【短編恋愛小説】儚き夢の恋物語其の三

【短編恋愛小説】儚き夢の恋物語其の三

第七章

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昭和二十年三月の初め昭夫に突撃命令が下された。期日は二日後。昭夫は冨貴子に知らせるべきか一瞬迷ったが、どうしても最後に手紙を送ろうと決め筆を手にした。初めて会ったヨチヨチ歩きの冨貴子が少しずつ大きくなり、昭夫の腕の中でスヤスヤと寝息を立てて眠っていたあの夜が鮮明に浮かび上がる。そして、冨貴子の温もりと匂いを記憶に焼きつけるように噛み締めながら一つ一つの場面を思い出していた。真っ白な紙に涙が落ちて墨が滲んだ。それは、昭夫が最後に綴った、「遠い空から幸せを祈っています。」の箇所だった。

そして、とうとう出撃の朝がやって来た。昭夫は冨貴子と両親、兄達に宛てて書いた手紙を特攻隊を支える撫子隊の娘の一人に託した。冨貴子に少し似ている可憐で美しい少女だった。彼女はしっかりと手紙を受け取り、「必ず届けます。」と言ってくれた。

昭夫は特攻機に乗り込みポケットから冨貴子が送ってくれた御守りを出してちょうど目の前に見える位置に吊るした。そして、撫子隊に敬礼をするともう振り返ることなく前だけを見ていた。機体がうねりを上げて走り出す。撫子隊の少女達が走りながら名前を呼ぶのが微かに聞こえてくる。昭夫はその声を振り切るかのように操縦桿を握りしめ、やがて機体は沖縄の海へと空高く飛んで行った。

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第八章

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昭和二十年八月十五日 第二次世界大戦は日本敗北という結果で終戦を迎えた。ラジオから天皇陛下の終戦を告げる言葉が流れてくる。冨貴子はやっと終わったんだという思いと昭夫さんはいつ帰れるんだろうか?という思いでいっぱいだった。敗北を嘆き哀しむ国民も多かったが、冨貴子はそんなことよりも昭夫といつか幸せに暮らすことの方が大切だったのだ。そして、それからは毎日 昭夫がいつ来てもいいようにより一層、芸の稽古に励み、鏡の前で何回も化粧直しをするようになった。昭夫を待つ冨貴子は日に日に艶やかさを増して朱雀楼で一番美しい芸妓になっていった。

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昭和二十一年一月 見知らぬ若い女性が冨貴子を訪ねてきた。女性が何の用事だろうかと不思議に思ったが、女将に言われるままに部屋に案内した。女性は冨貴子の前に静かに正座すると風呂敷を広げて一通の手紙を渡した。そして、「昭夫さんからです。」と一言だけ言った。
封を開けて読み始めた冨貴子は震えが止まらなくなった。そんな冨貴子を女性はそっと抱き寄せて、いつまでも背中をさすってくれたのだった。

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第九章

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三月に入って間もなく冨貴子に突然、身受けの話が来た。相手は常連である会津田島にある酒蔵の旦那だった。遊郭を出られるのは嬉しいが、旦那と暮らすことには抵抗があった。だが、これも運命かと溜息をついてあきらめようと思った。

しかし、旦那は冨貴子を朱雀楼から出すと直ぐに「好きな所にお行きなし」と言って当面暮らすのに充分なお金を手渡してくれた。元々、自分のものにしようという気持ちなど旦那にはなく、ただ冨貴子を自由にしてやりたかっただけなのだった。冨貴子は深々と頭を下げてお礼言い、その足で昭夫と過ごした思い出深い笠間稲荷神社へと歩いて行った。

笠間稲荷神社に着くと冨貴子は直ぐに社に行き賽銭を入れて手を合わせた。そして、広い空き地の真ん中に寝転んで、昭夫とこうやってよく空を見上げたっけなぁと懐かしんだ。

あの頃はもう二度と帰っては来ない。冨貴子はせめて昭夫を弔いたい、そして、二人の願いだった結婚式を挙げたいと思い髪から簪を抜いて手紙の一部を破り簪に巻き付けた。冨貴子は立ち上がると、簪を握り締めて笠間稲荷神社を後に涙橋へと向かった。

 

エピローグ

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まだ春浅い雪の残る会津の涙橋の袂で冨貴子は川下に流れていく簪をただじっと見つめていた。

昭夫と過ごした日々の思い出が走馬灯のように次から次へと冨貴子の頭の中を駆け巡る。

「昭夫さん なしてオラ達幸せになれなかったんだべかなぁ…」とふと呟くと、足元に残る雪の結晶がキラリと輝いた。

まるでそれは亡き昭夫からの伝言のように冨貴子には思えた。

昭夫が笑顔で「オラさの分まで幸せになってくなんしょ」と言っているようだった。

冨貴子は涙を拭きもう泣くのはやめよう、昭夫さんの分まで精一杯生きようと決意した。

そして、磐梯山を見上げながら、昭夫の音痴を真似て「会津磐梯山は宝の山よ〜」といつまでも唄い続けた。

天高く召された昭夫にこの声が届きますようにと…

涙橋の袂にある柳が冨貴子を見守るように優しく揺れていた。

冨貴子の流した簪はやがて太平洋へと流され不思議な事に沖縄へ向かって流れて行ったという。

儚き夢の恋物語…

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