その奇妙な体験からほどなくして大勢の犠牲者が出る事件事故、天災が起きて「ああ、あの感覚はこれだったのか」と腑に落ちるそうじゃ。

■大型船に乗る魂は「人間卒業」のことが

この大型船に乗れる死者は生前の宗教を問わず善人のみで、なおかつふつうに三途の川を渡り彼岸で裁きを受けてまた人間には生まれ変わるという「一般コース」を経ずに、その集団で次の転生に向かう。その転生先は、この世界とは似て非なる平行世界、あるいは地球外のこともある。もう個々の魂という「分離」の経験が不要になって、宇宙の一なるものに還ったままになるやもしれぬ。

これが身内や愛しき人を大事故や災害で亡くし残された身にとっては酷なのか、はたまた慰めになるかは分からぬが……。彼らは六道輪廻の「人間道」を卒業し、魂の仲間と共により良き世界へ旅立ったのじゃ。

解脱

同じこの世界で輪廻転生する魂とは、生きている我々もまだ比較的繋がりやすい。夢に出る、不思議な出来事が起きる、何かしら「あの人からのメッセージ」と思えるものも届きやすい。愛しき人を亡くし、また逢いたいと願う生者にとっては嬉しきことじゃ。

しかし、愛しき人がもし「人間卒業」でこの世界から離れた世界に行ってしまったなら、そのように繋がりを感じる機会はほとんどなくなる。彼らは隣り合っているようで遠い世界にいて、なおかつ新たな世界で充実し忙しい。あるいは個々の魂として肉体を持つ「現象界」への未練が一切なく、宇宙の一なるものに還っていれば「現象界」のことなど思い出しもしない。

辛く苦しいことが多いこの世に一人残された身としては、寂しいことではある。「どうして、あの人は夢にも出てきてくれないの」と思うやもしれぬ。が、それは亡き愛しき人がより良い世界にいる証、喜ばしきことなのじゃ。

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