文学から探る男心 -西東三鬼「美女」-

文学から探る男心 -西東三鬼「美女」-


The greatest mistake you can make in life is to be continually fearing you will make one.


最大の過ちとは、過ちを犯さないかとおそれ続けること

エルバート・ハバート

今回ご紹介するのは西東三鬼の随筆「美女」です。
作者の西東三鬼は歯科医で、その傍ら俳句を作った人でした。

今回の話を一言で説明すると「美女に臆した男が、プライドを守るためにいいわけをする話」です。

この話、「美女」は後半にしか出てきません。前半は主人公(西東)の船旅の話です。しかしこの船旅の部分で、主人公のバックボーンがうまく説明されています。

 私はいつも逃げてばかりゐるやうです。それといふのも、私といふ男は、齢五十をとうに過ぎてゐながら、私と同じ生きものである人間、特に女の人に対する抵抗力が実に弱く、まるで生れたての赤ん坊がたやすく風邪をひくやうに、やられてしまふのです。

出典:西東三鬼 美女

50歳を過ぎているのに、女性慣れしていない主人公。
彼にとっては女性は風邪(流行性感冒)だと表現しているように、あまり歓迎すべきものではないと考えています。

アッといふまに肺炎を併発して高熱にうなされるのです。困つたものです。

出典:西東三鬼 美女

つまり、女性慣れしていないが故に、一度恋をしたらたちまち悪化してしまうということ。
一応本人も予防対策を行っています。

そこで私は元々貧弱な勇気をふるひ立てて、女の人に対する皮膚の抵抗力を増進させるため、冷水摩擦のたぐひを試み、あのかぐはしい香気が、人よりも大きな鼻の孔に侵入しないやうにと、マスクなども用ひるのですが、何のたしにもならないのです。

出典:西東三鬼 美女

冷水摩擦と、マスクで恋のウィルスを撃退!
風邪になぞらえた方法で、撃退できるのはおそらく本当の風邪のみでしょうが、医者ユーモアか何かなのでしょう。

案の定撃退できず、すでに風邪をひきかかっていた主人公は、恋愛相手から逃げるように船に乗ります。その恋愛相手を疫病神にたとえる主人公も主人公ですが、船に乗る主人公に向かって、

私の風邪の神様は波止場の近くまで送つてくれましたが「どうぞお船が沈没しますやうに」と呪咀を吐ひて、カツ/\と踵の音を立てながら帰つてゆきました。

出典:西東三鬼 美女

という恋愛相手も恋愛相手です。
そんなどろっとした恋愛から心機一転、主人公は松山に行きます。
その松山で、主人公は「靴下フェア」を目にします。
とにかく靴下を売りつけるだけのイベントで、主人公は運命的な出会いをします。

偶然に眼が向いた女靴下専門店に、思はず息が止つた程の美女がこちらを向いてゐました。マネキンという職業の人です。私は勿論、足を止めて立ちつくしました。

出典:西東三鬼 美女

靴下の売り子に一目惚れした主人公。
前の女に「船ごと沈没しろ」と呪われたのに、回復が早すぎます。
あんた妻帯者だろ、というつっこみはもはやする気もおきません。

私には美しい女の人の形容は出来ません。とにかく大変な美女です。

出典:西東三鬼 美女

そんな美女と出会える靴下フェアに、主人公は三日間通います。
知り合いの谷野予志先生を連れて。
ちなみに、靴下フェアに三日もつきあわされた谷野先生も俳人かつ、大学教授です。
何やってんの、あなたたち。

しかし通い続けていましたが、話しかけるわけでもなく、何の進展もなくフェアは終了します。

暗い晩に、私は帰航の船に乗りました。予志先生も他の人達も、テープを投げないのは神戸の時とおなじです。先生は別れの手を振るのですが、その手振りが少しへんで、何かを指し示す趣です。そしてあらうことか、その指の先には靴下祭の美女がちやんと乗つてゐるではありませんか。

出典:西東三鬼 美女

再び船にのった主人公ですが、その船には例の美女も運命的に乗っていました。
「西東~、うしろ!うしろ!」状態。

 神戸に下りた時、彼女の姿はみえませんでした。その方がいゝやうな、さうでもないやうな気がしました。

出典:西東三鬼 美女

運命的な出会いに戸惑う50歳。

 後日うちの主婦に、もう一度息の止まる美女にめぐり会ひたいものだといひますと、大阪中のデパートの靴下売場を探してごらんなさいと教へてくれました。妙案だとは思ひましたが、私はデパートに一足入れると、何とも云ひやうのない、絶望におそはれるので、美女には再会したいがやめにしました。

出典:西東三鬼 美女

デパートに入ると絶望感に襲われるって、どういう精神状態なんだろうというささやかな疑問はおいておくことにして、主人公はここであっさりと美女を諦めます。

しかしここで二人の運命は終わりませんでした。

ところが或日、道頓堀の雑踏の中に、まぎれもない靴下嬢が、衆人にぬきんでて来るのを見ました。勿論私は息を止めて立止りました。彼女もベレの老人を見たやうです。
「あれがさうだ」と、私は礼儀を忘れて連れの女の人に云ひました。彼女の今度の呪咀は「なんだ! カレーライス」といふのです。いふところの意味は、彼女ならそこの角を曲つたカレーライス専門店の常連だといふのです。

出典:西東三鬼 美女

道頓堀の雑踏の中、靴下の君を見つけた主人公。しかもこの運命的な再会で、彼女がカレーライス屋の常連と知ることができました。それを知って、男はほっとします。

それをきいて私は大いに安堵しました。あれを食ふと頭の地がかゆくてたまらないので、私は食はない事にしてゐるからです。
私はどうやらあとの一難からは逃げのびたやうです。

出典:西東三鬼 美女

男は会えることではなく、会えない理由をみつけてほっとしたのです。
これは心理学の「合理化」と呼ばれるものですが、プライドが高い男性は合理化することで、自分の心を守ります。
つまりは「手に入らないんじゃなくて、手に入れない方がいいのだ。自分は手に入れないという選択をしたのだ」と考えることで、心を安定させるのです。
今回の主人公も、彼女と会うにはカレー屋に行かなければならないが、自分はカレーが嫌いだから行かない。という理屈です。美女を諦めるためには、「自分では彼女を落とせない」という理由意外の理屈が必要だったのです。

さて、この話で得られる男心は「男性側が好意を持っていて、かつ運命的な再会をしたとしても、行動にうつすとは限らない」です。

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