永遠の旅人が彼氏なら~映画『きみがぼくを見つけた日』~

 
住む場所も時間も自分では選べない。
永遠の旅人を愛したとしたなら。

ブラット・ピットが原作が出版されないうちから
映画制作権を買い取った事

で話題になったラブストーリー。

永遠の旅人の奇跡を記した運命の女性

ある雪の日
母親の運転する車で交通事故に遭った
ヘンリー(アレックス・フェリス)は
目の前の現れた見ず知らずの男に、こう宥めらます。

『時間(とき)がきたらわかるから』

それは大人になったヘンリー(エリック・バナ)でした。
 
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ヘンリーは、この事故のショックで自分の意思に関係なく
タイムトラベルする能力に目覚めてしまったのです。

住む場所も時代も自分では選べない。
ヘンリーは永遠の旅人になってしまったわけです。

彼は普段は図書館で司書として働いているのですが
そこで彼は大学生のクレア(レイチェル・マクアダムス)に
出逢います。

彼女は6歳の時にはじめてヘンリーに出逢い、
それ以来ヘンリーと出逢った時の事を日記に
書き留めていたのです。

全く記憶になく戸惑うヘンリー。

その後、ヘンリーは無意識にタイムトラベルし、
6歳のクレア(ブルックリン・ブルー)の前に現れる事に。

自分のままならぬ運命に、クレアを巻き込んだ事を悔やんだ
ヘンリーは、一度は彼女の存在を忘れようとするのですが・・
 

 
過去は判っても未来は判らない

ヘンリーは自分が歩んできた過去は判っても未来は判らない。

その過去すらも自分の身にいつ起こるか判らない
タイムトラベルで狂わされていく。

ヘンリーは、事故が起こった当日の自分自身に逢いに行った後、
自分を生む前の母親アネット(ミシェル・ノルダン)に
逢いに行きます。
 
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アネットは横に座っている男性が自分の息子と知らず、
どんな子が生まれてくるか楽しみと微笑むのです。

ヘンリーが過去に無意識に遡る姿は、
自分を慕ってその時代で待っていてくれる人間に対しての
罪滅ぼしの様にも取れます。

住む場所も時代も選べず不安定な心を持つヘンリーの心の中で、
どの時間軸にも、いつも居たのがクレアでした。

クレアだけが、彼がどの時代に彷徨っていても、
彼をある時は捕まえて、ある時は見守っていたのです。

そんな2人を知る友人のゴメス(ロン・リビングストン)は
クレアがヘンリーとの結婚を決意した時に猛然と反対します。

これからもお互いが違う概念で振り回されるのに、
幸せになれるはずもないと。

ゴメスの予感通り、結婚後、ヘンリーの体はますます
彼の意思に反して時間を旅する様になってしまいます。

傍らにいて欲しいときに全く傍にいないヘンリーに疲れ、
子供が欲しいのに何度も流産し、クレアは、
2人の関係を続ける事にすら見切りをつけようと
していました。
 

 
一緒に居れる僅かな時間を大切にする

ヘンリーは、自分の運命を受け入れ、
クレアと共に居る僅かな日に愛を注ごうとします。
でもクレアはヘンリーに普通の男性としての愛を
求め始めたばかりに、すれ違いが生じるのです。
 
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ある日、ヘンリーは動物園の檻の中にタイムトラベルしてしまいます。
パニックになる彼を助けてくれたのは、
エルバ(ハイレイ・マッキャン)という10歳の少女。
彼女はヘンリーの娘だったのです。

ですが哀しい事にヘンリーは娘と逢えたものの、
自分の寿命を娘から知らされます。

ヘンリーが、住む場所も時代も選べなかったのに対し、
エルバはタイムトラベルする時代も場所も選べる。

エルバはヘンリーに2人の経緯を時代を遡って
見てきたから大丈夫と言い、それを聞いてヘンリーは
安心してこの世を去ります。

ヘンリーが、タイムトラベルし続けた理由とは

ヘンリーが時間旅行をする永遠の旅人となった
理由って何でしょうか?

勿論、自分の人生を理解してくれる人間が居ないという
寂しさもあったかもしれません。

それ以上に、自分が突然かつ不本意に、
人間関係を築いた時代から去っていかなくてはいけない事。

これは自分だけでなく周囲の人間も哀しませるでしょう。
だから彼は愛する人をあえて作らなかったのだと思います。

最後にヘンリーは、亡くなる前に娘が10歳の時の時代に飛び、
クレアにこう言います。

もう僕を待たなくていいからね。

いつ戻ってくるのか、また来るのか、
クレアは6歳の時にヘンリーを見つけてからずっと、
彼を探していたのだから。

ヘンリーがクレアに伝えたかったのは、
僅かな時間でも幸せに過ごせて良かったという事では
ないでしょうか。

恋愛は過ごした中身とも取れる映画だと思います。