その愛情は暴力かも? 甘い恋に隠されたデートDVの危険な罠。

その愛情は暴力かも? 甘い恋に隠されたデートDVの危険な罠。

【恋と暴力】

「デートDV」という言葉をご存知でしょうか。

この場合のDVとは「ドメスティック・バイオレンス」を意味し、親しいパートナーのあいだでの支配/非支配関係を指しています。

支配とは、相対的な意味での強者による相対的な弱者に対する人権の蹂躙です。

つまり、デートDVとは、単に「デートの際の暴力」を超えて、恋愛状態にあるふたりのあいだに起こる支配や虐待の状況すべてを示す言葉であるわけです。

パートナー同士の恋愛関係は、しばしば甘い陶酔と幸福感に満ちたものですが、一方で常にデートDVの危険性を孕んでいます

自分には関係ない? いいえ、もしあなたが何かしら恋に興味を抱くなら、デートDVについて知っておく必要があります。なぜなら、デートDVとは、単に「粗暴な男性による暴力」を意味しているわけではなく、広く恋愛関係一般に含まれる関係の病理そのものであるからです。

どんな幸せな恋にも、デートDVの種子は存在しています。仮にあなたのパートナーが、文句のつけようもなく心優しい人物であるとしても、あなた自身がデートDVの加害者になることもありえます。

そんなことがあるはずがないと切り捨てる前に、ちょっと考えてみてください。パートナーの前で声を荒らげたりしたことはありませんか? あるいは、相手の行動を制約しようとしたことは?

恋人同士なのだからそれくらいのことはあってあたりまえ? それは違います。どんな形であれ相手の行動を支配し、束縛しようとする恋愛心理は、それ自体が既にデートDV的です

【「あたりまえ」を疑う】

デートDVについて考える時は、しばしば「あたりまえ」と考えられていることを見直していくことが必要となります。たとえば、携帯電話を覗き見たり、すぐに電話に出ないと怒ったりすることも、デートDVの一種にあたります。

2007年の政府によるインターネット調査によると、男性の53・1%、女性の44・6%が携帯電話に絡む被害を経験しているといいます。

こう考えていくと、デートDVが決してどこか遠い世界の出来事ではなく、ごく身近で、だれにでも起こりえる問題であることがわかるのではないでしょうか?

デートDVの根幹にあるもの、それはパートナーの人生を束縛したいという想いです。この感情は、時に愛そのものとして美化されることがあります。

こんなにきみを愛しているから、強く嫉妬させられるんだ、などといういい方はその端的な表現といっていいでしょう。

こういった束縛の欲望は、恋愛心理に深く根ざしているものではありますが、決して恋愛そのものではありません。相手を強く束縛しない恋も可能なのです。

もっとも、こういっても、現実的には思えないかもしれません。「愛とは相手を縛り付けるもの」というイメージはあまりにも広く行きわたっていて、いまではなかば常識化しているようにすら思われるからです。

しかし、デートDVを防止するためには、一度、この発想に疑問符を付けておく必要があります。

【ほんとうに対等な関係のために】

デートDVに限らず、人間同士のあいだにある支配/被支配関係に敏感になり、「支配的でも暴力的でもない対等な関係」を築いてゆくために、デートDVについて考えてみましょう。

ただ無邪気に恋を賛美するだけでは、デートDVの罠からのがれることはできません。デートDVは、ほとんどの場合、恋愛のなかで無意識に行われている行為、あるいは「良いこと」だと考えて実行されている行為なので、ひとはなかなかその悪質さに気づくことができないのです。

しかし、たとえ甘い恋のさなかにあっても、ひとがひとを支配しようとすることは、一種の暴力に違いありません。

「恋は盲目」といいますが、盲目的に恋愛に集中しているあいだは、そのことを特に問題とも思わないかもしれません。むしろ、恋人の束縛行為に「かれはこんなにもわたしのことを愛してくれている」と感じる女性は少なくないでしょう。

女性向けのマンガや、テレビドラマなどを見ても、支配や束縛を愛情表現として描いた作品は枚挙にいとまがありません。ですが、そういったデートDV的な恋愛作法をそのまま放置していると、より深刻なデートDVに発展していく可能性もあります。

何もストーカーや直接的な暴力といったわかりやすい行為だけがデートDVであるのではありません。相手をなじったり、言葉によってコントロールしようとしたりすることも、立派なデートDVの一種です。

【自分を守る】

むしろ、そういったことがまったくないカップルのほうが少ないかもしれませんが、それでも、デートDVは「あってあたりまえのこと」ではありません。

犯罪として立件できるかどうかは別問題としても、そこにはたしかに人権の蹂躙があります。

自分の存在に高い価値を見いだせない人ほど、デートDVの被害にあった時、それを受け容れてしまいがちです。ですが、デートDVは決して愛情表現の一種でもなければ、「恋のかけひき」といったものでもありません。それは人間間の関係性の病理にほかならないのです。

どうか、デートDVには気をつけて。たとえ最愛の恋人であっても、あなたを支配して良い人などこの世にいません。

もしあなたが支配されることに歓びを感じるタイプならなおさら気をつけなければなりません。甘い囁きとともに繰りひろげられる恋のドラマには、それなりのリスクがひそんでいることを自覚しましょう。

あなたを守れるのは、あなた自身だけ。そして、最も強くあなたを危険に追いやるのも、あなた自身に違いないのです。