前編【芦屋道顕】時代に合わせて霊的マナーや縁起担ぎも簡略・変更・廃止じゃあ!

本格的な陰陽道や各種伝統的宗教の権威に加えてマナー講師なども読んだら怒り狂うやもしれぬが、平成生まれのわしが思うに、いや、昭和生まれでも戦後の人々であればだいぶ同じように思うているとは思うが……。

あまりにも古い時代に生まれた霊的なしきたりや縁起担ぎが年中行事となったものは、現代では必要がない・簡略化してよいものもたくさんある。

私事で恐縮じゃが、昨今、料理研究家のリュウジなる人の簡単料理にハマっておってな。(手軽であるが味は抜群、食材も安いものばかりで有り難いのじゃ)

そのリュウジ氏がこんなことを呟いておった。

おせちは年末に仕込んで三が日に家事から解放されるという意味合いが強いので、もう保存の効く食べ物なら全部おせちと言うことにしたい

うちの母と彼女が大いに支持しておったのじゃな。特に母は父の家が旧家でしきたりに苦労してきたゆえ「良い時代になったねえ」としみじみ言っておったな。

まず、竃(かまど)と女性を正月くらいは休ませるという目的からすればすでに完全に不要であろう。

さらにいえば御節は縁起担ぎの最たるもので、子持ち昆布や数の子は子孫繁栄を願う子宝祈願であったり、田作りや黒豆は五穀豊穣を願いさらにマメに働くという日本ならではの勤勉を願うものであったりする。伊達巻と栗きんとんは個人的に好物であるゆえここぞとばかりに買ってきて食べるが、御節の品の揃え方など、現代においても縁起担ぎのためにあれこれ言われたらたまったものではないと思うたのう。

御節に限らず、日本の伝統に価値を感じる人々や神道や仏教の伝来を守り続ける立場の人々であればいざ知らず、一般庶民はもっと楽をしてよいはず。縁起担ぎが目的であればなおさら、「今の時代にそんなことをしても意味がない」ことはいっそやめても何も変わることはなかろう。

ということで、これからは趣味でもなければ止めるか簡略化しても霊的にも運気的にも問題ないものをざっと挙げていくぞよ。

レコメンド
続きを読む
人気記事

こちら記事も人気です

モバイルバージョンを終了