【芦屋道顕】死刑の霊的タブー(2)凶悪犯の処刑は霊的には犯罪抑止に逆効果?【真実の扉】

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(1)冤罪で処刑された魂の行方

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冤罪ではなく、本当に人を二人以上……しかもその対象が子どもであったり無差別であったり、凶悪で反省の色がこれっぽっちも見えない極悪人など死刑は当然ともいえる。人の世の法律や倫理に照らし合わせて、この世のうちに見届けられる因果応報と考えれば、何も間違っていないのではないか。遺族としては、少しでも心の慰めになり、遺族や被害者の魂の救済には役立つのではないか。

と、賛成派のわしとしては考えてしまうのであるが……。やはり、良くないのじゃ。

■凶悪犯を処刑するのは「凶悪犯の魂を自由にすること」

もうかなり昔の話となったが、名門小学校に侵入し児童を何人も追い回し殺害した鬼畜がおった。そやつは死刑は怖くない、死にたいからさっさと殺せというような発言を繰り返していたそうじゃ。そして、本人の望み通り、死刑の判決から執行まで、通常かかる年月をかけず、異例の早さで刑は執行された。

この凶悪犯のように自ら死を望む者には、死刑は苦ではなく、本人の反省を促すものとも遺族の心を慰めるものともなり得ない。

そして、現世的には凶悪な人間がこの世から一人消えて平和になったと見えるが、死刑で滅びたのは凶悪犯の肉体のみ。肉体という檻に閉じ込められていた魂の邪悪なエネルギーが地上にもあの世の領域にも解き放たれてしまう。

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