どういう人がモテるのか?
というのは人生において大きなテーマであると思います。女でも男でも。
多分皆モテるに越したことはないでしょうし。
この「モテる人とはいったいどういう人か?」について、最近思ったことを書いていきますね。
【ある日のラジオのコーナーで】
約1ヶ月前のこと、私は父の車の中で、ラジオを聴いていました。
それは夏休みの「こども科学お悩み相談室」みたいなコーナーでした。(ちゃんとは覚えてない)
科学館とか博物館からお偉いさんがスタジオにやってきて、そのスタジオに子どもから電話がかかってくる。
子ども達は科学的な質問をして、分野ごとにお偉いさん達が答えていく、という内容だったかと思います。
そのコーナーで、小学二年生の女の子マキちゃん(仮名)が電話を掛けてきて、
「ぶどうの皮は紫色なのに、なんで中身は緑色なのか」という質問をしていました。
おじさんの一人が、
「ぶどうの皮はアントシアニンという物質が含まれていて、それで紫色になり、ぶどうの実には葉緑素が含まれていて、それで緑色になる」
のだと答えました。
私が気になったのはここからです。
【その後のマキちゃんとおじさんの会話】
おじさん「マキちゃん、わかった?」
マキちゃん「はい」
おじさん「葉緑素、わかる?」
マキちゃん「・・・・」
おじさん「大丈夫かな、葉緑素、言える?」
司会者のおじさん「マキちゃん、ちょっと言ってみてくれる?」
おじさん「葉緑素だよ。よう、りょく、そ」
マキちゃん「よう、りょく、そ!」
その時のマキちゃんは確かに可愛かった。
私もラジオを聴いていてつい笑ってしまいましたが、
なんで言わせた?言わせる必要あったか?
とも思ってしまいました。
【さびしかったと二度言はせたり】
このラジオを聴いていて思い出したのが次の短歌です。
形容詞過去教えむとルーシーに「さびしかった」と二度言はせたり -大口玲子
多分日本語の勉強中なのでしょう。
「では、繰り返してください。さびしかった」
「さびしかった」
「もう一度」
「さびしかった」
こんな感じでしょうか。
普通、「さびしかった」と人に強要して言わせることはありません。しかも2度も。
この歌について歌人の穂村弘さんが著作の中で
「さびしかったと言わせていることに(作者は)不思議な興奮を覚えている」というふうに語っていたと思います(間違ってたらすみません)。
たぶんそうなのだろうなあ、と思いました。
【言わせるということ】
歌の内容についてはともかくとして、ここで共通しているのは、
「言わせる→言う」
という関係です。
言ってほしいことを相手に言わせるって、ちょっとした「支配」の感覚だよな、と思うのです。
強要して言わせる、ということはあまりないのかもしれませんが、
会話してて思い通りの反応が返ってくると嬉しいし、
「相手の事を理解(支配)した!」みたいな感覚が多少あるのではないかと思うのです。
つまり人って(論理の飛躍を恐れずに言えば)素直で従順で分かりやすい人に弱いのではないか、と思ったのです。
【デレを出そう】
不特定多数の人にモテたいと思ったら、やっぱりこの「素直」がキーワードになってくるのではないでしょうか。
やっぱ可愛がられるんですよ。男にも女にも。
私の大学の後輩にも、好きになったら男女関係なく「好き!」ってすぐ言っちゃう人がいましたが、そういう人はやっぱり可愛いものです。
そんな高度なレベルでなくても、
「さびしかった?」って聞かれたら、
「さびしかった」って言っちゃったほうがいいのではないか。と思いました。
それが言えるか言えないかで、もう道は分かれているような気がしました。
最近ツンデレとか流行ってますよね?(もう一昔前なのか?)
ツンの部分があっても良いけど、デレもちゃんと出してるのが受けているわけであって、ツンだけ出してるとそれはただの冷たい人なわけです。
デレをしっかり出しましょう(結論)。以上。