■潜在意識活用だけでなく「神仏」も頼っているおぬしへ
芦屋道顕:さて、これはわしの雑感だけでなく一般的な傾向のようじゃが、昨今の「スピリチュアル系」を好む人々は「引き寄せの法則」などを単体で取り入れている人は少ないようじゃな。みな、それ以前にもそれ以後にも、願いを叶える、幸せになる、開運するといった触れ込みのおまじないや風水を試し、そしてパワースポット巡りや、神社や仏閣へのお参りをしておろう。
恐らく、大勢の恋や諸々の願いを持つ人々が、特定の願いを抱いて神仏を訪ね、そこにおわす神仏に「願掛け」をしておろう。
★『願掛け』は礼儀を守ればしてもOK
「願掛け」については「するな」と言う神社仏閣もあるが、御祭神や本尊が明らかにあるご利益から崇められていて、その神社仏閣もその御利益を売りにしているところであれば、そして時節を守れば、まったく遠慮することはない。
言うなれば、相手が神仏でお願いごとを聞き入れてくれるのは慈悲の御業とはいえ、それは人間として生まれ、そういった神仏を信じることで加護を得るという「取り決め」の中で許されていること。
きちんと礼儀を守りご挨拶をして、願いが叶おうと叶うまいと、お礼をすればそれで良いのじゃ。
(初詣でお願いをするのは、やはりあまりよろしくない。神仏にしてみれば、年に一度だけ顔を見せる遠縁の子どもが新年の挨拶だけなら可愛いと思い、お年玉の一つもやろうと思うが、子どものほうから「お年玉ください!それと新しい自転車と、今年こそスマホ買って!」と言われたら、カチンとくるのと似たようなものじゃぞ)
★『願掛け』をしたら必ず『願ほどき』を
まあ、正月などの挨拶時期以外で、どうしても願いがあって神仏を頼るならば、相手もそれを正直なところ見越しておるのじゃ。「ふむ、普段はめったに見かけないあのオナゴがウチの神社にくるとは。なんと、三十路になってついに真剣に結婚したいようだな。まあ、うちはそれが得意だからな。よし、何を願うか聞くだけ聞いてやろう」とな。
さながら、お見合いを頼む世話焼き役の家に、頭を下げて相手を紹介してもらいにいくようなもの。
しかし、問題は願掛けをした後じゃ。
この記事を読んでいるようなおぬしは、お守りや御札は1年ごとにきちんとお返ししているであろう。(もししていないならば、1年経ったらお焚き上げにきちんとお返しすることじゃ。あれは、貰い受けたものではなく、神仏のご加護を「レンタル」しているのじゃ!借りっぱなしだと視えないレンタル延滞料がどんどん溜まるぞよ)